旅先では「壁」を見るのがおもしろい。焼き物の町・有田のトンバイ塀
エリア
旅先で出会う風景や街並み。
いつもとちょっと目線を変えると見えてくるものがあります。
たとえば、壁。
土壁、塗壁、漆喰、石壁、板壁。
あらゆる壁には、その土地に合った素材、職人の技、刻まれた歴史を見ることができます。
何も言わず、どっしりと構えている「壁」ですが、その土地の歴史をしずかに物語っているのです。
いざ、さんちの「壁」に目を向けてみるとしましょう。
この壁、何で作られているでしょう?
焼き物の町、有田。
ここには、焼き物の町ならではの壁があります。
トンバイ塀です。
トンバイ塀とは、登窯の内壁に使われた耐火レンガの廃材や使い捨ての窯道具、陶片を赤土で固めた塀のことで、江戸時代から作られています。
今は少なくなってしまいましたが、町の中心部である内山地区の裏通りに点在し、全て合わせると900メートルほどになるそうです。
トンバイ塀、眺めるほどに、窯のあと
トンバイ塀にはどんな歴史が刻まれているのでしょうか。
有田町役場商工観光課の深江亮平さんに、現存する中でも一番古い、1830年頃に建てられたトンバイ塀を案内していただきました。
「こちらが、17世紀のはじめに操業、1668年から皇室に納め続けている窯元、辻精磁社さんです。ここのトンバイ塀が最古のものと言われています」
「登窯の耐用年数は10数年で、使い終わると窯を壊します。その時に廃材がたくさん出るので、それを使って築かれたものです」
よく見ると、レンガだけではなくいろいろなものが埋まっています。丸いものはなんでしょう。
「これは窯道具のハマとかトチンです。焼き物を窯に入れる時に、焼成中の歪みを防いだり、窯の効率をよくするために使うものです」
ツルツルしているのは釉薬がかかっているのでしょうか。
「登窯は松の木などの薪をくべて焼くので、松の油が飛んだり、灰がかかったりして、自然に釉薬がかかって、いろんな色になっているようです」
窯の中で高温に熱され、釉薬のかかったレンガや道具は廃材とはいえ、なんとも美しい色合いになっています。
「おそらくですが、元はこの上に漆喰が塗られていたと思われます。これは基礎部分。本当は白い壁だったものが、漆喰が剥がれ落ちて、中の基礎部分が露わになっている状態ですね」
なるほど、レンガが不規則に並んでいるのは基礎部分だから。偶然の産物とはいえ、風化したことで味わい深い壁になったんですね。
トンバイ塀に見る有田の歴史
有田焼は17世紀初頭、朝鮮陶工の李参平が泉山に陶石を発見し、窯を築いたのがはじまりといわれています。その後、有田の磁器は国内外で珍重されるほど人気となり、有田は焼き物の町として発展していきます。
「トンバイ塀のある裏通り」とよばれるこの辺りには、多くの窯元が立ち並んでいました。
トンバイ塀はいつ頃から作られたものなのでしょうか。
「実はよくわかっていません。有田は1828年の大火で町が全焼して、古文書が残っていないんです」
1828年、有田の町は「文政の大火」に見舞われました。台風による大風で窯の火が燃え広がり、町は全焼。その後、復興を遂げるまで、焼け出された町民の中には、登窯で生活した人もいたそうです。
「今ある家やトンバイ塀は1830年以降に建てられたものがほとんどです」
技術の漏洩を防ぐため
「表通りは器の卸をする商家で、裏通りに窯元や職人たちの住まいがありました。町並みを流れる川沿いに窯元があったのが特徴ですね」
有田焼は陶石を粉にし、水に溶かして粘土にしたもので作っていきますが、かつては陶石を粉にするために「唐臼」が使われていました。唐臼は水力で動かすため、窯元が川沿いに多く立ち並んでいたようです。
その窯元を囲むように築かれていたトンバイ塀。廃材を利用したリサイクルとしてだけでなく、陶工の技術の漏洩を防ぐ意味もあったそうです。
「有田焼の工程は歴史的に分業になっています。それは、一つ一つの技術のレベルを上げるためでもありますが、一人で全部でき、その技術を持って逃げる人が出ないように分業にしていたようです。そういう意味でも各窯元でトンバイ塀を作って技法を守っていたんだと思います」
壁を作ることで中を覗かれないようにしていた。でも、それにしては塀が少し低いような気もします。
「この高さだと中が覗けますが、本当は2メートル以上あります。昭和に入って道路が高くなったため、塀の高さが当初よりも低くなっているんです」
うーん、知れば知るほど歴史がつまっています。
そもそも、なぜ、「トンバイ塀」なの?
今も、トンバイ塀は作られているのでしょうか。
「現在は登窯も少ないので、新しく作られることはあまりありませんが、壊れたら窯元さんが補修しているようです」
かつては技術を守るために築かれたトンバイ塀ですが、今は焼き物の町を象徴する風景として、大切に守られているんですね。
登窯を再利用して作られた壁は、焼き物の町ならでは。
ほかでは見ることができない風景です。
最後になりましたが、なぜ「トンバイ塀」と呼ぶのでしょうか?
「“トンバイ”とは、耐火レンガのことです。語源がわかっていないのですが、朝鮮語説、中国語説など、いくつかの説があります。窯道具の“トチン”や“ハマ”もそうですね」
朝鮮や中国から技術が伝わってきた歴史を感じます。
高温で焼かれ、釉薬のかかったレンガに触れると、技術を磨き、切磋琢磨していた陶工たちの姿がよみがえるよう。
今回はそんな「さんちの壁」でした。
取材協力:有田町役場商工観光課
文 : 坂田未希子
写真 : 菅井俊之