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庵治石とは

イサム・ノグチも愛した、まだら模様が美しい高級石

庵治石の基本情報

庵治石は、香川県高松市東部の庵治町・牟礼町でのみ産出される高級石材。
マグマが冷え固まってできた火成岩、中でも花崗岩に属する。火成岩はおよそ8000万年前の白亜紀後期に形成されたとされ、800度にものぼるマグマが数万〜100万年単位で冷え固まり、結晶化したものだ。
風化に耐え、繊細な細工も可能な細やかな石質から、古くから墓石材、石灯籠などの細工物に利用されてきた。中でも細目 (こまめ) と呼ばれる特にきめの細かい庵治石は、磨くと青黒いツヤを帯び、墓石材として世界一とも称される。山麓の庵治町・牟礼町一帯は石材を加工する職人が古くから住み、全国でも有数の高度な石材加工、墓石加工の街として知られる。

  • 工芸のジャンル

    石工品

  • 主な産地

    香川県高松市庵治町、牟礼町

日本一高価な石と言われる庵治石 (あじいし)。別名「花崗岩のダイヤモンド」とも呼ばれ、主に高級墓石材として活用されています。

一体、この石のどんなところが他の石とは違うのでしょうか。

今回は、庵治石の魅力と歴史を掘り起こしていきます。

 

ここに注目。「斑 (ふ)」が美しい「花崗岩のダイヤモンド」

庵治石の最大の特徴が、研磨すると石の表面に現れるまだら模様の光沢「斑 (ふ) 」。庵治石の歴史は長く、古くは平安時代に京都の石清水八幡宮の再興に用いられたという記録が残っているが、実はこの「斑が浮く」という現象については謎に包まれたままだ。産地である庵治町・牟礼町には、源平合戦の舞台となった屋島の神仏が平家を哀れみ、桜の花びらを舞い散らせて庵治石に映し出したという言い伝えもある。

庵治石
ふわふわと浮かぶまだら模様。「斑(ふ)」と呼ばれる庵治石特有の模様

これは庵治石だけに見られる現象で、その神秘的な美しさも相まって「花崗岩のダイヤモンド」の名で世界的にも高く評価されている。高級石材として、高松城の石壁や大阪城の石垣、首相官邸の石庭、道後温泉本館の浴室などに使われてきた。

*実際の採掘や加工の様子はこちら:

「墓石から現代アートまで。瀬戸内にしかない石の町をめぐる。」

https://sunchi.jp/sunchilist/takamatsu/15872

丁場と呼ばれる採掘場の様子。
丁場と呼ばれる採掘場の様子
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石工団地と呼ばれる石材加工工場の集まる一帯で、石像の加工中の職人さん。
石工団地と呼ばれる石材加工工場の集まる一帯で、石像の加工中の職人さん
庵治石を切削する工程。厳かな雰囲気すら漂う。
庵治石を切削する工程。厳かな雰囲気すら漂う

 

イサム・ノグチも愛した庵治石

20世紀を代表する彫刻家イサム・ノグチも、庵治石の素晴らしさに魅了された一人だ。

1956年に初めて牟礼町を訪れたイサム・ノグチは1969年からこの地にアトリエと住居を構えた。ニューヨークと行き来する生活を20年以上続け、制作活動に励んでいたという。現在、このアトリエと住まいは「イサム・ノグチ庭園美術館」として一般公開されている。高松空港近くにあるモニュメント「TIME & SPACE」は庵治石を使ったイサム・ノグチの代表作の一つだ。

庵治石生まれの青いガラス「Aji Glass」とは?

庵治石を溶かして作ったガラス作品「Aji Glass」は、香川県出身のガラス作家、杉山利恵さんによるもの。地元の誰もが知っていて県外の人に勧めたくなるようなものを素材に使いたいと考えていたところ、庵治石に辿り着いたという。

瀬戸内の海をイメージしたという淡い青色のガラスは、黒っぽい庵治石そのものからは想像がつかない。高級石材である庵治石をインテリアとして手頃な価格で楽しめる。

この他にも1200年続く石の町、牟礼町一帯には庵治石にまつわる見どころは盛りだくさんだ。地元の石材メーカーの方と共に巡った記事はこちら。

「墓石から現代アートまで。瀬戸内にしかない石の町をめぐる。」
https://sunchi.jp/sunchilist/takamatsu/15872

庵治石の歴史

庵治石の起源

庵治町・牟礼町での石材業の歴史は平安時代後期にさかのぼる。京都の石清水八幡宮には、当時その領地となっていた牟礼庄 (現・牟礼町) 一帯から庵治石が運び込まれ、再建に使われたとの記録が残る。このことから、少なくとも現在に到るまでおよそ千年にわたって庵治石は採掘され続けてきたと考えられる。

安土桃山時代に築かれた高松城では堀や壁、石段に庵治石が見られる。中でも水晶と同等に硬いとされる「庵治石細目」は、石垣や桜門の礎石に重用された。

庵治石材業の発達

江戸時代になると、「丁場」と呼ばれる石切場の中でも最高品質の庵治石が採れる「大丁場」は高松藩御用丁場として栄えた。さらに時代は進み、19世紀に入って屋島東照宮権現の造営が始まると、和泉国 (現在の大阪府南部) から招かれた石工が定住したため、石材業が本格的に発達していったといわれている。

江戸時代には砂糖・綿と並んで讃岐三白と称された塩づくりが発展するが、「塩田」と呼ばれる塩を焚く石釜の底板には、緻密で硬く、水を通さない「庵治石細目 (こまめ) 」が用いられた。この頃から鳥居や墓石にも庵治石が用いられるようになり、良質な花崗岩の日本三大産地として一帯が知られるようになる。

以前は石工が自ら山に出向き、原石の採掘から加工作業まで行なっていたが、明治時代には徐々に分業化が進む。採石は「丁場師」と呼ばれる山石屋、加工は「仕立師」と呼ばれる加工石屋がそれぞれ担う現在のスタイルが確立された。

庵治石ブランドの確立

明治から昭和初期にかけては磨きの技術が発達し、「斑 (ふ) 」と呼ばれる独特のまだら模様の美しさから「庵治石」の名が全国的に知られるようになる。

特に庵治石が墓石としての地位を築いたのは、高度経済成長の幕開けとなった「神武景気」の起きた昭和30年代以降。ちょうど都市部への人口集中や核家族化が進み、地縁の墓地を離れて新たに墓を求める人が増えた頃に当たる。

風化に強く、彫った文字が何十年と崩れない庵治石を、墓碑や灯篭に使いたいと注文が増加。1955年以降、石の切削や研磨も機械化が進み、庵治町・牟礼町の石材加工業は大きく飛躍を遂げた。

産業はバブル期に最盛を迎える。しかし、街に300社以上あった石材関連会社のうち、現在稼働しているのは200数社程度だという。安全面・環境面などから庵治石が採りにくくなっていること、後継者がいないなどの理由でお墓を処分する「墓じまい」の増加、さらには現在日本の墓石の80%を占めるという中国製墓石の台頭が大きい。

一方で平安の時代から培われてきた石材加工の技術は今なお高い。近年では、アーティストの作品づくりへの技術協力や石彫コンクール「石のさとフェスティバル」の開催、庵治石を使った生活雑貨の開発や「石の民俗資料館」設立などを通じて、優れた石材加工技術を次世代へと継承していこうとしている。

 

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石工品:「石工とは。日本の『石』にまつわる工芸品、その歴史と現在の姿
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庵治石のおさらい

主な工程

・採掘:岩盤の割目、岩の傷を見定めて発破をかけて採掘。

・大割り:原石を運びやすい大きさに割る。

・小割り:大割りされた石を注文に合わせた大きさに割る。

・切削:立方体や直方体、平板など、注文通りの形に切る。

・機械研磨:何種類もの砥石を使い分けて磨く。

・手磨き:細かい部分や曲面を手作業で磨く。

・字彫り:機械彫りが多いが、昔ながらの手彫りも。