【地産地匠アワード】「粗削りでもいい。答えを急がない。地域に光をあてる寛容なアワードに」審査員座談会(後編)

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※この記事は、中川政七商店が主催する「地産地匠アワード」についての関連記事です。詳しくはこちら


地域に根ざすメーカーと、地域を舞台に活動するデザイナーが共に手を取り、新たなプロダクトの可能性を考えるコンペティション「地産地匠アワード」。

本アワードの審査員4名による座談会。その後編をお届けします。

前編はこちら

機能以外の価値観を大切に育ててほしい

ー地域のデザインやものづくりの課題は、具体的にどんなところだと考えていますか

加藤駿介(以下、加藤):

工芸とか、産地って、基本的に機能的なものではないですよね。50年とか100年前はそうだったと思いますけど、今は違うじゃないですか。

たとえば、陶器のコップには、なにかを飲むっていう機能はあるけど、落としたら当然割れる。そうした時に「割れにくい」とか、そういう機能、新しい技術を目指してしまう。

そうじゃなくて目に見えない美しさ、佇まい、そういったものを育てていかないといけないし、そうしていれば自然と良いものができるんかなって思ってるんです。

工芸や産地の文化とかデザインとか、機能以外の価値観が重要やけど、意外と産地の人たちは気にしていない。

大治将典(以下、大治):

本当は、産地の人たちが「ここが欠点なんです」って言っていることこそが魅力だったりする。その欠点を魅力にひっくり返す力がデザインにはあると思っているし。そこを上手く見立てられるかどうか。

そうしないと「もっと軽く」とか「もっと丈夫に」という方向に走りすぎるんですよね。分かりやすいからだと思うけど、それをやろうとすればするほど、魅力が無くなってしまう。

坂本大祐(以下、坂本):

確かにそうやね。

加藤:

たとえばネジを作るという場合は、それでもいいと思うんです。安価で丈夫で使いやすくを目指すっていうのでいいと思う。

でもそうじゃないから、考えることがもっとあるはずなんです。

僕もそのためにお店をやったりしている。自分たちのものを発表するためではなくて、色々なものの価値観を見せたい。

木本梨絵(以下、木本):

機能を突き詰めた先に機能美みたいなものがあると思っていたんですが、逆に美しさから離れていってしまうんですか?

加藤:

離れるというよりは、どっちかになってしまう。

たとえば、この“アール”をどういう意図でデザインしたのかみたいな時に、機能でもあるし美しさでもあって、両立している。他方で、意図しない手仕事の揺らぎがなんとなくしっくりくることもある。この二つはそんなに離れていないと思うんです。

美しさと機能は両立するけど、みんなどちらか、特に機能に振り過ぎる。

木本:

「世界最軽量!」とかが分かりやすいってことですかね。

加藤:

そういうイメージですね。

木本:

なるほど。

ブルーノ・タウトが桂離宮のことを書いている本を読んで面白かったのが、この線とこの線を引いたら綺麗な斜めになりますみたいな、めちゃくちゃ合理的に引かれた線がある一方で、どうにも説明できない非合理な線もある。「なんでここなの?」みたいな。

合理的なものの中にめちゃくちゃな非合理が介在しているのがあの美しさの根源だって書いていて。日本の美意識の中に、合理と非合理の介在のさせ方っていうのが、オリジナリティとしてあるのかなって思ったりすると、ものづくりも建築も、全部繋がる部分があるような気がしました。

早急に答えを求めすぎない。ここから新たに生まれる産地があってもいい

大治:

僕の好きな哲学者の國分功一郎さんが最近『目的への抵抗』という本を出していて、

目的ってどうしても手段と一致しちゃうんだけど、でも目的外にもいいことあるでしょって仰っていた。それって凄く工芸に通じるなと。

目的から始まってもいいんだけど、そこからはみ出てもいい。その間に抜け落ちていることとかもあるよねと。

今の表現の仕方って、あまりにも分かりやすい方にいきすぎている気がするんです。バズんなくていいのにと思っちゃう。

木本:

みんな、答えが欲しいんだなと思っていて。

SNSに投稿する前に、バズるかバズらないかって分かるんです。投稿の中で、「こういうことがあった。つまり、こういうことなんだ」ってキャッチーな結論を入れるとめちゃ伸びるんですけど、逆に、「これは、こうではないだろうか?」みたいな余白を入れるとぜんぜん伸びない。余白を考えることが面倒になっちゃってる。

さっきの「世界最軽量」が分かりやすいというのも、答えがすぐ見つかることを欲してしまっているからなのかなって。そうすると、差し出す側も「すぐに答えを出さなければ」と思ってしまう。

でも、“問い”の価値ってあるはずで、みんなが速く答えを欲する世の中に、出し手側が迎合しすぎると怖いなって、最近凄く思います。

坂本:

実際のところ、地産地匠的なアプローチって、そんなに一朝一夕ではできないものだとは思ってて。昨日今日に出会って、一ヵ月経ったらプロダクトができて、売れました。ってことにはならへんやろうなと。これまでやってきた実感としてそう思うかな。

木本:

このアワードも、答えを求めすぎないというか。「売れそうだね」とか「量産見えてるね」とかで選ぶと急ぎすぎなので、「うーんこれはちょっと、でも、気になるなぁ」みたいなものに、「気になるで賞」みたいなものをあげるべきというか。

坂本:

「育てま賞」とかね。

木本:

完成度の高いものばかりが受賞作に並ぶのも、このアワード自体が答えを求めすぎているようになってしまって、違う気がします。

大治:

ほかのコンペだと新規性ってすごい大事なんだけど、今回は求めなくていいのかもしれない。既にあるプロダクトの「ここだけちょっと変えました」みたいなものも、それによって「めちゃめちゃよく見えるね」とか「こんな使い方あったっけ」となれば全然受賞していいと思うし。

見立て力ってデザイン力とほぼ一緒だと思うので。

加藤:

みなさん、審査員とか慣れてるんですか?

大治:

10年近くやってるからそれなりに。

審査の時になにが面白いかって、みんなのメガネが借りられること。僕から見たらこうなんだけど、みんなはどうだろう。そこでどんどん考えが混じるのが、めちゃめちゃ面白い。自分の脳みそがアップデートされる。

木本:

少し前に、とある広告賞の審査をやったんです。

その賞の場合は、選んだものが来年の広告の指針になるというか、こういうことをすればいいんだってみんなが思って広告を作りはじめる。

なので、「来年の広告ってどうなって欲しいんだっけ」「これは、誰に光を見せたいのか」「確かにいいんだけど、誤解を生まないか」みたいなことをずっと話し合うんです。

この地産地匠アワードも同じで、選んだものが未来のものづくりへのメッセージになっていくと思う。この先もずっと続いていって、“第60回地産地匠アワード”とかになっていくはずだから。

坂本:

俺はその頃にはおらんと思うけど(笑)。

でも、確かに!めっちゃ同感。

大治:

賞のラインアップとかバランスも凄く大事だと思うんですよ。賞が増えたり減ったりすることもあり得る。

木本:

そうですね。多様に選べるのがいいなって。

大治:

高岡クラフトコンペも、「個人的な視点賞」という名前で、審査員がそれぞれあげるものを作ったんですよ。

でもやっぱり、一等・二等・三等みたいなのは、合議で決めた方が面白くて。審査員一人のコンペってあんまり面白くない。可能性が見えないし、練られてないなっていうのがすぐ分かるから*。

※地産地匠アワードの第一回に関しては、グランプリ1点/準グランプリ1点/優秀賞3点/その他審査員特別賞を選出予定です

加藤:

長いスパンで考えて、選びたいなっていう気がしますね。

大治:

これがこの産地の始まりです。今は作り手2人ですけど、10年後には何百人になっているでしょう。みたいなね。

坂本:

確かに産地って、できあがったものだけを見てきたけど、本来はスタート地点があるもんね。今からその産地が始まったっていい。

大治:

僕が関わってきた十数年前とかは、産地問屋が弱くなって、メーカーが自分でプロデュース力を身につけなきゃいけない時代。今はいよいよ問屋が無くなって、工程ごとに分業制でものづくりしていた一社一社が団結しなければいけなくなってきた。

「俺たちのこの技術だけじゃ、産地のもの作れないよ!」ってなってる時に、新しいアイデアがデザイナーの方から出てきて「あ、そうか!」みたいなことが生まれればいいなと思います。

産地の人の見立てだとそれは商品になんないでしょ、っていうことも、見る人によっては全然なりえる。

坂本さんが話していた城谷さんの事例とかでも、それまではダメだったものに対して、逆に「そこが綺麗じゃん」と言えたわけで。

坂本:

そうそう。ロット によっては商品として違うものに見えるレベルなんですけど、それを是として捉えられる。それが良さなんだと。

本来はそうやって新たに見立てられたりして、産地の中でアップデートを続けられていたんでしょうね。それを手助けしてあげられたら。

大治:

昔は近くないと物理的に厳しかったけど、今は流通やデジタルツールがあるから、この技術とあそこの技術を組み合わせて、ということがやりやすい。

いわゆる下請けをやっていたところで、一社だけではプロダクトが作れないところもあるし。だから、トリオで応募するのもいいんじゃないですか?(笑)

坂本:

確かに。それはいい!

クラフト的なものづくりとは、不可抗力を魅力に転嫁すること

大治:

アワードの応募対象である「日本各地の風土や手仕事が活かされたプロダクト」って、どこまでが範囲なんだろう。

たとえば今、「クラフト」っていう言葉を、珈琲とかビールとかの人たちも使っている。

その中で、あらためて僕たちが使う「クラフト」の定義をどうしようかとずっと考えていて、最近結論が出たんです。不可抗力を受け入れて、活かしているかどうかだなと。

不可抗力が工芸の“揺らぎ”という現象の原点になっていて、そこにレバレッジを効かせているかどうか。それがクラフト的なんじゃないかと思います。

逆に、工業に近づいていくほど、不可抗力を抑えるし、活かそうとも思わない。

素材の難しさや、手で作ることの難しさを、どうやって魅力に転嫁しているかが、クラフト的なものづくり。

結果、できあがったものを指して「クラフト」と呼ぶのではなく、その作り方(行為)を動詞的に「クラフティング」と呼ぶのがいいんじゃないかなって。

そう思えば、応募できる人も増えると思うし。「自分たちは工芸っぽくないしな」じゃなくて「あ、大丈夫、作り方がクラフトっす! 」くらいの。そうすると規模とかも関係なくなってくる。

着地点もばらばらでいいんですよ。つぶが揃わないことが揺らぎになるだろうし。

その中でも見た人に前知識がなくても魅力的に見えるかどうかは大事で、そこは繊細だと思っています。

で、これも早急に答えを見つけなくて大丈夫。

アイデアって一人で考えるものではなくて、場が生むものなので。この4人で審査しながら、一緒に考え続けていけば、工芸やクラフトの響きが変わるんじゃないかなって。

クリエイティブ側に求められる「カロリー」を使う覚悟

坂本:

これから応募する人に向けて、特にクリエイティブ側に言えたらいいなと思うのは、「どれだけカロリーを使っているか」。それに尽きると思ってて。

その土地にいるかどうかも、距離が近ければ行きやすいというだけの話。近い人にアドバンテージはあると思うけど、ただ近いからと言ってカロリーを使っていなければ意味が無いし。
根性論的に聞こえるかもやけど、「時間」と「熱量」をどれだけ費やせるかって、やっぱりアウトプットに大きく作用するんちゃうかな。

大治さんが5時間でも「通勤」て言っているみたいに、カロリーは使うけど、そのことを面白がって、「それでもやるぜ!」っていう。腹のくくり方というか、覚悟はあった方がいいんじゃないかなと、俺は思う。結局、プロダクトになった時にその部分が見えてくるはず。

加藤さんはどう思う?

加藤:

僕の場合、相手にとっても自分にとっても、何がベストかっていうのを常に突き詰めるので、カロリーというか、予算とか時間とか関係なしに、やりがちです。(笑)

坂本:

別にそれを推奨したいわけじゃないんやけどね。(笑)

加藤:

はい。(笑)

でも、それくらいの気持ちがないと無理です。だいたいの人は、仕事やからっていう線引きでやめちゃうことが多い。

そうじゃなくて「やりたいからやる!」っていう熱量があるのは大事です。大変ですけど。

だから、ちょっと心配なのが、産地(メーカー)側とデザイナー側に温度差がある場合。どちらかがやらされてる感が出ちゃうと健全じゃないので。

坂本:

それはもう初めからコンビにならない気もする。

大治:

その関係性も啓蒙できるようになればいいよね。基本的にはデザイナーもメーカーも対等であるべき。でも、戦う相手ではない。一緒にやるべき相手。

僕たちの上の世代って、デザインというものを社会に認めさせる必要があって、ファイタータイプが多かった。今はそうじゃなくて、一緒に生き残らないと。

メーカーもデザイナーもそう思っている人が増えたとは思うけど、大きいところだと、まだ理解されてなくて、デザイナーを「作業をお願いする人」みたいに思っているケースもあると思うし。

間口の広い、寛容で多様なアワードにしていきたい

木本:

私がひとつ気にしたいのは、このアワードが、限られた世界に突き詰めていくニッチなものなのか、広げていく民主的なものなのか。ここをメッセージとして整理しておきたいんです。

民藝と工芸の違いを言語化できない人のほうが世の中には圧倒的に多いじゃないですか。そういう人たちがこのアワードを見た時に「なんか選民的なことやってるな」ではなく、「今までは地域のこと分からなかったけど、ちょっと興味あるし、やってみようかしら」くらいに気軽に参加できる。そうやって多くのデザイナーさんが関われる寛容なアワードでありたい。

もちろん、審査員にプロが集まっているから、間口を寛容にしてもプロフェッショナルなものは残るはずだし。

「地域のものづくりって関わりにくい」と思っていたような人が、この機会に応募してくれれば。母数の大きい方がクオリティの高いものになるし。

この第一回のアウトプットが二回目以降を左右すると思うので、(工芸の仕事に直接関わっていない)私が審査員としている意味として、ある程度民主化できる可能性を広げておいた方がいいと思っています。

大治:

いわゆる工芸のコンペみたいな“キレッキレ”なものが一等賞じゃなくて、「これで大丈夫?」みたいなものを一等にしたいんすよ。ほんとに。

ホームセンターに売っててもいいし、工芸の店にあってもいいし、なんか買いたいし。みたいなものが理想かもしれない。

一方で、工芸が「背景の無いグッズ」と化して魅力が無くなることには危惧がある。工芸が工芸のままであって、生きている人を感じるか。工芸の顔をして「ただの量産品じゃん」ていうものも本当に多いので、そうなってほしくないなって。

木本:

そうですね。

専門性と歴史を知ってるかと泥臭さ、みたいなところだけがフォーカスされない方がいいのかなって。

たとえば、距離が近い人にアドバンテージがあるかもしれないけど、パリに住んでる人が「Zoomで全部やっちゃいました!」みたいな場合も評価に値するかもしれない。

その場に住んでること、近いことがすべてではないかもしれないし。

その辺が広がると、中川政七商店がやるアワードっぽいなと思います。そのバランスが取れるといいなって。

加藤:

どんなものが出てくるんですかね。まったく想像できない。どれくらいの幅があるのか、楽しみです。

ー最後に、応募者や、興味を持ってくれる方へのメッセージをお願いします。

坂本:

審査員コメントにも書きましたけど、「地産地匠」って、「地」が二回も出てきている。それはやっぱり、地域にこれからフォーカスを当てるべきなんじゃないの、っていうのを伝えていくアワードだからだと思うんですよ。

そこに光が当たって、そこを見る人が増えるということ。それをやるべきだっていうことがアワードを通して伝われば。

そして、たとえば大治さんみたいなスタンスで地方のものづくりに向き合ってくれる人。そういう人が増えることを望んでいる。

俺らの時代は正直、食べていけるまで時間がかかった。なので、そうなれるまでが近く感じられれば。そういう道を選べるんだ、やっていいんだ。という風に背中を押したい。そんなアワードになればいいなって思います。

木本:

今だからこそ、軽やかでありたいなと思って。

日本は200年くらい鎖国していたからこそ、意味がわからないユニークネスが爆誕しているのが面白いところで。その鎖国が解かれて、世界と瞬時につながれて、今やあらゆる文化とか土地が溶け合っている。

その中で、「うちのオリジナリティを守るんや!」と固執したところで無理なんです。むしろ溶け合ってしかるべき。この時代だからこその、間違った使い方とか、ルールを破っていること、そういうことが許容されるのがこのアワード。というのが今らしいのかな。

「過去こうだった」を継続するというよりは、「今の時代にあった今のもの」を作ればいい。それくらいの気持ちで、気楽にやれると素敵なのかなと思います。

加藤:

やっぱり、自分の頭で考えて、自分で手を動かしている人たちを応援したい。やりたいって気持ちがないのに、仕方なくやってるみたいなものがあまりにも多いので。そうじゃなくて、自分で考えてやっている人たちを見たい。粗削りでも全然いいので。

むしろ、最近は綺麗なもの、置きにいったものが多すぎる。駅とかのお土産が分かりやすくて、昔よりパッケージは綺麗になったけど、なんか個人的にしっくりこない「昔のままのがいいやん」ってのがいっぱいある。無いものねだりなのかもしれないですけどね。

大治:

メーカーとデザイナーが一緒にやることが起爆剤になればいいなと思います。 

結局、ものを作っただけでは場所ができない。でも魅力的なものがないと、それもはじまらない。どんなに土を肥やしても、種がないと育たないし、食べたい人がいないと意味が無い。

それを全方位でやらないと駄目だと思っていて、中川政七商店がいるからそれができそうな気もしています。

その産地っぽくなくてもいいけど、そこで始まっていることとは、なにか繋がっていてほしい。繋がっていることが大事という意識は持っていてほしいというか。外側じゃなくて中心ですね。どんなものが集まるのか。たくさんの応募を楽しみにしています。

地産地匠アワードの詳細はこちら

座談会前編はこちら


文:白石雄太
写真:中村ナリコ

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