お茶のキーアイテム「茶杓」を自分の手で作る!茶杓削りに挑戦
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こんにちは。ライターの小俣荘子です。
様々な習い事の体験を綴る記事、「三十の手習い」。現在「茶道編」を連載中ですが、今回はそのスピンオフ企画を前編後編の2回に渡ってお届けしています。
室町時代から続く茶筅 (ちゃせん) の一大産地、奈良県の北西に位置する高山。この地で500年以上、茶筅作りを続け、江戸時代に徳川幕府によって「丹後 (たんご) 」の名を与えられた茶筅師の家、和北堂 (わほくどう) 谷村家を訪ねました。 (前編では、茶筅作りを見学させていただきました)
茶杓作りに挑戦!
谷村さんの工房では、茶筅作りの見学のほか、茶筅作りの最終段階である糸掛けや、茶杓 (ちゃしゃく) 削りも体験できます。(※見学、体験ともに要予約)
せっかくの機会ですので、茶筅作りを見学した後、「茶杓削り体験」もさせていただくことに。
ご一緒した、さんちの連載「気ままな旅に、本」でもお馴染みブックディレクターの幅允孝さん、中川編集長とも親交の深いJFL奈良クラブGMの矢部次郎さん、中川編集長と挑戦です。
個性表れる自作のキーアイテム
お茶が始まった当時は、お茶をすくうのに薬さじが使われていたといいます。薬さじは毒によって色が変わるとされた象牙や銀などでつくられていましたが、象牙の代わりに、手に入りやすい竹を用いて作られ始めたのが現在の茶杓の原型なのだそうです。
竹で作られた当初は節の無い部分を使って作られていましたが、千利休が節を生かすことを試みます。竹のもつ独特のフォルムを象徴的に生かし、素材の持ち味を際立たせるというアイデアにより、現在なお使い続けられている茶杓のデザインが誕生しました。単に手に入りやすい素材だからと竹を使うのではなく、竹の特徴を美しさとして示すことで、「あえて竹で作る」意味を見出したのですね。
茶杓は、茶人が自らの手で作って個性を表現できるもの。偉大な茶人の茶杓が分身として後世まで大事に残されたり、銘をつけて、共筒に入れて保管する習慣も定着していきました。現代のお茶会でも、その会を象徴する重要なアイテムとして扱われています。
誰もが作れるお茶のキーアイテム。そう聞くと、私も持ちたい!俄然やる気が湧いてきました。
さて、私たちが作る茶杓にはどんな個性が表れるでしょう。竹の種類や染みなどの景色、削る形によっても全く異なる茶杓が出来上がります。まずは、谷村さんが用意してくださった竹の中からお気に入りの1本を選び、削り方を教わりました。
刃先に集中して、ひと削り。また、ひと削り。没入感を味わう
一度削り過ぎると、もう元には戻せません。持ち手の太さや櫂先の形など、仕上がりをイメージしながら少しずつ慎重に削っていきます。
部屋に響くのは竹を削る音だけ。ついつい夢中になってしまい、あっという間に時間が過ぎていきます。ひと削り、ひと削りに集中していると、心が整うような‥‥澄んだ心になるような不思議な気分をみなさんと味わいました。
茶杓には個性が表れるということでしたが、削り方も人によって様々。素早い手つきで、細い繊細な柄を削り出していく矢部さん、同じく細い柄を生み出すのにゆっくりと刃を当てていく幅さん。中川編集長はしっかりとした太めの柄を時間をかけて整えていました。
そんな丁寧な仕事ぶりの男性陣の横で、豪快に刃を当てて削っている自分に気づき恥ずかしくなっていると、「意外と女性の方が思い切りが良かったりするんですよ、削りすぎに気をつければ大丈夫です」と声をかけてくださる谷村さん。励ましていただき再び集中します。
形が整った後は、ヤスリをかけて仕上げます。
「よし!これで!」と決意して銘をつけて完成させるも良しですが、作り始めるとなかなか決心がつかず、持ち帰って家で仕上げる方も多いそうです。
お互いの茶杓を見比べていると、それぞれのこだわりや美意識が伺えたり、茶杓を通してその方のお人柄を感じたり。本当に全員違うものができああがるので、ものを通じて語り合う楽しさがありました。
これで完成!と決意された幅さん。茶杓につけた銘は「初陣」。 初の挑戦を戦国の武将たちになぞらえるようなネーミング、かっこいいです!
「銘をつけるまでが茶杓作りです。完成させてくださいね」と、谷村さんに笑顔で送り出していただきました。
こうして作ってみると使ってみたくなるもの。後日、ピクニックに出かける際に作った茶杓を持っていき、略式でお茶を点てて友人たちに振る舞ってみました。お茶を楽しむきっかけがまた一つ増えて嬉しくなりました。 (ちなみに、私の茶杓の銘は「大味」としました。大雑把な私の性格が表れた茶杓ですが、屋外でおおらかに使うのにぴったり!ということでここはひとつ‥‥) 。
<取材協力>
和北堂 谷村丹後
住所: 奈良県生駒市高山町5964
文・写真:小俣荘子