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越前焼とは。一途に「庶民のうつわ」をつらぬいた北陸最大の産地とは

越前焼

どっしりとした温かみを感じる越前焼。越前海岸に面する海沿いの町、福井県の越前町を中心に焼かれています。

実は、越前は北陸最大のやきもの産地。歴史ある「日本六古窯」のひとつでもある越前焼の誕生から現代に至る歴史を追ってみます。

越前焼とは。土を感じさせる素朴な風合いが特徴

越前焼は、福井県内で作られているやきもののことをいう。

越前海岸に面し丹生山地に囲まれている越前町は、海の幸・山の幸に恵まれた土地として知られている。また、織田信長を輩出した織田家発祥の地としても有名だ。

その町で発展した越前焼は、昔から甕や壺、すり鉢など庶民が使う雑器が多く焼かれており、地元特有の鉄分を多く含んだ赤土を生かした素朴な味わいが特徴だ。作る際には陶工が粘土紐を積み上げて、板べら (刃がたな) で何度も薄くのばす「ねじたて技法」が用いられる。

提供 : 越前古謡博物館所蔵
提供 : 越前古謡博物館所蔵

越前焼の発祥は平安時代末期だといわれている。日本各地に伝わる多くのやきものの中でも特に歴史が古く、日本六古窯 (にほんろっこよう) の一つとしても知られる。

現在古窯200基以上が発見されており、中世からやきものの一大生産地であったことがうかがえる。

ここに注目。日用雑器であり続けた「素朴さ」が魅力

越前焼の日用雑器
越前焼の日用雑器

越前焼の特徴は、地元で取れる鉄分の多い高温にも耐える赤土を使った素朴な風合いにある。鉄分や粘土と共にアルミナやシリカを多く含んでいることから高い温度で焼いても割れず、締まりの良い丈夫な焼き物となる。

初期の越前焼では釉薬を用いないことが多く、薪が焼かれるときに素地についた灰が天然の釉薬の役目を果たし、自然な風合いを添えている。非常に硬く水分を通さないため、甕・壺・すり鉢といった日常雑器などが主に生産されていた。

近隣に三国港など大きな港町もあったことから、越前焼は陸路だけでなく、北前船などにより水路で各地に運ばれていくこととなり、北海道から島根まで広まっていった。現代でも、土の風合いを生かした技法は引き継がれ、その温かさ・渋みが多くの人に愛されている。

越前焼といえばこの人。水野九右衛門

提供 : 越前古謡博物館所蔵
提供 : 越前古謡博物館所蔵

水野九右衛門 (みずの・くうえもん) は、越前焼の研究家。全国に越前焼の名を広めた人物である。高校教師として働きながら40年に渡って「古越前」の研究を行い、多くの資料を収集、記録に残した。

越前の古窯、古越前とは、鎌倉、室町時代など中世に作られた越前焼のこと。実はそれまで越前焼の発祥や歴史はあまり明らかになっておらず、水野氏が師事していた小山冨士夫とともに研究を重ね、越前焼が中世から作られていたことがはじめて証明された。

水野氏はまた、「越前焼」という焼き物名の名付け親の一人でもある。昭和初期まで「織田焼」「熊谷焼」など、地区ごとの名前で呼ばれていた越前焼を、小山冨士夫や陶芸家の北野七左衛門らとともに「越前焼」と総称した。

1948年には、小山冨士夫が「越前は瀬戸・常滑・信楽・丹波・備前と匹敵する」と発表し、これが現在に伝わる「日本六古窯」の考え方の元となる。

こうして、名称を得て「日本六古窯」のひとつにも数えられた越前焼は、全国的に知られるようになる。

水野氏は歴史の中に埋もれかけていた焼き物の本来と将来を繋げた、まさに越前焼の恩人と言えるだろう。

現在、水野九右衛門のコレクションや研究は、「越前古窯博物館」に受け継がれている。

○越前焼といえばこの一冊。『炎の舞い』

福井県を故郷とする芥川賞作家・津村節子は、自身のふるさと5部作として『炎の舞い』『遅咲きの梅』『白百合の崖』『花がたみ』『絹扇』を著した。

どれも福井を舞台としており、5部作第1作目である『炎の舞』は、越前焼に関する小説である。越前焼名人の孫娘である女性が、新しい越前焼を作ろうと挑戦する物語だ。理想とする焼き物を作るために、試行錯誤を重ねる女性の姿を描いている。

また、同作に登場する越前焼の研究家は前述の水野九右衛門であり、老陶芸家は北野七左衛門 (きたの・しちざえもん) をモチーフとしているという。北野七左衛門は、織田村に八劔窯(現在の北窯洞)を開いた陶芸家であり、水野九右衛門、小山冨士夫らと共に越前焼の普及に努めた人物だ。実在の人物を題材にしており、越前焼のものづくりの様子を物語として味わえる。

越前焼の歴史

様々な越前焼
様々な越前焼

○奈良時代から須恵器づくりがはじまる

越前焼は平安時代末期にはじまるが、越前町周辺は奈良時代から平安時代前期まで、須恵器の産地だったことが分かっている。丹生山地ふもとで発見された丹生窯跡群では、60以上の窯跡が発見されている。須恵器とその後の越前焼は、別の焼き物であるが、古くからこの土地で焼き物作りが盛んだったことがうかがえる。

○始まりは常滑焼の学びから。次第に「らしさ」を得ていく南北朝時代へ

越前焼の壺
越前焼の壺

越前焼は、日本で農耕が一般的になった平安時代末期に作られはじめ、愛知県の常滑焼から技術を学んだといわれている。出土した初期の古越前の多くは、形状・質感・色ともに常滑焼によく似ており、同じく壺・甕・すり鉢などが作られていた。初期の生産地は越前町の小曽原周辺だったといわれる。鎌倉時代後期に入ると、生産地は熊谷 (くまたに)・平等 (たいら) へと広がり、やきものの産地として発展。

その後、南北朝時代になると、壺や甕に越前焼独自のヘラで線を引いたような文様や、櫛を使って装飾した櫛描きなどが見られるようになった。

○北前船に乗り北へ南へ。北陸最大の産地に発展

室町時代前期、平等 (たいら)に約40基の窯が完成。越前焼の大量生産が可能になった。

室町時代後期になると、敦賀などの港町から日本海側の流通を支えた北前船によって、北は北海道から南は島根まで日本海側の各地へと多くの越前焼が運ばれていくようになる。日本海側最大のやきものの産地だったといわれている。16世紀後半から17世紀に作られた岳の谷窯跡群からは、全長25mの大きな窯を中心とする窯跡が発見されており、このことからも大量生産を行っていたことがうかがえる。

その後、安土桃山時代に入ると、茶道が確立し茶陶が全盛となったが、越前焼は変わらず、壺や甕、小壺、鉢類などの日用雑器を作り続け、庶民の器を手がける産地であった。

○江戸時代に入ると生産は縮小。明治時代にも苦戦が続く

江戸時代初期から中期、17世紀の中頃にかけて、越前では越前焼特有の鉄分を多く含んだ土を生かした「越前赤瓦」が作られるようになった。金沢城や福井城の発掘調査では、平等 (たいら)で作られたと思われる赤い瓦が出土している。また、北海道函館市にある奉行所にもこの赤瓦が用いられた。江戸時代中期に入ると、越前焼の生産は徐々に縮小していく。当時の文献によると、燃料である薪や、粘土を集めるのに苦労したことが記されている。

一方、新しい技術の開発は進められており、江戸時代後期には、こね鉢・蛸壺・片口・徳利といった小物も焼かれるようになった。明治時代には復興を目指し、陶工を招致したり、徒弟養成所を作ったりと新たな試みを行なったが、依然として厳しい状況が続き窯元数は減少した。

○「越前焼」としての再生

近代にかけて衰退した越前焼だが、昭和に入って水野九右衛門、小山冨士夫、北野七左衛門らが越前地方に点在していた織田焼・熊谷焼といった焼き物を同じ歴史を持つものとして「越前焼」と呼び、日本六古窯に数えたことをきっかけに、全国的に名前を知られるようになる。「越前焼」という名は、水野九右衛門、小山冨士夫、北野七左衛門らが命名したといわれている。1965年には福井県の窯業開発振興協議会で、県内で作られるやきものはすべて越前焼に統一することが決定。

1971年、越前焼発祥の地である小曽原に越前陶芸村が作られたことから、再び窯元の数が増える。さらに1986年には、国指定の伝統工芸品にも指定され、越前焼は復興していった。

現在の越前焼。ものづくりの中心は越前陶芸村

ロクロ体験の様子
ロクロ体験の様子

現在、越前焼生産の拠点となっている越前陶芸村。一帯は窯元や若手陶芸家の工房などが点在するだけでなく、越前陶芸公園を中心に、福井県陶芸館、福井県工業技術センター窯業指導分所、越前古窯博物館、越前焼の館、文化交流会館、食事処、旅館などがあり、様々な角度から越前焼に触れることができる場所となっている。陶芸公園は遊ぶだけでなく、陶芸体験を楽しむことができる。

また、近年は越前町と鯖江市・越前市合同で、地域のものづくりの現場を見学・体験できる、体感型マーケット「RENEW」が開催され、越前焼の工房も参加。普段は見ることのできないものづくりの様子に間近で触れられる機会となっている。2017年には、越前焼を含んだ日本六古窯が日本遺産に認定されるなど、ものづくりの歴史を未来につなげる活動が続けられている。

越前陶芸村

福井県丹生郡越前町小曽原6-12

0778-32-3200

https://www.tougeikan.jp/

越前焼のおさらい

◯素材

鉄分やガラス分を含む土。高温で焼成する越前の土はよく締まる性質がある。

◯主な産地

福井県丹生群越前町

◯代表的な技法

ねじ立て技法とねじ立てロクロ技法がある。ねじたて技法は、職人が自ら回って粘土を円筒状に積み上げる。

◯数字で見る越前焼

・誕生 : 12世紀、平安時代末期

・焼き物事業所数 : 77(2020年時点)

・就業人数 : 95人(2020年時点)

・国指定伝統的工芸品 : 1986年

・日本遺産 : 日本六古窯として2017年認定

<参考>
・「旅する、千年、六古窯」プロジェクト 『『旅する、千年、六古窯』ガイドブック』六古窯日本遺産活用協議会 (2019年)

・仁木正格『わかりやすく、くわしい やきもの入門』主婦の友社 (2018年)

・北 俊夫 監修『調べよう 日本の伝統工業 中部の伝統工業』国土社 (1996年)

・やきもの愛好会 編『よくわかる やきもの大辞典』ナツメ社 (2008年)
・越前焼協同組合

http://www.echizenyaki.com/

・越前古窯博物館

https://www.tougeikan.jp/koyou/

・旅する、千年、六古窯 越前

https://sixancientkilns.jp/echizen/

・福井県図書館 デジタルアーカイブ

https://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/archive/da/detail?data_id=080-1903257-0

・福井県陶芸館

https://www.tougeikan.jp/

・福井県ホームページ 水野九右衛門先生年譜

http://www2.pref.fukui.lg.jp/press/atfiles/paR4126862842463.pdf
(以上サイトアクセス日 : 2020年7月19日)

<協力>

越前焼工業協同組合

http://www.echizenyaki.com/