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奈良墨とは

「極上の漆黒」の歴史と現在の姿に迫る

奈良墨の基本情報

  • 主な産地

    奈良県奈良市

習字の授業などで一度は手にしたことがある墨。その約95%が、実は奈良で作られているのをご存知でしょうか?今回はきっと誰もがお世話になっている「奈良墨」の歴史と現在を紹介します。

奈良墨とは?

奈良墨とは奈良県奈良市で生産されている墨。日本国内における固形墨のほとんどが奈良墨とされ、国内シェアは95%にのぼる。その製法は1400年に渡って職人の手によって受け継がれ、書の歴史と共に歩みを進めてきた。奈良墨によって書かれる文字は正に漆黒であり、書に起こすと極上の艶やかさと濃さが表れる。古代の伝統を受け継いできた職人によって生み出される逸品である。

特徴と使われ方

奈良墨の制作工程には墨職人の繊細な技術が必要なため機械化できる作業がなく、その製造方法は140年前から変わっていない。奈良墨が作り出される鮮やかな職人の作業は見る人を圧倒し、魅了する。

墨の成形

奈良墨には不純混合物はほとんど見られず、成分の粒子は細かく均一である。そのため墨色の変化もなく、深みとつやを含んだ墨色が出るのが特徴である。

また墨を磨る際の硯あたりも滑めらかで、磨った後の墨のすり口には強い光沢が照り映える。

奈良墨は実用的な側面の他、美術工芸品としての一面も併せ持っている。

株式会社古梅園の極上油煙墨(金巻)
株式会社古梅園の極上油煙墨(金巻)(http://kobaien.jp/gokujyousumi.html)

「身が詰まった墨ほど木型の木目が移っている」と言われるように墨の形を決める墨型は奈良墨を製造するに際して重要な工程であり、墨型彫刻師という墨型を制作する専門の職人が木型に微細で寸分の狂いもない模様を墨型に刻み込む。

墨型

「千文字」と呼ばれる、型の中に千文字を刻み込む墨型も制作されるほど専門性と知識を必要とする高度な分野で、現在日本で墨型彫刻を専業で行なう職人は、奈良の中村雅峯 (なかむら・がほう)のみであり、黄綬褒章を受章している。

奈良墨のお手入れ方法

固形墨に使用期限はないが、液体墨は目安として2~3年で使い切るのが理想とされている。墨を磨る際には力を入れず、ゆっくりと磨ることで奈良墨本来の美しさ、濃さが表れる。

硯

・手入れ方法

墨を使用した後は、磨墨面を半紙でふき取る。ヒビ、割れの原因となるので、急激な乾燥は避ける。

・保管方法

墨は直射日光や湿気の多い場所を避け、桐箱など湿度の安定した環境で保管するのが望ましい。

「奈良墨」の歴史。国内シェア95%の一大産地のあゆみ

日本の墨づくりの歴史は非常に古く、そのルーツは飛鳥時代にまで遡る。

・国内の墨の製造が始まった飛鳥時代

仏教文化が浸透した推古天皇の時代、墨は中国から輸入されていたものの、国内で写経が盛んに行われるにつれ、需要が追いつかず、国内でも墨の製造が始まる。『大宝律令』(701年) には墨を生産する4人の造墨手が存在していたことが記されている。この時代、国内では松脂を含む松の木を燃やして採取した松煙を材料にした松煙墨が主流であった。

・平安時代〜新たな墨との遭遇

仏教文化において写経は切っても切り離せない修行の一つであると同時に、役人達の書記業務にとって墨は必要不可欠なものであり、奈良の墨は寺社を中心に製造が続けられていた。特に藤原氏の時代を迎えた頃、財力の大きくなった興福寺の二諦坊 (にたいぼう) ※1では大量の墨の生産が行われていた。

平安後期、日宋貿易が盛んになると、中国からは植物油 (胡麻油など) を燃やして墨を製造する油煙墨 (ゆえんぼく) が国内に入ってくる。松煙墨と比べると墨の品質、濃さは圧倒的に油煙墨の方が高く、貴重な墨とされた。

※1二諦坊 (にたいぼう) ・・・興福寺に建てられた僧侶の住む建物のこと

・室町時代〜油煙墨の誕生

室町時代初期、興福寺二諦坊の燈明の煤を集めて作られた国内初の油煙墨が誕生した。それまで主流であった松煙墨と比較すると作り方も容易く、結果的に墨の主流は油煙墨に切り替わり、奈良でつくられる油煙墨は当時の奈良の別称である南都に基づいて「南都油煙」と呼ばれて墨の代名詞となった。これが奈良墨の誕生である。

・安土桃山時代〜奈良墨が全国へ

これまで寺社の指図で墨師が原料を寺社からもらい受け、墨を作って納めるといった職人仕事だったものが、織田信長の天下統一が進むにつれて、寺社の力が次第に衰え、さらに楽市楽座によって墨師が店舗を構えて商売をするようになる。中でもこの時代、松井道珍 (まつい・どうちん) は現在でも奈良市椿井町に店を構える「古梅園」を創業したことで知られている。

豊臣秀吉が天下を治める時代になると、日明貿易によって菜種油が伝来する。従来、油煙墨を製造する際に使用されていた胡麻油よりも菜種油は価格も安く、製造もさらに容易で、より多くの油煙墨が作られた。現在でも油煙墨の原料は菜種油が主流となっている。これを機に奈良の名産品として奈良墨の知名度は大きく飛躍することとなった。

古梅園墨談

・江戸時代〜奈良墨ブランドの確立

江戸時代、奈良は幕府の直轄地となる。幕府指導の元に奈良町が形成され、商工業の中心地となり、1670年には奈良町に約30軒の墨屋が存在していたとされる。この時代、古梅園6代目の松井元泰 (まつい・げんたい) は長崎に赴いて生産技術を研究し、奈良墨の改良に務めた。元泰はその成果として、「古梅園墨談」で現在に続く奈良墨の製法を記し、続く7代目の松井元彙は墨の代名詞となるほど普及した「紅花墨」を完成させ、奈良墨というブランドを確立させた。

・明治時代〜教育による墨の需要拡大

幕末に入ると墨屋は11軒にまで減るものの、小学校で書き方が必修科目になると再び墨の需要は高まり、37軒まで回復。明治維新によって学校数が増えると需要はさらに高まった。

・昭和時代〜墨の暗黒期

昭和に入ると若手職人や製墨業者の後継ぎが徴兵され、職人不足に陥ったことで生産が減少するが、文房具として墨の需要は高く、戦時統制品として生産を停止されることはなかった。昭和30年代には習字教育が復活し書道教室が増加したことから、再び墨の生産・需要が再び増加したが、液体墨の登場によって、固形墨の需要は大きく落ち込むことになる。

・平成〜伝統的工芸品の認定

現代では多種多様な文房具の発達によって、墨ばなれが進み、その需要は激減しているものの、2016年に墨型彫刻師である中村雅峯 (なかむら・がほう) が黄綬褒章を受章し、2018年に奈良墨は伝統的工芸品として経済産業省から指定を受ける。奈良墨の美しさや歴史を認知してもらうため、墨屋では様々な取り組みを行なっている。

現在の奈良墨

2016年時点で奈良墨を生産する墨屋は全国に14店舗存在する。墨づくりの体験などを行なっている工房も多い。例えば古梅園で開催している「にぎり墨体験」は、職人が練った生の墨を握って自分だけの墨を作るというもの。実際に奈良墨を製作している現場も見学できる。

墨が作られている様子

他にも墨屋ごとに、香りを楽しめる奈良墨を販売しているところや100種類以上の墨を試墨できる体験など、奈良墨を身近なものとして感じられるような取り組みが産地全体で行われている。

さらに「奈良墨」を知る

<参考資料>
・奈良製墨組合 編『奈良墨の継承と和膠生産の再興』奈良製墨組合(2013)
・日本アート・センター 編『日本の伝統工芸8 近畿』ぎょうせい社(1985)
・奈良市ホームページ
http://www.city.nara.lg.jp/www/contents/1147921135878/index.html
・奈良製墨組合(2016)「奈良製墨組合」
http://www.sumi-nara.or.jp
・錦谷雅之「墨の文化史 概説」(奈良保育学院研究紀要)
http://gakuin.shirafuji.ac.jp/gakuin/school/vol16/NarahoikuBulletin16-1_Watatani.pdf
・立命館大学アートリサーチセンター
https://artsandculture.google.com/exhibit/%E5%A5%88%E8%89%AF%E5%A2%A8/fAJypN9NWAVvIw?hl=ja

(以上サイトアクセス日:2020年2月25日)

<協力>
株式会社古梅園
http://kobaien.jp/topics.html

<関連の読みもの>
真っ黒で、美しい手。墨師の命を吹き込んだ「古梅園」の奈良墨
https://sunchi.jp/sunchilist/narayamatokooriyamaikoma/2896/2

無限の色を持つ、墨
https://sunchi.jp/sunchilist/tokyo/16361

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