高山陣屋

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元禄5年(1692年)、江戸幕府は、飛騨を幕府が直接支配する「幕府直轄領」に指定。もともと高山城主金森氏が所有していた下屋敷に幕府の役所が置かれた。役所には執務室のほかに代官宅、御蔵(米蔵)などがあり、これらを総称して陣屋と呼ぶ。

江戸幕府は慶応四年(1868)に至るまで176年間、25代の代官、郡代を飛騨に派遣して地域一帯を治めた。幕末には同様の役所が全国に60ヵ所以上あったと言われているが、当時の主要な建物がそのままの姿で今も残っているのは全国で唯一、高山陣屋のみ。その価値が認められ、昭和4年(1929)には国史跡に指定された。

明治維新の後、高山陣屋の建物は県庁、郡役所、支庁、県事務所などに使用されてきたが、昭和44年(1969年)に岐阜県教育委員会が保存に動き、16年の歳月と、約20億円の費用をかけて修復・復元。平成8年(1996年)に現在の姿となり、多くの観光客を集める。
建物の内部には、御役所、御用場、大広間、役宅、吟味所、白州、米藏、庭などが昔の姿のまま残されており、江戸時代の陣屋の様子を垣間見ることができる。

高山陣屋の門。一歩足を踏み入れると違う時代の空気が流れる
玄関を入ると真正面には「青海波(せいがいは)」模様の壁。「海の波のように永遠に平和な時代が続くように」という願いが込められている
御役所 (おんやくしょ) 。ここで役人が仕事をしていた
広々とした庭。ここも江戸時代の面影を残す

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