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熊野筆とは。ピンチをチャンスに変えた一大産地の知恵と歴史とは

広島県熊野町でつくられる筆の総称「熊野筆」。

習字には欠かせない書筆から、焼き物に美しい絵をつける画筆、1本は持ってみたい憧れの化粧筆まで、その品質は国内外で高く評価されています。

今回は、そんな熊野筆の歴史と特徴をご紹介します。

熊野筆とは。10人に1人が生産に携わる筆の町

熊野筆とは、広島県熊野町でつくられてきた筆の総称。

毛の選別から、汚れを除き、束ねるまで。一連の工程はどれをとっても機械では代替できないもので、今もなおほとんどが熟練の職人による手作業でつくられる。

100年以上の時をかけて継承されてきた筆づくりの技術、そうしてつくられる書筆は1975年(昭和50年)に国の伝統的工芸品に指定された。

毛筆の選毛工程
筆づくりに使う、毛を選別している様子

現在、熊野には約100社もの筆メーカーが軒を連ね、人口およそ24,500人に対しておよそ2,500人、町民の10人に1人が筆づくりに携わっている。その生産量は毛筆、画筆、化粧筆のいずれにおいても日本一のシェアを誇り、熊野はまさに「筆づくりの町」である。

ここに注目。書道筆から化粧筆まで、ピンチをチャンスに変えるものづくり

明治の頃には一大産地としてその名を知られ、今日では化粧筆としても国内外で高い評価を得ている熊野筆。その発展の背景には、つねに「不利」や「不便」をチャンスに変える姿勢があった。

もともと熊野には筆の原材料となる竹や動物の毛がそれほど豊富なわけではない。筆をすぐに売りに行ける一大消費地が近いわけでもなかった。そんな熊野で筆づくりが発展した背景には、様々な条件が重なっている。

まず、周囲を山々に囲まれた熊野は1945年(昭和20年)ごろまで交通の弁がとても悪く、他の産業が入りにくかった。また、筆づくりは自宅でも可能で、子育てしながらできる副業にも適していた。子どもも小さなころから親の手仕事を見ており覚えるのが早く、そうして筆づくりを覚え始めると、町内で優れた職人から習い、腕を磨くという好循環が生まれていた。

こうした条件のもとで筆づくりの技術が町全体に根付いてゆき、1979年(昭和54年)ごろの資料では全国で使用される筆のおよそ6割強(書道用のみではおよそ8割)を占めるほどの一大産地に発展していった。

そんな熊野に転機が訪れたのは第二次世界大戦が終戦したころ。日本では一般的な毛筆の需要が低迷しており、さらに習字教育が制限されたこともあって各地の筆メーカーの多くが転廃業に追い込まれた。そこで、熊野ではこれまで培ってきた筆づくりの技術を生かし、画筆や化粧筆をつくり始める。

ほぼすべての工程に職人の手作業が加わる熊野の化粧筆は品質が高く、肌に滑らすとずっと触れたくなるような肌触り。今では「1本は持ってみたい憧れの化粧筆」と言われるほどの人気ぶりで、「熊野筆」の名は新たに化粧筆としても全国に知られるブランドとなった。

このように熊野筆は「不利」や「不便」をその都度チャンスに変えながらその地位を築いてきたのである。

熊野筆の豆知識

○[書筆編]弘法、筆を選ぶ?

「弘法、筆を選ばず」という、ことわざがある。

これは能書家(書に関して高い技術、教養をもつ専門家)として知られる弘法大師(空海)はどのような種類、品質の筆であっても使いこなし、立派な書物を書きあげたとされることから、「道具や材料のせいにせず、自身の技や知識を磨くべし」と戒めの意味に使われる。

しかし、弘法大師は筆づくりの技術に工夫を加え、楷書用、行書用、草書用、写経用とそれぞれの書体に合わせた筆を考案した人物でもあったそう。それらの筆は当時の帝であった嵯峨(さが)天皇の命で献上されており、『性霊集(しょうりょうしゅう)』にはそのときに提出した文書が載せられている。

奈良筆

「筆を選ばず」で知られる弘法大師であるが、実のところ、筆(道具や材料)には格別のこだわりを持っていた、つまりは筆を選んでいたようなのだ。

○[書筆編]ものづくりを支える熊野筆の品質

職人にとって「道具」とは、作品を生みだすのに欠かせない身体の一部で、「相棒」のような存在。だからこそ、職人によってはひとつの道具を何十年と愛用し、ときには弟子に、孫弟子に、と受け継いでいくことさえある。

熊野筆もまた、そんな職人にとっての欠かせない道具のひとつであり、これまで各地で育まれてきた様々なものづくりを支えてきた。

中でも、濃淡で立体感や遠近感をだす、まるで日本画のような美しい絵付けが特徴的な焼き物にとって、筆というのは特別な道具とされる。「さんち」では「熊野筆しか使わない」という肥前窯業圏の伊万里鍋島焼と三川内焼の職人から、その絵付けを支える熊野筆の魅力について、下記の記事で伺っている。

職人が熊野筆で器に絵付けをしている様子

<関連の読みもの>

私の相棒 〜鍋島・三川内の誇りを支える筆〜

伊万里で門外不出だった「鍋島焼」とは。窯元と歩く、お殿様が愛したうつわの里

○[化粧筆編]「憧れの熊野筆」の選び方

憧れの化粧道具のひとつである熊野の化粧筆だが、地域内にはおよそ100社もの筆関連事業所(このうち、化粧筆を主に扱っている企業はおよそ10社)があるためどれを選べばいいか迷ってしまう。そこで「さんち」では熊野の化粧筆にどのような種類があり、どう選べばいいのかなどを下記の記事でプロに伺っている。

熊野筆のリップブラシ

<関連の読みもの>

憧れの化粧道具「熊野筆」。プロにおすすめを聞きました

熊野筆の歴史

○日本の筆づくりの始まり

日本において筆の歴史が始まったのは飛鳥時代とされる。中国から様々な文化や技術が日本に伝来し始めたのがこのころで、中国製の筆が輸入されていた。

当時の日本は律令(法律)国家かつ文書主義で、政治の中心には官僚たちがおり、大量の文房四宝(ぶんぼうしほう。紙・筆・墨・硯のこと)を必要としていたこともあって、しだいに国産の筆もつくられるようになる。

それら文房四宝の生産を担っていたのが中務省(なかつかさしょう)にある「図書寮(ずしょりょう)」であった。

『令義解(りょうのぎげ)』や『延喜式(えんぎしき)』によると、そのころの図書寮には造筆手(ぞうひつしゅ。筆づくりの技術者)が10人おり、「1日あたりの平均で兎毛筆は10管(管とは、筆の数え方)、狸毛筆で10管、鹿毛筆で25管の生産が義務づけられていた」との記述がある。

奈良時代になると、日本は仏教文化の影響を強く受けるようになり、仏教経典の写経用の筆の需要が高まっていく。『正倉院文書』には、763年(天平宝字7年)3月に孝謙(こうけん)上皇のもと法師道教が、計732巻の経典の書写を東大寺の写経所(経典の書写を執りおこなう役所)に命じたときの見積書が残されている。

奈良筆
般若心経の写経

○江戸から明治への転換期、始まりは副業の行商から

筆づくりは古くから日本各地で行われていたが、中でも盛んであったのが奈良地方であった。9世紀ごろ、弘法大師が遣唐使として唐から帰国した折に、中国の最新技術が奈良に伝わっていたためだ。これが今日にまでつづく「奈良筆」の起源で、熊野の筆づくりにも大きな影響を与えたとされる。

江戸時代の終わりごろの熊野では、生活が貧しく農閑期に出稼ぎにでかける農民が多くいた。このことは『芸藩通志(げいはんつうし)』に「居民農世行買の者あり(行買とは行商のこと)」との記述がある。

吉野地方(現在の奈良県)や紀州地方(現在の和歌山県)に足をのばす農民もおり、その帰りに奈良を始め大阪や兵庫で筆や墨を仕入れて、各地に行商していた。これが熊野が筆づくりと関わるきっかけであったのは確かであろう。

○藩の奨励を受け、筆づくりが本格化

熊野における筆づくりの始まりは1830年ごろ。当時の浅野藩(現在の広島県)では伝統工芸の奨励をしており、また筆や墨の商いが全国的に拡大していたことも合わさって、熊野では筆づくりの技術習得が進められていた。

1839年(天保9年)、筆や墨の商いをしていた黒屋長兵衛によって摂津国(現在の兵庫)の有馬へ筆づくりの技術習得に送りだされていた佐々木為次(ささきためじ)が帰国。

1846年(弘化3年)には、孫井田才兵衛(まごいださいべえ)が招いた浅野藩の「筆司(ふでし。筆づくりの職人)」から、井上治平(いのうえじへい)が筆づくりを学ぶ。また、同じころに摂津国の有馬で筆づくりを学んでいた乙丸常太(おとまるつねた)が熊野に帰郷している。

こうして筆づくりを習得してきた彼らによる技術指導、また村人らの努力もあり、しだいに熊野では筆づくりが本格化していった。

○義務教育の追い風

その後、1872年(明治5年)に学校制度ができ、1900年(明治33年)には義務教育が4年制になる。小学校での書写・習字教育が始まると全国で筆の需要はさらに高まり、学童用筆も手がけていた熊野筆の生産量は増加していく。

また、熊野筆は1877年(明治10年)の「第一回 内国勧業博覧会」で入賞。さらに、1911年(明治44年)に東京で開催された「日本教育博覧会」に出品されたこともあわさり、全国的にその名を広めていった。

○化粧筆に活路を見出す

第二次世界大戦が終戦を迎えると、戦前に国粋主義の思想教育の手段にもされていた習字教育は制限される。さらに、一般的な毛筆の需要も低迷していったこともあり、筆づくりに携わっていた職人たちは転廃業を迫られていく。

そのなかで、1955年(昭和30年)ごろの熊野ではこれまで培ってきた書筆をつくる技術を生かして、新たに画筆や化粧筆の生産が始まる。さらに、1958年(昭和33年)にはふたたび習字教育が始まり、書筆の生産量も復活していった。

また、1975年(昭和50年)、熊野筆は広島県で初めて国の伝統的工芸品に指定。熊野町は全国一の筆の産地として成長し、その品質の高さが国内外で高い評価を得ている。

現在の熊野筆

熊野にはおよそ100社もの筆関連事業所があり、高級な化粧筆から携帯できる手のひらサイズの書道セットまで、それぞれのメーカーが特徴あるプロダクトを製作している。

書き初めは、手のひらサイズの書道セットで

プチ書道セット
手のひらサイズの書道セット。箱の中には硯、墨、筆が入っている

憧れの化粧道具「熊野筆」。プロにおすすめを聞きました

熊野筆のチークブラシ

ここで買えます、見学できます

○東京銀座で熊野筆に触れられる、熊野筆セレクトショップ

熊野筆のブランド化を推進する目的で立ち上げられた「熊野筆セレクトショップ」。およそ1,500種類もの熊野筆を揃える本店が熊野の「筆の里工房」にあるほか、広島の「ホテルグランヴィア広島」と銀座の「ひろしまブランドショップTAU」にも店舗を構える。

店内には伝統工芸士によってつくられた書筆、熊野の各メーカーより厳選された化粧筆、そして熊野筆セレクトショップが手がけるオリジナル商品が並ぶ。さらに、本店には書筆や画筆アドバイザー、広島店にはメイクアドバイザーがおり、その人にぴったりな熊野筆を探すのをサポートしてくれる。

熊野筆セレクトショップ

○筆の里工房

熊野町が設置した、地域の筆づくりの中心的な存在「筆の里工房」。館内には京都の書家・木村陽山が収集した1,000点もの筆コレクションのほか、元総理大臣の西園寺公望や明治の文人の富岡鉄斎、戦前の日本画家の竹内栖鳳らが愛用した筆など、熊野筆に関連した資料が収蔵されている。

また、熊野筆や関連グッズを取りあつかうミュージアムショップ、日本画やメイクなど筆を使った様々なワークショップ、伝統工芸士による筆づくりの実演なども開催され、見て・触れて・買って、と熊野筆の魅力を存分に体感できる施設だ。

筆の里工房

関連する工芸品

・奈良筆:奈良筆とは。空海ゆかりの歴史と職人の手で受け継がれる現在の姿

熊野筆のおさらい

○熊野筆の素材

熊野町はまさに日本一の筆の町であるわけだが、実のところ筆の素材については地域内で産出されてはいない。

穂首(毛の部分)に用いられるヤギ、馬、いたち、鹿、たぬき、猫などの動物の毛は、ほとんどが中国や北アメリカからの輸入。また、軸に用いられる木材や竹は岡山県や島根県のほか、台湾や中国、韓国などの海外から仕入れている。

資源を背景にはじまったものではなく、技術を継承・進化させることで発展を遂げてきた産地なのだ。

穂先の種類だけでも様々。毛質によって、書き味も変わります
穂先の種類だけでも様々なものがある

○書道用の筆の代表的な工程

熊野の筆づくりは1人の職人で完結しない。筆の素材選びから穂首をつくり、軸を接着し、仕上げ、銘を刻むまで、1本の筆を複数の職人で分担して完成させる。

・選毛/毛組み:筆の種類、筆先の場所に合わせて毛を選び選り分ける。

・火熄斗(ひのし)/毛揉み:毛にもみ殻の灰をまぶし、火のし(アイロン)をあてることで毛の中の脂肪分を取り除いた後、鹿革で毛を揉み込み、毛のクセを取る

・毛そろえ:毛を少しずつ積み重ねて、金ぐしをかけて毛をそろえる

・逆毛やすれ毛取り:半差しで逆毛、すれ毛を抜きとる

・寸切り(すんぎり):筆の穂先の長さを部位ごとに切りそろえる

・練り混ぜ:長さや質の異なる毛を何度も混ぜ合わせ、均一に質を整える

・芯立て:平目を筆1本分の毛量に分けて、筆のかたち(芯毛)をつくる

・衣毛巻き:芯毛よりも上質な毛(衣毛)を、芯毛に巻きつける

・糸締め:穂首(毛の部分)を麻糸で締めたあと、焼ごてで根元を熱し毛が抜けないように焼き固める

・くり込み:桜や竹でできた軸のサイズを穂首に合うよう調整し、軸に穂首を接着する

・仕上げ:穂首の中の不要物を取り除き、毛をまっすぐに整えるために穂首を糊(布のり)で固める

・銘彫刻:完成した製品に、工房ごとの銘を刻む

○数字で見る熊野筆

・誕生:1830年ごろ

・出荷額:毛筆は約45億円、画筆は約25億円、化粧筆は約40億円(2006年時点)

・従事者(社)数:毛筆が約1,500人、画筆が約500人、化粧筆が約500人。町全体で約2,500人が筆づくりに関する仕事に従事(2020年5月時点)

・生産量:毛筆は町全体で年間約1,500万本、1日に約5万本を生産(2020年5月時点)

・伝統工芸士:18人(2020年5月時点)

・1975年(昭和50年)に広島県で初めて通商産業大臣(現在では経済産業大臣)によって国の伝統的工芸品に指定

<参考>

『第七章 熊野の筆』熊野町

筆の里工房「熊野筆」

熊野筆事業協同組合「熊野筆について」

(以上サイトアクセス日:2020年5月10日)