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若狭塗箸とは。全国No.1シェアを誇る塗箸の歴史と今とは

若狭塗箸

江戸時代から漆器、塗りものが盛んだった福井県小浜市若狭地方。

現在は塗り箸も盛んで、日本全国の8割以上がここから生まれています。

小浜市といえば、2008年 (平成20年) に、時の米国大統領、バラク・オバマ氏に「オバマ」つながりで若狭塗箸を進呈したことでも話題になりました。

私たちの生活になくてはならない箸に込められた、若狭の職人のきめ細やかな技術の秘密に迫ります。

若狭塗箸とは。

若狭塗箸とは若狭塗の技法で作られる塗箸。

若狭塗とは福井県小浜市若狭で生産される漆器のことである。江戸時代前期に小浜藩の塗師 (ぬし) 松浦三十郎が中国の漆器を手がかりに、小浜藩の海底の様子をデザインしたのが起源とされている。当時まだ箸作りは盛んではなく、若狭盆、筆、筆箱、花見弁当箱が作られていた。「螺鈿」「蒔絵」「箔押し」「研出し」技法など200種類以上の手法が江戸時代に完成した。

若狭塗箸には、漆を塗り重ねる塗り込みや艶を出すための磨きなど、10以上の工程があり、アワビの貝殻や卵の殻、松葉を使って若狭塗独特の模様がつけられる。

若狭塗箸作業風景

ここに注目。海の底をイメージした貝殻や卵殻の意匠

若狭塗箸の特徴は、海底を連想させる貝殻や卵の殻を色とりどりの色漆で十数回塗り重ねるところにある。塗り重ねた漆の層を丁寧に磨き上げることで、美しい海底のような質感が浮かび上がる。

また、若狭塗箸の箸先は細くとがっていることから、「鶴のくちばし」とも呼ばれ、縁起の良い長命長寿の箸とも称された。

若狭塗箸の使い方、洗い方、保管方法

◯使い方

素地に天然木が使われているため、電子レンジ・オーブン・食器洗浄機・乾燥機の使用は避ける。

◯洗い方

使用後すぐにぬるま湯で洗う。塗物のため、たわしや磨き粉の使用は避け、柔らかいスポンジで中性洗剤を使って洗う。洗った後は、水気を残さないように丁寧に拭き取る。

◯保管方法

変色が起きないよう、直射日光が当たらない場所に保管する。乾燥を防ぐため風通しの良い場所で保管する。

若狭塗箸の豆知識 全国の作り手を支える縁の下の力持ち

若狭塗箸は塗箸の全国シェア8割を超える生産量を誇るが、そのことはあまり知られていない。

その理由は、木地の製作から塗りまで若狭で行っていても、最終の上塗りや加飾を加える工程を行う漆器の産地が異なれば、その最終工程を行った産地が産地名として記されることによる。

それぞれの産地も独自に製造することができればいいのだが、木地の製造から手がけるには新たな設備が必要となり、手間もかかることなどから若狭が塗箸生産の多くを担っている。

そもそも、若狭塗とは。「お椀」がない不思議な漆器産地

1635年 (寛永12年) 、若狭藩主となった酒井忠勝が若狭で作られる漆器を「若狭塗」と命名し、藩を挙げて手厚く保護した。

質素倹約が良しとされていた徳川時代、螺鈿 (らでん) などを施した華やかな若狭塗を使えるのは、一部の公家や武家、裕福な商家のみであった。

漆器といえば汁椀、飯碗などのイメージがあるが、若狭塗では庶民的な生活道具であるお椀があまり作られていない (基本的に注文生産) のはこのことによる。

◯シーボルトも愛用した「若狭塗」

シーボルトの著書『日本』にも若狭塗は登場する。

掲載されているのは、江戸初期に作られた花見弁当で、若狭塗特有の松の葉を使ったおこし模様が施されている。

螺鈿で鳳凰の絵が施された酒入れがセットになっており、当時の優美な様子が伝わってくる。

若狭塗箸の歴史

◯神様から貴族、庶民へ、箸の広まり

箸が中国から日本に伝わったのは、弥生時代末期といわれている。

当時の箸は、神様が使う神器とされ、天皇だけが使用することを許されていた。その形状は、細く削った竹をピンセット状に折り曲げたものであった。

一般の人々が食事をする際はまだ手づかみで、『魏志倭人伝』にも、日本人は手食であったとの記述がある。

飛鳥時代になると、聖徳太子の命により派遣された遣隋使が、箸と匙 (さじ) をセットにした中国式の食事作法を持ち帰ったため、貴族は普段の食事に箸を使うように。

奈良時代頃からピンセット状ではなく、2本1組の箸が使われるようになり、一般の人々も竹や木を削った箸を使うようになった。

◯箸を使った日本独自の「食」が確立する

箸だけを使って食べる日本独自の食事法ができたのは鎌倉時代。この頃に箸がお膳の上に添えられるようになったことから、箸のことを1膳、2膳と数えるようになったとされる。また、繰り返し使う箸をより丈夫にするために、箸に漆が塗られるようになった。

室町時代には、箸で食べやすい日本料理の原形が完成する。

◯お殿様が愛した「若狭塗」の登場

江戸時代になると、飲食店が流行ったことで、箸が広く普及した。

日本の漆器産地のほとんどが江戸時代に確立したとされ、塗箸が多様化したのもこの頃。若狭でははじめ、お膳、すずり箱、弁当箱、お箸、菓子器、重箱などが作られていた。この若狭で作られる漆器の美しさに若狭藩主の酒井忠勝が惚れ込み、これを「若狭塗」と命名。

江戸中後期は若狭塗の黄金時代といわれ、螺鈿や蒔絵など、実に200種類以上もの技術が完成したといわれている。

若狭塗

◯海外進出とデザインの多様化

明治時代に、スギの端材を有効活用するために割り箸が誕生。

1878年(明治11年)、パリ万国博に若狭塗が出品され、徐々に若狭塗の海外進出が試みられていった。

大正から昭和にかけて、古くからの伝統的なデザインだけでなく、新しい時代に合うモダンなデザインの創作にも力が入れられ、幅広い作風のものが作られるように。

◯若狭塗箸が全国へ

1955年 (昭和30年) には、作業効率の良い化学塗料が開発され、塗箸の大量生産が可能に。これにより若狭塗の市場シェアは全国へと拡大していった。

ここで買えます、見学できます。「お箸のふるさと館WAKASA」

お箸のふるさと館WAKASA
お箸のふるさと館WAKASA

「お箸のふるさと館WAKASA」は若狭塗箸協同組合のショールームで、常時3000種類ものお箸が展示即売されている。

また2009年にギネス認定された世界一長い箸が館内にある。8.4メートルもあるその姿は圧巻のひと言。

ギネス認定された世界一長い箸
ギネス認定された世界一長い箸

屋外にある箸蔵神社では、毎年8月4日箸の日に箸供養が行われている。

お箸のふるさと館WAKASA
http://www.wakasa-hashi.com/

関連する工芸品

漆 : 「漆とは。漆器とは。歴史と現在の姿」
https://sunchi.jp/sunchilist/craft/109680

若狭塗箸のおさらい

◯素材

・木もしくは竹

◯主な産地

・福井県小浜市

◯代表的な技法

漆を塗り重ねる「塗り込み」や艶を出すための「磨き」など、10以上の工程があり、全てが手作業で行われる。貝殻や卵殻を十数回も塗り重ねた色漆の上にちりばめ、石や炭を用いて丹念に模様を研ぎ出して仕上げる。

◯数字で見る若狭塗箸

・誕生 : 江戸時代前期

・従事者数 : 1713人

・現在の生産量 : 約7200万膳

・売上高 : 約100億円

(数字は「若狭もの」サイトより)

<参考>

・高橋隆太 著 『究極のお箸』三省堂 (2003年)

・伝統工芸のきほん編集室 著 『伝統工芸のきほん② ぬりもの』理論社 (2017年)

・萩原健太郎 著 『民藝の教科書③ 木と漆』グラフィック社 (2012年)

・農林水産省 日本の箸 いろいろ

https://www.maff.go.jp/j/pr/aff/1605/spe2_01.html
・兵左衛門

https://www.hyozaemon.co.jp/culture/history/
・FUKUI若狭ONE WEB 箸のふるさと館

https://wakasabay.jp/list/detail?genre=spot&id=5d6f6ae67765619cb2b70100
・御食国若狭おばま食文化館

http://www1.city.obama.fukui.jp/obm/mermaid/index.php
・若狭塗箸

http://www.wakasa-hashi.com/

・若狭もの

http://www1.city.obama.fukui.jp/obm/kankou/wakasamono/

(以上サイトアクセス日:2020年4月20日)

<協力>
若狭塗箸協同組合

http://www.wakasa-hashi.com/

御食国若狭おばま食文化館

http://www1.city.obama.fukui.jp/obm/mermaid/

若狭工房

http://wakasa-koubou.com/