今、茅葺き屋根は世界のトレンドに。職人・相良育弥が伝える「茅葺きの魅力」
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茅葺きに拾ってもらった男
茅葺き(かやぶき)の屋根という言葉から、どんなイメージが湧いてくるだろう? 千葉で生まれ、東京で暮らす僕の生活の身近には茅葺の屋根を持つ家がないから、思い浮かぶのはアニメ『日本昔ばなし』の世界だ。
でも、ところ変われば景色も変わる。神戸といえばシックな港町という印象があるけど、街の反対側、港を背にして山のほうに目を向けると、神戸市北区には茅葺きの屋根を持つ民家がなんと700軒も残っている。しかも、「旧〇〇邸」のような文化財だけではなく、今も実際に住んでいる人たちがたくさんいる。北区の住民にとっては、茅葺きの建物がある生活が今も日常に溶け込んでいるのだ。
そこには、「茅葺きに拾ってもらった」という人もいる。北区で生まれ育った、相良育弥さん。今年8月、NHKの番組「SWITCHインタビュー 達人達」で、俳優・映画監督の奥田瑛二さんとの対談が放送されたから、記憶に残っている読者もいるかもしれない。
淡河かやぶき屋根保存会「くさかんむり」の代表で、神戸市内の茅葺き屋根のメンテナンスや修理、葺き替えを生業にしながら、店舗の壁やイベントの舞台などで現代的な茅葺きを表現する気鋭の茅葺き職人だ。
それにしても、「茅葺きに拾ってもらう」とはどういうことだろう? その人生をたどる前に、そもそも茅葺きの「茅(かや)」がなにか、それすら知らない自分に気が付いた。相良さん、茅ってなんですか?
「屋根に使うことが出来る植物の総称なんですよ。大きく分けると5、6種類くらい。ススキとヨシ、稲わら、麦わらと笹が必要な材料ですね。使われる植物は地域によって違うんですけど、それは人力とか、馬とか牛に乗せて運べる範囲内で調達していたから。茅葺きは世界中にあって、例えばインドネシアに行くと、椰子の葉みたいなものとか、とにかく身近で大量にとれる植物が使われますね」
‥‥この答えを聞いて、僕は初めて「茅」という植物が存在しないことを知った。茅葺き職人として活躍する相良さんも実は、20代半ばまで茅葺きにまったく興味がなかったという。それがどういう経緯で職人になったのか。その歩みは、意外なところから始まる。
牛小屋で宮沢賢治に出会う
「高校を出た後、2年間、建築デザインの専門学校に通っていたんですけど、その頃、DJをやっていて、そっちのほうが面白かったから、就職しませんでした。でもDJでも食べていけず、どうしようかと悩んでましたね」
専門学校卒業後の20歳から24歳までの4年間は、自分が本当はなにをしたいのか、悶々としながら模索する日々だった。祖父の家の牛小屋を改装して、そこにこもってひたすら本を読み漁った。
自分の琴線に触れる言葉があると、紙に書きだして、壁に張った。そこには心理学者の河合隼雄、解剖学者の三木成夫、文化人類学者の岩田慶治などの言葉が並んだ。なかでも「自分の腹の底から響く言葉を探してた」という相良さんの心をグっと掴んだのが、宮沢賢治だった。
「『農民芸術概論』という本があるんです。そこには、芸術しようと思って芸術をするんじゃなくて、生活自体が表現であるし芸術である、それが美しくて尊いと書かれていて、確かになあって。じいちゃんが鍬でポクポク土を耕して、暑いなぁって一息ついてる姿とか、めっちゃ美しいですよ。そうか、こういうことかもしれんなぁって思いましたね」
『農民芸術概論』を読んで、相良さんは思った。生活自体が芸術だとしたら、それを観察して描く芸術家ではなく、描かれる実践者になりたい。フランスの画家ジャン=フランソワ・ミレーの作品『落穂拾い』なら、落ち穂を拾っている農婦のように、誰かに描かれる美しい景色のなかに存在していたい。この気づきは、「ぐちゃぐちゃだった」4年間を経て、牛小屋を飛び出すきっかけになった。
百姓を目指して弟子入り
相良さんは、「百姓」を目指すことにした。農民という意味ではなく、農業を含めて「生活に必要とされる百の業(わざ)ができる人間」だ。まずは、農業を始めた。家の裏に農地があって、すぐに始められる環境だったこともあるが、阪神淡路大震災を経験して、「食べるものくらい、自分でどうにかできないと」という思いもあった。
それから間もなくして、運命を決める出会いが訪れる。2005年の晩秋、友人に誘われて、山のなかで開催されたイベントに行った時のこと。そこで知り合ったばかりの人から、「年明けから、茅葺きの現場でアルバイト募集してるから来いよ」と声をかけられたのだ。
「地下足袋を履いてたんですよ、その時。それを見て、こいつは使えるかもしれないと思われたみたいで、スカウトされて(笑)」
百姓への第一歩として、本格的に米作りを始めようと考えていたが、冬の間は農閑期ですることがない。相良さんは「春まで働くにはちょうどいいや」と腰かけのつもりでアルバイトをすることにした。
正月が明け、神戸の現場に出向くと、「親方」と呼ばれる人がいた。相良さんをスカウトした人は、親方の仕事上のパートナーで、親方は京都に拠点を置きながら、関西を中心に仕事をしていた。相良さんは茅を運んだり、掃除をしたりしながら、初めて目の当たりにする茅葺き職人の仕事を興味深く見ていた。
ある日のこと。親方から「なにになりたいの?」と聞かれたので、こう答えた。
「百の業(わざ)を持った、百姓になりたいんです。でも、まだ駆け出しで3つくらいしかないので三姓なんですわ!」
「それやったら、茅葺きやったら?」
「なんでですか?」
「百のうちの十くらいは、茅葺きの中にあるよ。ロープワークだったり、茅を刈り取って束ねる技術とか。やりたい?」
この時、相良さんは、ハッとした。「米や野菜を作ったりするのが百姓だと思っていたけど、住むところを整えるのも、百姓の業なんや!」。茅葺きも、自分のやりたいことの延長線上にあると知った相良さんの心は決まった。
「茅葺きなら、百の業のうち、十も手に入るんか。こんないい話はねえな!」
義務感で独立するも‥‥
2006年9月、親方のもとに弟子入り。そこで5年間の修業を積み、2011年に独立した。この間に、茅葺きに惚れ込んだ、というわけではなかった。親方の指導は厳しく、休日は雨の日だけで、何度辞めようと思ったかわからないという。
それでも修業を続けたのは、「それまで、けじめを通してこなかったことが多かったから、もうここから先は逃げちゃいかん」と腹を括っていたからだ。
独立したのも、自分の強い意志ではなかった。修業が終わった頃は、また百姓を目指そう、米作りに戻ろうと考えていた。しかし、相良さんの地元にはメンテナンスすべき茅葺きの建物がたくさんあるのに、それを担う若手の茅葺き職人がいなかった。それで「自分がやらざるを得ないよなあ」という義務感もあって、職人を続けることにしたのだ。
ところが、仕事を続けるうちに、修業時代にはほとんど感じなかった「楽しい」「嬉しい」という気持ちが湧いてくるようになった。20歳から4年間はほぼ引きこもり、それから5年間、厳しい修業をしていた相良にとって、それは、とても新鮮な感情だった。
「修業している時は、感謝もクレームもぜんぶ親方に言うじゃないですか。独立したら、仕事に対する感想がダイレクトに自分に届きますよね。それは責任にもつながるけど、20代の頃、仕事で誰かに感謝されることなんてなかったから、すごく嬉しかったし、楽しさを感じるようになりました。それで、次はもっと頑張ろうとか、これだけ喜んでくれるんだったらもっときれいに仕上げよう、もっと勉強しようと思えるようになりましたね」
茅葺きは最先端?
独立してしばらくは夢中で仕事に取り組んでいたが、余裕が出てくると、茅葺きの面白さやポテンシャルを感じるようになった。
日本では1950年、建築基準法で「市街地で新しく建物を建てる時、燃えやすい屋根材はNG」という法律が制定されて、市街地で茅葺き屋根の家を新築することができなくなってから、急速に茅葺きの家が減少していった。
今ある茅葺きの家のほとんどは1950年より前に建てられたものだが、茅葺きの屋根は30年から40年に一度、葺き替えが必要だし、囲炉裏やかまどで火をたく前提なので通気がよく、夏は涼しいけど冬はとても寒いという構造もあり、オーナーの代が変わると建て替えてしまうことも多い。
その結果、1990年、神戸に約1000軒あった茅葺きの建物が、この30年で約700軒に減った。神戸市内だけで1年間に10軒ずつ取り壊されている計算だ。この流れのなかで茅葺き職人の数も減っていき、現在は全国に100人程度しかいない。
しかし、世界に目を転じると日本とは真逆の流れが起きている。オランダやデンマークでは、茅葺き屋根を持つモダンな公共施設や住宅がどんどん増えているのだ。
特にオランダでは、年間2000軒から3000軒の勢いで新築されているという。オランダもデンマークも寒い国だけど、断熱素材や床暖房などを効果的に使って、冬でも快適な茅葺き住宅が続々と誕生している。
なぜか? ここ数年、持続可能性を意味するサステナビリティとか、資源循環型の経済を指すサーキュラーエコノミーに注目が集まっているなかで、相良さんは茅葺きの屋根が「最も環境負荷が少ない素材」だという。
「茅って、なににも使われない地元の素材を有効活用しているんです。しかも、僕らの作業は編む、組む、結ぶとか、すべて糸偏が付くんですよ。それは、自分で解けるということで、葺き替える時に簡単に取り外すことができるんです。
しかも、茅は土に還って養分になるし、燃やしたら草木灰として肥料になる。世の中を悪くするようなことが一切ない、本当の意味で持続可能な素材なんですよね。大きな地震や災害を経験した日本が、世界に対して提案できる持続可能な暮らし方の答えのひとつは茅葺きだと思っています」
オランダ人を驚かせた壁面の茅葺き
この説明を聞いて、ノスタルジックな印象しかなかった茅葺きのイメージが一新された。確かに、今の時代の最先端をいくような建築資材と捉えることもできるのだ。日本も70年前にできた法律にこだわっていないで、世界の時流に合った形に変えていったらどうだろう?と思ったら、実は法律を変える必要すらないという。
「建築基準法には『市街地で~』と書かれているので、例えば地方なら、茅葺きの新築一軒家を建てることができる場所がたくさんあるんです。神戸市内でも建てられます。でも、誰も知らないんですよね。
今、マイホームを建てたいという若い夫婦がいた時に、じゃあ茅葺の屋根にしようという発想にならないでしょう。そこで少なくとも選択肢のひとつになるようにするために、これからの茅葺き職人にとって一番大事なのは、正しい情報を世の中に伝えることだと思います」
「情報発信は、現代の百姓の業のひとつ」と話す相良さんは、ワークショップやイベント、メディアを通して茅葺きの魅力を伝えてきた。
また、2013年から定期的にヨーロッパに渡り、現地の職人たちと交流。オランダで伝統的な手法である壁面を茅葺きにする技術を学び、それを日本に持ち込んだ。神戸市内にある美容院の壁は、相良さんが手がけた見事な茅葺きで覆われている。オランダの手法に工夫を加え、凹凸をつけて葺くことで、装飾性を高めた。
「これは、オランダの茅葺き職人も驚いてくれましたよ。オランダで学んだ技術をお前はそんな風にしたのかって」
壁面の茅葺きの技術は恐らく日本でほとんど知られていないが、これからの時代の建築デザインとして脚光を浴びるかもしれない。僕が帰京した後、友人の建築家に写真を見せると、「なんですか、これは!すごい!これでなにか作りたい!」と大興奮していた。
茅葺きの神様の計らい
最近では、東京でも相良さんの茅葺きを見ることができる。今年、恵比寿にオープンした渋谷区の施設「景丘の家」に掲げられているメインのネームプレートに茅葺きを施した。
「看板の場合、面積が10平米までと決まってるんですけど、可燃不燃の指定はないんですよ。そういう意味で、都市部において看板はひとつ可能性があるなぁと思っています。都市部なら10平米くらいでもかなりインパクトはあるので、都市のなかにも茅葺きを知るきっかけを仕込んでいきたいですね」
どうしたら、茅葺きに興味を持ってもらえるか。茅葺きを使おうと思ってもらえるか。アイデアは尽きない。デザイン性が高く、水回りもハイスペックで、断熱や床暖房で現代的な快適性も追求した茅葺きのモデルハウスを作るというのも、ひとつの目標だ。
今や、茅葺きの伝道師ともいえる相良さんだが、振り返れば13年前、「イベントに地下足袋で行った」という些細な出来事がすべての始まりだった。いや、もっと遡れば、親方の仕事のパートナーがたまたま声をかけたのが、茅葺きの建物が豊富な神戸市北区出身の相良さんだったということも運命的だ。
「不思議なもんですよね。もし茅葺きの神様がおるんだとしたら、ちょっとあいつを茅葺き業界に放り込もうかって、選ばれた気がするんですよ (笑)。本当に偶然の連続で、自分の意志で決めたことあったかなーってくらい。茅葺きに拾ってもらったと自分でも思ってるので、何か返せたらなって」
取材に伺った日、相良さんは神戸市北区にある小さなお堂の屋根を葺き替えていた。現場には、弟子が3人、助っ人が1人と、定年退職してから手伝いに来ているという相良さんのお父さんがいた。
その日はとても気持ちのいい天気で、広々とした青空の下、それぞれがリラックスした様子で「糸偏の仕事」をしていた。今、その様子を思い出して、ふと思った。相良さんたち6人が立ち働く姿は、まさに絵になるような景色だった。ミレーの作品『落穂拾い』のように。
相良育弥
茅葺き職人
くさかんむり代表
KUSAKANMURI https://kusa-kanmuri.jp/
1980年生まれ
空と大地、都市と農村、日本と海外、昔と今、百姓と職人のあいだを、草であそびながら、茅葺きを今にフィットさせる活動を展開中。
平成27年度神戸市文化奨励賞受賞
文:川内イオ
写真:木村正史