京都「無鄰菴」が“傑作”である理由。日本庭園に隠されたメッセージとは
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京都屈指の名刹、南禅寺からゆっくり歩いて約10分。インクラインをすぎたところに見えてくるのが、無鄰菴 (むりんあん) です。
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明治・大正時代に活躍した政治家、山縣有朋 (やまがた・ありとも) が建てた別荘。足を踏み入れると、そこには芝生の丘がつらなる緑ゆたかな庭園空間が広がっています。
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庭の向こうには東山と青い空。しゃらしゃらとながれる琵琶湖疏水の流れ。なんだかとっても開放的な気分になります。
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「そうなんです。それが無鄰菴庭園の特徴なんです。
庭には一般的な評価の基準があるわけでなく、それぞれにその庭ならではの価値がある、という考え方をします。
無鄰菴の庭園には、主に3つの特徴があるとされているんですよ」
ご案内いただくのは植彌加藤造園株式会社(うえやかとうぞうえん)知財管理部の山田咲さん。
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先ほどまで、植彌加藤造園さんが創業以来 御用庭師を務める、南禅寺のお庭を山田さんと一緒にめぐってきました。
そこから歩いて10分ほどの距離にある、ここ無鄰菴も、植彌加藤造園さんが管理をされています。
「南禅寺から無鄰菴、この2つの庭を訪ねることで、約400年の時間をタイムトリップすることができるんですよ」
これが、今回のキーワード。さあ、どんなお庭が待っているでしょうか。
南禅寺編はこちら:「京都で『徒歩10分で400年』のタイムトリップ。庭を歩くと、南禅寺エリアはもっと楽しい」
「鑑賞する庭」から「体感する庭」へ
無鄰菴は、明治29 (1896) 年に完成しました。
庭園は、施主 (せしゅ。庭のあるじ) である山縣有朋の旗振りのもと、七代目小川治兵衛が手がけたもの。七代目小川治兵衛は「植治 (うえじ) 」と呼ばれ、後に明治を代表するカリスマ作庭家となっていきます。
その植治の出世作となったのが、この無鄰菴。1951 (昭和26) 年に、国の名勝庭園に指定されています。
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山田さん曰く、名勝指定に際して無鄰菴の庭の「固有の価値」とされたのが、こちらです。
一 東山から連続的に構成された空間
一 躍動的な琵琶湖疏水の流れ
一 明るい芝生の空間
確かに広がる景色とぴったり重なります。かなり明確に定義されているのですね。
「先ほど見てきた南禅寺の方丈庭園とは、ずいぶん違うことに気づかれると思います。この違いが、明治時代の『新しさ』なんですね。無鄰菴によって近代日本庭園が確立したと言われています」
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江戸から明治へ。封建制から近代国家へと変わった、大転換の時代。そうした時代や社会の価値観の変化が、庭の表現にもあらわれていたとは、驚きです。
無鄰菴の園路に隠されたメッセージを読み取る
「枯山水庭園は、部屋から見るようにつくられていました」
確かに、南禅寺方丈の白砂を敷き詰めた庭は、絵のように眺める「鑑賞するための庭」でした。
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「それに対して、この無鄰菴の庭は、山村の風景を再現し、園路を散策して楽しむものとしてつくられています。『経験としての庭』と言えるでしょう」
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経験としての庭。そこに自分が入っていく。
「私」という個人の体験や感覚が、より大事になっているのですね。そこにも明治という時代の変化が感じられます。
「身体にどういう記憶を残させるか。身体感覚で味わう庭です。ぜひ、五感をフル活用して、園内散策を楽しんでください。
まず、園路を『何となく歩かない』ことがおすすめですよ」
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何となく歩かない?では、どう歩くとよいのでしょう。
「園路には、施主のメッセージが隠されています。その暗号を読み解いていくと、お庭がもっと楽しくなりますよ」
そのひとつとして山田さんが教えてくれたのが、「視点場 (してんば) 」。道の分岐点や突き当りなどにある少し主張のある石や、立ち止まりやすくなっている場所などをそう呼ぶそうです。
「もし見つけたら、いったん立ち止まって、そこからの景色を眺めてみてください。きっとひとあじ違うはずです」
視点場は、いわばビュースポットが設計されているのですね。
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園路を歩きながら、視点場を探し、サインを放っている石の上で足をとめて、景色を楽しむ。
なるほど、そんな歩き方はしたことがありませんでした。文章に句読点を打つように、メリハリのある園内散策が楽しめそうです。
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忽然と現れる三段の滝
園路を進んで突き当りまでいくと、雰囲気が変化してきた気がします。なんだかちょっと、森っぽいような‥‥?
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「そのとおりです。奥へ行くにしたがって、里から野へ、野から山へと、山深くなっていく。そうした構成になっています。木々も大きく、山中の林のようになっていきます」
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山田さんの言葉どおり、いちばん突き当りまでいくと、そこはもう鬱蒼と茂った山中のよう。そしてそこに忽然と現れた滝がありました。
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「三段の滝と言います。京都の醍醐寺三宝院庭園にある、三段の滝を模したものと言われています。ここにも、南禅寺方丈で見たのと同様に、飛泉障り (ひせんさわり) の枝がさしかかっています」
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醍醐寺三宝院庭園は、豊臣秀吉が「醍醐の花見」の際に自分で設計した庭です。
山縣有朋は秀吉びいきだったらしく、園内には他にも醍醐から運びこんだ石が使われているそうです。
「また、滝の手前の庭園中央部の池は、母屋からは見えないように隠されています。この庭の主山となる東山の眺望を際立たせるためです」
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聞けば聞くほど、こまやかな配慮と設計が施されていることがわかってきます。
「明治という新しい時代」を表現した庭
「無鄰菴をはじめ、この南禅寺界隈に多くの庭園が集まっているのには、理由があります」
広い土地があったからでしょうか。
「それもあります。ですが、より大きかったのが、琵琶湖疏水の存在です」
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琵琶湖疏水は、滋賀県の琵琶湖から京都へ引かれた水路で、明治18 (1885) 年に着工し、明治23 (1890) 年に完成。これにより、京都には大量の水、舟の道、灌漑用水、防火用水、水車動力、そして水力発電などがもたらされます。
「そうした多目的な水の用途のなかに、『庭園用水としての利用』も生まれました」
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「なみなみと注ぐ琵琶湖疏水の水は、京都の庭づくりを大きく変えました。
琵琶湖疏水が山科地区を通って京都に流れ込む入り口が、まさにこの南禅寺界隈のすぐ近くの、蹴上だったのです」
無鄰菴庭園を皮切りに、このエリアには、琵琶湖疏水のゆたかな水をつかった近代日本庭園が、次々とつくられていきました。
對龍 (たいりゅう) 山荘、何有荘 (かいうそう) 、野村碧雲荘 (へきうんそう) 、住友有芳園 (ゆうほうえん) 、流響院、平安神宮神苑‥‥。
非公開の庭園も多いなか、常時一般公開されて誰でも見学できる無鄰菴庭園は、庭好きでなくともありがたい存在と言えます。
「この庭をつくった山縣有朋は、新しい時代の新しい価値観を、庭園で表現しようとしました。約120年前の前衛の気概も感じながら、庭の声に耳を澄ませていただけたらと思います」
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江戸時代を経て、明治、そして現代にいたる約400年の庭の旅、いかがだったでしょうか。
春は新緑、夏は青々と、秋は色づく紅葉。そして落葉樹が葉を落とす冬は、庭の骨格がもっともよく見える季節。四季折々、それぞれの味わいが楽しめるのも日本庭園の魅力です。
庭に隠されたメッセージと出会いに、南禅寺・無鄰菴と遥かなタイムトリップに出かけてみては。
<取材協力>
植彌加藤造園株式会社 (Ueyakato Landscape)
https://ueyakato.jp/
文:福田容子
写真:山下桂子
*こちらは、2019年8月16日の記事を再編集して公開いたしました。