わたしの一皿 おだやかならぬ春がやってきた

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穏やかならぬ春がやってきた。

いや、春は穏やかなのかもしれないが、人の世は混乱している。外出がしにくいならばせめて家の中を楽しい時間にしたいではないか。

この連載「わたしの一皿」もそんな一助になればこれ幸い。みんげい おくむらの奥村です。

人がいつもよりも少ない魚市場を歩く。飲食店が元気がないというのを実感する。それならせめてもと多めに&いつもよりも良い魚を買ってきた。

そのひとつが今日の主役だが、珍しく切り身。ケチではない。数kgの鰆(サワラ)一匹なんて三人家族ではとても使いきれない。

鰆の切り身

「今日のは脂すごいよ」と店のお兄さんも太鼓判。見た目から、ビシビシ伝わってくる。繊細な身から脂が染み出してきそうだ。

鰆の切り身

つい先日3歳になったうちの坊やは、魚料理が大好きだ。

野菜も大好きで、と言いたいところだが野菜はてんでダメ。これには困っている。

それはともかく、煮付けや焼き物といった魚料理は大人と同じほど食べる。今日はそんな坊やのお気に入りのうつわに魚料理を盛り付けてみた。

熊本・平沢崇義(ひらさわたかよし)さんのうつわ

うつわは熊本のすゑもの亀屋・平沢崇義(ひらさわたかよし)さんのうつわだ。熊本の著名な陶芸家のもとで経験を積み、独立。今は熊本市内の小さな工房で作陶している。

実のところ彼とは歳も近い友人なので、作るうつわのことは贔屓目に見がちになる。そんなわけで、あまり褒めないでおきたいが、坊やが気に入っていることは確かなのだ。

評価はさておいて、彼の焼き物は変化を続けているというのは確かだ。ここ3年は、千葉で僕が選考委員をしているクラフトフェア「にわのわ」にもたまたま参加してくれていて、そこでの定点観測でもそう感じている。

僕が付き合いのある古くからの窯場は、作るうつわに短期間での極端な変化はない。だからか、まだどこか決まったところに着地しない彼の焼き物は見ていて楽しい。

最初からこれだ、と決めて始める作り手もいるだろうが、多くの人はいろんなことをやってから、どこかに落ち着くのではないだろうか。

彼もあっちこっちにと色々動いた後、どこかに落ち着くのだろうか。いや、落ち着かぬままなのか。

そんな事情を知る由もなく、うちの坊やがよく使うのがこの楕円の皿というか鉢というか、そんなうつわ。まだ箸が使えず、スプーンを多様する小人にとっては使い勝手が良いようだ。

親の我々にとっても、単純にあれこれと使い勝手が良いうつわなので、小人だけに使わせておくにはもったいなくて日々のうちの食卓で活躍している。

塩をふった鰆

鰆は臭み取りの霜降りをした後、塩をふって時間を置く。それをキッチンペーパーで拭き、さっと煮る。

フライパンで鰆を煮る

決して煮すぎてはいけない。鰆のふわっとした身質が損なわれてしまったら台無しだ。

ついでにワカメとネギも煮ておけば一皿で栄養バランスも取れる。坊やがネギには見向きもしないのが残念だが。おいしいんだけどな。

この時期なら煮魚の仕上げに山椒の葉を忘れてはならない。この香り、たまりません。

ところで余談だが、この山椒の葉。スーパーなどでは「木の芽」という名で売られているのを知ったのは大人になってから。

これは地域性はなさそうだから、和食の世界でそう呼ぶのでしょうか。ちょっとした不思議。

うつわに盛り付けた鰆の煮つけ

今日の鰆は身が分厚いから、本当にふわっふわ。口の中で勝手にほぐれていく。こんな鰆にはひさびさに出会った。

友人のうつわ、市場のお兄さんのオススメ。気持ちが温まる一皿になった。

これからしばらく、外食を控えることが続きそうだ。テイクアウトに取り組む飲食店も増えるよう。もしかするといつもよりも家のうつわが忙しくなるかもしれない。

じっくりと家族の料理を作る時にも、持ち帰り容器から移し替える時にも、一枚のうつわが誰かにとって心強い存在であることを願うばかりだ。

手で作られたうつわの多くは、使った時間がそのうつわに投影される。つまり、育つのだ。10年後、20年後、いつかはわからないが、2020年のこの時期をうつわを通じて思い出す日が来るかもしれない。

たかが一食。されど一食。静かに、だけど強くこの難局を乗り切らなければならない。

奥村 忍 おくむら しのぶ
世界中の民藝や手仕事の器やガラス、生活道具などのwebショップ
「みんげい おくむら」店主。月の2/3は産地へ出向き、作り手と向き合い、
選んだものを取り扱う。どこにでも行き、なんでも食べる。
お酒と音楽と本が大好物。

みんげい おくむら
http://www.mingei-okumura.com

文・写真:奥村 忍

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