三十の手習い「茶道編」二、いい加減が良い加減。
こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。
着物の着方も、お抹茶のいただき方も、知っておきたいと思いつつ、中々機会が無い。過去に1、2度行った体験教室で習ったことは、半年後にはすっかり忘れてしまっていたり。そんなひ弱な志を改めるべく、様々な習い事の体験を綴る記事、題して「三十の手習い」を企画しました。第一弾は茶道編です。30歳にして初めて知る、改めて知る日本文化の面白さを、習いたての感動そのままにお届けします。
◇茶壺に追われる茶人の正月
11月某日。
今日も神楽坂のとあるお茶室に、日没を過ぎて続々と人が集まります。木村宗慎さんによる茶道教室2回目。前回のお稽古では「錦秋紅葉の11月」と教わったところ。大塚呉服店森村さんのご厚意で紅葉柄の帯を締めて今日のお稽古に臨みます。
「11月は茶人の正月といってお茶の世界にはとても大事な季節です。炉を開けて冬の、囲炉裏の設えにする『炉開(ろびらき)』と、八十八夜の頃に摘んで半年ほど熟成させた新茶を、茶壺の封印を切っていただく『口切(くちきり)』という行事が行われます。炉開と茶壺の封印を切る口切とは元々別なのですが、一緒になっています。そこに、茶壺が置いてありますね」
「『ずいずいずっころばし』という童歌があるでしょう。あれは宇治で取れた新茶を信楽焼の茶壺に詰め直して、新緑の間に久能山の氷室に運んで半年熟成させて霜月の声を聞くようになってから、行列を組んで江戸に下ったという話なんです。
行列に道を開ける庶民は、籠の中にいるのが本当に偉いお大名だったら大人しくしています。けれど茶壺一つにさえ平伏させられるのはごめんだからとみんな家に逃げて、戸をピシャッと閉めるのが、『茶壺に追われてとっ(戸)ぴんしゃん』と歌われているのですよ」
へぇ〜、と感嘆の声が室内に広がります。子供の頃に遊んでいた歌が、お茶と繋がっていたなんて。
「炉開の時にいただくお菓子に、亥の子餅(いのこもち)があります。お玄猪(げんちょ)って聞いたことはありますか?お玄猪の節句と言って猪にちなんだ祝儀事です。稲作農耕の日本では、お米が取れることはとても大事なことで、11月の亥の日に、初めてできたお米で小さな碁石大のお餅を作って、それをみんなにふるまうんです。猪って子沢山で生まれた子供が死なないところから、家の繁栄に繋がるといってお玄猪の節句が生まれています。それが炉開と日が近いので、行事が混ざっているんですね。特に猪は愛宕さん、火の神様の使いやというので、囲炉裏を開けたおり、火伏せの願いも込めて、亥の子餅を喜んでご祝儀にいただくようになりました。
このようにお茶の文化というのは、年中行事と深い縁があるものです。中国から来た行事もあれば、日本にもともとあったものもあって、適当にリミックスしてある。いいかげんが良い加減。厳密にやることではなく、うまく取り込んで、もてなしの中にヒントとして入れていくというのが楽しみ方です。さあ、では一つ目のお菓子、亥の子餅をどうぞ召し上がれ。せっかくだからお菓子を出すところも実践してみましょう」
なんと突然のご指名で、お菓子を運ぶ役目を拝命。宗慎さんに都度都度ガイドいただきながら、ようようお客さんの前に菓器を運んで、お辞儀をします。
ふわ、と頭を上げたところで、宗慎さんの指導が。
「お客さんよりホスト側が頭を上げるのが早い。はい、もう一回」
もう一度、相手の気配に集中しながらほんのすこしだけ、ゆっくり頭を上げる。今度はなんとかうまくいきました。しかしまだまだぎこちない。
◇お箸の持ち方にも、ひと手間の贅沢
お稽古は加速していきます。続いてお菓子の取り回し方にも理想の姿があることを、実際にやりながら教わります。
「お箸の持ち方一つでも、ひと手間の贅沢をすることです。左手を器に添えながら、右手でお箸を上から持つ。今度は左手で下から受けるように持ちながら、右手で持ち変える。1回でできることは、2回かけてやるのです。人前で食事をするときには、ひと手間を加えることが動作をキレイに見せるコツです。これで1日3回は、所作を美しく見せる練習ができるんですよ」
これは何も、美しく見せるためだけではないようです。着物も、畳ですら、何かあってもたいていは復元することができる。けれど、器は元には戻せない。お菓子を取るときにまず器に手を添えるのは、器を何より大事にする、その気構えがあってのことですよ、と教わりました。道具や人に巡らせる気持ちがあってこそ、美しい所作は生まれるのですね。
「お菓子をとったら、懐紙の端でお箸を拭きます。懐紙は分厚いまま、わさ(折山)を膝に向けて置いておく。懐紙の端を1枚取って、お箸の端をちょっと拭きます。これはしっかり拭かなくても良いのです。『できるならキレイにして差し上げたいと思っています』という気持ちの現れです」
ここにも、相手に思いを致す、そんなお茶の精神がさりげなく息づいていました。
お辞儀をする、お菓子をいただく、簡単なようで、何も考えずには美しくおさまらない。数々の所作を積み重ねていただく亥の子餅は、しっかり甘く、気を張っている体にじんわり染み渡ります。そこに宗慎さんが炉開の解説を続けてくださいました。
「本当はお茶の正月なので、正式にはお雑煮を出すのです。さらに、茶壺を届けに来るお茶屋さんが届けてくれる季節の干し柿と栗を使って、そのお菓子をお茶席でお出しするというのが元々のルールでした。でもそこまでやっていると大層だからどうしたかというと、全部一緒くたに混ぜ合わせたニュアンスで、おぜんざいにしたのですね。蓋つきで温かい、さらにお餅が入っているというのが、日本人にとってはごちそうなんです。お茶のお稽古場で炉開の時によくお出しするのはおぜんざいか、亥の子餅です。
かたくならない程度に、しきたりを生活やもてなしの中に取り込む。お茶の世界はそういうヒントに満ちています。今月はそういうお取り合わせというもの、お茶では年中行事を組みあわあせて色々なことをするんだということをお伝えしたいと思います。この時期だけのお茶菓子もありますから、後で召し上がっていただけたらなと思います」
今日のテーマと次なるお菓子への期待を胸に刻んだところで、次は前回習った「礼」をさらに深く学ぶお稽古。先ほどうまくいかなかったお辞儀への残念もあり、気合が入ります。
◇真・行・草はフォーマル・ユージュアル・カジュアル
「お辞儀には3つの型があります。一番深々と頭をさげるのが真、会釈をする程度が草、草に少し丁重さが加わるのが行です。真・行・草。順にフォーマル・ユージュアル・カジュアルです。面白いのは、真が生まれた後は、行じゃなく草が生まれるんですね。御殿に住む天下人がわざと侘び数寄の草庵を作ったように、ハイエンドが生まれると、カジュアルが出てきます。
行は少し体が起きて、揃えた手が畳にしっかり付いていて、手のひらは浮いた格好です。横の人とおしゃべりができるのが行。目の前に食器があったりして、ちゃんとお辞儀はしたいのだけど諸般の事情で浅くなっています、というのが草です。指先をそっと置く程度。相手が深々としている時にこちらが草で受ける時もあります。いずれにしても心根が軽いわけではないのです」
さぁ、実践の時間です。
「どの型であっても、相手を大事にするということが大事です。相手が頭を下げている間は、ちゃんと自分も下げておこうということです。髪の毛一本と言うんですけど、客商売の場合は、目上目下が、必ずあります。キレイ事でなく、立場の違いはあるわけです。それを健全に意識して、髪の毛一本頭を上げるのを遅らせる。ほんのちょっと遅れる気配を出すわけです」
先ほどのやり直しが思い出されます。髪の毛一本。うまくいった2回目の時には、自分の動きどうこうよりも、相手の動きに集中していた気がします。
「この3つはお辞儀に限りませんよ。筆文字だと、楷書、行書、草書。道具選びもそうです。物事をやるときに、この3つの型は有効です。服のおしゃれ、着物の取り合わせ、なんでも言える事ではないかなと思います。自分が何かを行動するときに、物事の格を考えるということです。
挨拶は全ての基本です。キレイにお辞儀をすることで、その場の空気が変わります。空気を変えられたら、あとは自由自在ですから。そこから真に振るのか、草に砕けさせるのか。そういう融通の加減を、自分の中で支配する。自分でちゃんと構えを変えられるようになりましょう、ということです」
◇生け花に込める一期一会
「これは吹寄(ふきよせ)。年間通して最もフォトジェニックなお菓子です。農具に見立てた器に入れています。これが実物の道具をそのまま持ってきては、キレイにならないんですね。普段のお仕事もそうなんでしょうけれど、そのままで安住せずに、物事のボジティブなところを抜き出して、人に楽しんでもらえるところまでどう持っていくのかが編集です」
お菓子の運び方、取り回し方、お茶を点てる実践もかわるがわる行って、この時期の特別なお菓子「吹寄」をいただいたら、いよいよお稽古も終盤。代表で一人、花を活けることになりました。今日はとにかく実践あるのみ、です。
「誰かが花を活けているのを見るでしょう、そうすると今度から、花を見るようになるんです」
花を活ける際の宗慎さんからのオーダーは一つ。「自分に向けて正面から活ける」ということでした。
「正面があるというのが和花の特徴です。西洋の街ってどの門から入っても、教会のある真ん中の広場に行き着きますね。洋花は360度どこから見ても同じように美しく見せます。対して和花は、山道を辿っていくような見方をしないといけません。それは違う姿で美しく見えるということ。横や後ろから見ても美しいけれど、それは正面であり横であり後ろだということです」
お花を活け終えると、仕上げに少しの水を吹きかけます。
「花は花を見るのではなくて、最後に打ってある露を見るんです。朝露のおりた清々しいものを活けていますよというメッセージです。それが、お茶会が終わって帰るころには乾いている。一期一会の象徴でもあります。
ーでは、今宵はこれくらいにいたしましょう」
お辞儀の真・行・草も、お箸の取り方も、生け花の露も。言葉の外でホストとゲストの間を行き来する一つのメッセージの形。今日も目に見えるものの意味が一段と濃くなって、お茶室を後にしました。
◇本日のおさらい
一、年中行事や古いしきたりを、良い加減で暮らしやおもてなしのヒントに活かす
一、お辞儀の3つの型を使い分けるように、物事にあたる時は、その格を意識する
一、ひと手間の贅沢が、美しい所作への近道
文:尾島可奈子
写真:井上麻那巳