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木曽漆器とは
庶民に愛された漆器の歴史と現在
漆の艶やかな色合いが美しい「木曽漆器」。
使い続けることでさらにその美しさを増すその漆器は、日々の食器として、またハレの日を彩る器として愛されてきました。
美しく、丈夫な木曽漆器はどのようにして生まれたのか、その背景や特徴を歴史とともに紐解いてみましょう。
木曽漆器とは。
木曽漆器とは、長野県塩尻の木曽平沢 (旧楢川村) を中心に作られている漆器。江戸時代に栄えた宿場町、奈良井宿で白木細工に漆を塗ることから発展した。
「木曽路はすべて山の中である」という島崎藤村の小説『夜明け前』の書き出しはあまりにも有名だが、その言葉どおり、山々に囲まれた木曽谷は昔から良質なヒノキの産地として知られていた。
古くからヒノキの木製品が作られていたが、白木のままでは器として使いにくいため、漆を塗って使いやすくしたのが木曽漆器のはじまりだといわれている。海抜900mの高地にある周囲を山々に囲まれた湿潤な気候は、漆を塗るのに適していたという。
江戸時代になると、奈良井宿は江戸と京を結ぶ中山道の主要な宿場町となり、多くの旅人で賑わうように。そこで旅土産として知られるようになったのが、漆を施した生活用品である。
当時、漆器の多くは蒔絵や金箔を施した上級の武士や豪商しか手に入れられない高級品だったが、シンプルな木曽漆器は庶民でも気軽に買い求めることができ、軽くて丈夫な木曽漆器はお土産品として人気を集めた。
自然環境に恵まれ、中山道の街道文化に育まれて、木曽漆器は庶民に愛される漆器へと成長したといえる。
ここに注目。発展を支えた「錆土」と、表情豊かな3つの技法
◯漆器に強度を与えた「錆土」
木曽漆器が発展してきた理由の一つに、漆の美しさだけでなく、日々の生活に使える丈夫さがある。木曽漆器に頑丈さをもたらしているのが、地元でとれる鉄分を多く含んだ土、「錆土 (さびつち) 」だ。
「錆土」は、木曽漆器の下地の材料に使う。漆との混ざりがよいのが特徴で、漆などとこの「錆土」を混ぜ合わせて下地をつくり、白木に塗る。この「錆土」を使うことにより、木曽漆器は欠けたり割れたりしにくい頑丈で質の高い漆器となるのだ。
木曽漆器の代表的な技法は3つあり、それぞれの技法によって大きく表情が変わる。同じ産地でありながら、技法の違いによってもたらされる豊かなバリエーションに注目したい。
◯木曽漆器3つの技法
・塗分呂色塗 (ぬりわけろいろぬり)
数種類の漆を使って、絵や幾何学文様に塗り分けていく技法。最後に艶を出して端正な仕上がりにする。
・木曽春慶 (きそしゅんけい)
はじめに彩漆で色付けし、次に生漆を厚く塗り重ね、最後に透明度の高い春慶漆 (※) で仕上げる技法で、木目の美しさが特徴。
春慶塗の黄色い重箱が日常を晴れやかにする (飛騨春慶塗)
https://sunchi.jp/sunchilist/hida/46395
・木曽堆朱 (きそついしゅ)
木曽漆器の代表的な技法。変わり塗りの一種で、何種類もの漆を塗って研ぎ出した斑模様班文様が特徴。布などを丸めて作るタンポに、漆を含ませて模様付けする。
木曽漆器といえばこのアイテム「めんぱ」や「座卓」
木曽漆器のアイテムは幅広い。
旅館などで見られる一人用のお膳「宗和膳」や重箱、長野県の名物でもある蕎麦の道具など食まわりのものから、屏風などの家具まで、大小、形も様々な製品が作られている。
古くから木曽で行われてきた「曲物」の技術を活かして人気なのが、「めんぱ」と呼ばれる弁当箱だ。「めんぱ」は薄いヒノキの板を丸く曲げ、山桜などの皮で閉じて底をつけた曲物に、摺り漆や木曽漆と呼ばれる透き漆を塗って作られる。
良質な材木の産地であった木曽では、木を丸く曲げていく曲物木地や木を差し合わせて作る指物細工などの木工技術が早くから発達した。
曲物は本来、無塗装の白木地で使われるものだったが、漆を塗ることで強度や洗いやすさが加わり、臭いもつきにくくなった。素材である木地に下地処理を行わず生漆を擦り込むように塗るため、木の呼吸を妨げないことから、ごはんが冷めてもふっくらと美味しい。
軽くて丈夫で、漆の風合いが楽しめるものとして旅先の土産品としても人気を得てきた。
「めんぱ」は曲物と漆、両方の技術が発達した木曽ならではのアイテムと言えるが、一方、地元で発見された「錆土」を生かした堅牢な「板物 (本堅地漆器)」として代表的なのが和室で用いられる「座卓」だ。
木曽は実は、座卓の生産高日本一の産地。国の伝統的工芸品にも指定されている塗分呂色塗 、木曽春慶、木曽堆朱などさまざまな技法で生産されており、技法ごとに違った趣を楽しめる。
このように、多様な技法を使い分けながら、生活に身近なアイテムを大小を問わずさまざまに作り続けてきたことが、木曽漆器の特徴のひとつと言えるだろう。
木曽漆器の使い方、洗い方、保管方法
漆器は熱い料理や冷たい料理、汁物に揚げ物など、どんな料理でも盛ることができるが、その後のお手入れによって、器の寿命が短くなることがある。漆器を正しく使うための基本の扱い方を知り、永く使いたい。
漆器の基本の扱い方についてはこちら :
「漆器のお手入れ・洗い方・選び方。職人さんに聞きました」
https://sunchi.jp/sunchilist/craft/112389
木曽漆器の歴史
◯木曽の漆器づくりは室町の頃から
木曽は良質な木々に囲まれていることから、いろいろな木製品が作られ、発展した。木曽漆器のはじまりは、現在の長野県木曽郡木曽町にみることができる。竜源寺という寺にあった漆塗りの経箱の裏書に「応永元年」(1394年) と作者の名前があったことから、室町時代には漆塗りの技術があったことがうかがえる。
◯宿場町のお土産ものとして江戸の庶民に愛される
江戸時代に入ると、奈良井宿周辺で漆器生産が本格化。「めんぱ」や「塗櫛」など、ヒノキの木製品に漆を塗った、さまざまな生活用品が作られるようになった。
当時の主な技法は木曽春慶。椀や箸のほか、桶、おひつ、硯箱など、木目を生かした数々の美しい塗り物が作られた。他の地域の漆器は蒔絵・金箔などを施した豪華なものだったが、丈夫で素朴な風合いの木曽漆器は、気軽に買える旅土産として注目を集めた。さらに、尾張藩や領主の庇護を受けたことも、その発展に大きく寄与した。
◯錆土の発見から全国有数の漆器産地へ
明治時代、産地の中心になっていた木曽平沢の漆器職人たちは、輪島塗で知られる石川県の輪島へ漆塗りの技法を学びに行く。能登半島で取れる特有の土を加工した「地の粉」と呼ばれる土にあることを知る。
そこで地元にも塗りに適した土はないかと探し求めたところ、現在の塩尻市奈良井周辺に鉄を多く含んだ「錆土」という粘度質の土を発見。この「錆土」を下地に使うことで質の高い堅牢な漆器を作ることが可能となり、全国でも有数の丈夫で美しい漆器として発展していくこととなった。
◯主力を食器から大型家具へ 大正以降の変遷
大正時代以降、木曽漆器で多く作られたのは、一人用のお膳である「宗和膳」。今でも旅館などでよく見られるこのお膳が、第二次世界大戦後まで主力の製品だった。
その後、木曽漆器の頑丈さを生かし、箪笥や座卓などといった大きな家具も作られるように。昭和の頃は座卓を囲んで家族が食事を取ることが多かったこともあり、座卓は人気の商品だった。
1975年には、国の第一次伝統的工芸品に指定。さらに1998年に行われた長野冬季オリンピックの入賞メダルには、木曽漆器の職人が提案した金属と漆を用いた入賞メダルが採用された。
現在ではガラス細工との融合やコンピューター製品への挑戦など、新たな試みにもチャレンジしている。
ここで買えます、見学できます。初夏の風物詩、木曽漆器祭
木曽漆器の中心的な産地である木曽平沢では、毎年6月の第一金曜日から3日間 (2020年は開催見送り)、木曽漆器祭が開催されている。約100店の漆器店・お土産物店などが並ぶ。この地域は2006年に漆器産地としては唯一「漆工町」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、漆器とともにものづくりの街並みも楽しめる。
関連する工芸品
木工 : 「日本の木工とは。木からうつわや家が生まれる、歴史と技術」
https://sunchi.jp/sunchilist/craft/115377
木曽漆器のおさらい
◯素材
天然の漆、ヒノキ、サワラ、トチ、ケヤキなど
◯代表的な技法
・塗分呂色塗
・木曽春慶
・木曽堆朱
・摺り漆
・蒔絵
・沈金
◯数字で見る木曽漆器
・従事者(社)数:木曽漆器工業協同組合員 (企業) 数 109軒
・伝統的工芸品指定 :1975年、木曽春慶、木曽堆朱、塗分呂色塗の3技法が経済産業大臣指定伝統的工芸品に認定
<参考>
・萩原健太郎 著 久野恵一 監 『民藝の教科書③ 木と漆』グラフィック社 (2012年初版)
・北俊夫 監 『調べよう 日本の伝統工業4 中部の伝統工業』国土社 (1996年)
・小林真理 編 『日本伝統の名品がひと目でわかる 漆芸の見かた』和光堂 (2017年)
・財団法人伝統的工芸品産業振興協会 監 『ポプラディア情報館 伝統工芸』ポプラ社 (2006年)
・伝統工芸のきほん編集室 編 『伝統工芸のきほん② ぬりもの』理論社 (2017年)
・木曽漆器工業協同組合
http://kiso.shikkikumiai.com/main.html
・塩尻市
https://www.city.shiojiri.lg.jp/wine_shikki/kisosikknorekisi/index.html
・中山道木曽路 奈良井宿観光協会
(以上サイトアクセス日:2020年7月4日)
<協力>
木曾漆器工業協同組合