電気街・秋葉原の誕生秘話。その鍵は高架橋にあった
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土壁、塗壁、漆喰、石垣、板壁、レンガなど、その土地の歴史を知ることができる、特集「さんちの壁」。
今回は、首都東京だからこそ発展した「高架橋」を、さんちの壁として紹介しています。
日本で初めて鉄道が開通(新橋-横浜間)したのは明治5年のこと。
その後、東京を目指し、私鉄、国鉄、地下鉄が次々に開業。鉄道技術の発達とともに様々な高架橋が造られてきました。
日本で最初に高架橋ができたのも東京でした。
「神田、秋葉原周辺を歩くと、高架橋の歴史がよくわかりますよ」
そう語るのは、前編に引き続いてご案内いただく鉄道技術史研究の第一人者、小野田滋さんです。
前編では、東京駅の設計者でもある辰野金吾が東京駅の「試作品」として設計した幻の「万世橋駅」と、「万世橋高架橋」を訪ねました。
なんでもこの辺り、高架橋の宝庫なのだとか。
前編に引き続き、神田、秋葉原周辺にある高架橋を訪ねます。
幻の「万世橋駅」と「万世橋高架橋」を訪ねた前編はこちら:「東京駅には『試作品』があった。専門家と歩く東京の『壁』」
海を渡った橋
万世橋高架橋沿いを御茶ノ水方面に進むと、外堀通りにぶつかります。上を中央線が走っています。
「これは、明治37年にできた昌平橋架道橋です。ドイツ製の鉄橋です」
わざわざドイツで造って運んできた?当時の日本には技術がなかったのでしょうか。
「技術もなかったし、鉄ができなかった。明治34年に福岡の八幡製鉄所ができましたが、品質がまだよくなかったので、当時の鉄道製品はイギリス、アメリカ、ドイツ製のものが多いです」
「この架道橋は線路の下に砂利が敷いてあるので、音がちょっと静かなんです」
確かに電車が通過する時、大声を出さなくても話が聞こえます。
「都心の鉄道は騒音が発生しないように、砕石を敷いてあります」
なるほど。音を聞き分けてみるのも楽しそうです。
高架橋とは
そもそも、高架橋とはどういうものなのでしょうか?
「高架橋は、道路と鉄道の平面交差をさせない目的で作られたものです。道路が発達している市街地では、踏切を作るわけにいかない。立体交差をさせるため高架にしています」
東京では鉄道が開通した当時から高架鉄道にするという方針があったそうです。
あの本田宗一郎が働いていた!?
外堀通りを渡るとまた高架橋があります。
「明治41年にできた紅梅河岸高架橋です。円形のトンネルのようになっている、アーチ式の構造。アーチは、古代メソポタミア文明に起源があると言われる、歴史ある構造ですね」
ヨーロッパの古い建物などによく見られます。
「今、日本に現存する一番古い高架橋です」
これが!100年以上前のものが今も使われているんですね。
「昔は蒸気機関車が走ることを前提に造っているので頑丈にできています」
なるほど。
「ここには昔、昌平橋という駅がありました」
当時、甲武鉄道(現在の中央本線)が御茶ノ水駅から東京駅に向かって線を伸ばしていました。
昌平橋駅は、明治45年に隣の万世橋駅ができると廃止に。駅がなくなった後は町工場になっていたそうです。
「本田宗一郎さんが青春時代に働いていた自動車修理工場もあったそうですよ」
えー!すごい!ここで働いていたと思うとなんとも感慨深いです。
それにしても、高架下というのは昔からいろいろ使われていたんですね。
「東京の土地は限られているので、使えるところは何でも使おうと。昔は倉庫や事務所が多かったようです。飲食店が入り出したのは戦後あたりかなと思います」
上に上に
あの右側の水色の高架橋は、またすごく高いですね。
「この先の御茶ノ水で中央線と分岐する総武線の高架橋です。
中央線を超えて秋葉原に向かっていますが、秋葉原駅は先に山手線の高架橋が通っていたので、その上を越さなくてはいけません。それで、あれだけ高くなっています」
なるほど。既にあるものの上をいかなくてはいけない。
「物事には順番があるので、最初にできたものよりは上に。高さがよくわかるところがあるので、見に行ってみましょう」