こんぴら歌舞伎に欠かせない風物詩。春限定で町を埋めつくす「のぼり」の制作現場へ
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香川県仲多度郡琴平町。「こんぴら参り」で知られる金刀比羅宮のあるお山のふもとに、現存する日本最古の芝居小屋が存在します。その名も「旧金比羅大芝居」、通称「金丸座」。
こちらでは昭和60年から毎年4月に「こんぴら歌舞伎大芝居」が約2週間にわたって開催され、四国に春を告げる風物詩になっているのだそうです。
そして、この時期に琴平の町のあちこちに掲げられるのが、のぼり。色とりどりののぼりが歌舞伎役者たちや全国の歌舞伎ファンたちをこの町に迎え入れ、ムードを盛り上げます。
こののぼり、聞くところによると琴平町の染屋さんが毎年手作業で染めているのだとか。「こんぴら歌舞伎大芝居」が始まる前の3月、のぼりの製作現場を訪ねてみました。
香川の伝統工芸「讃岐のり染」の工房へ
訪ねたのは香川県の伝統工芸である、讃岐のり染の工房「染匠 吉野屋」。若き4代目の大野篤彦(おおの・あつひこ)さんが迎えてくれました。
「うちは明治の終わり頃、ひいじいちゃんの時代から始まって100年以上讃岐のり染をやってます。
元々は着物の仕事が多くて、洗い張りだとか染め替え、紋付の紋を入れるような仕事をしてたらしいけど、徐々に大漁旗とか祭りの半被(はっぴ)や、神社ののぼりだとかの仕事が多くなって。
春は歌舞伎ののぼりを毎日染めてる感じかな」
と、篤彦さん。
伺った3月は、まさに歌舞伎ののぼりを染めている真っ只中。
「歌舞伎ののぼりは、年が明けてから3月の末頃までずっと染めています。昔は700本ぐらいののぼりを染めたこともあって、琴平の道という道、路地裏にまで所狭しとのぼりが並んでいました。
風でのぼりがパタパタして夜眠れないなんていう苦情も出たぐらいすごかった。最近では少なくなって100本もないぐらいかな」
と教えてくださったのは、篤彦さんのお父さま、3代目の大野等(おおの・ひとし)さん。讃岐のり染の伝統工芸士です。
700本!それは確かに町中がのぼりで埋め尽くされますね。でも最近はずいぶん少なくなったんですね‥‥。
「役者さんの名前を入れるものは毎年染め変えるけど、『金毘羅大芝居』と入れるものは、破れるまでずっと同じものを立てることが多いんですよ。
外に立てるから雨ざらし。色落ちしないようにしっかり染めているから、なかなか色あせないし新しい注文が来ない!
でも、色落ちなんかしたら染め屋としての評判が落ちるし、ここはしっかり染めておかんとあかんやろ(笑)」
のぼりは一枚一枚手染めだといいます。役者名ののぼりには役者の紋を、のぼりの下部にはスポンサーの名前が入りますが、これも紋やロゴを写し取ってやはり手染めです。
700本染めた年は、夜も昼もなくいくつかの染屋で手分けしてのぼりを染めたそうですが、今ではこんぴら歌舞伎ののぼりを染めるのは「染匠 吉野屋」たった1軒になりました。
布の上にこの型紙をおき、のりを置く。のりがついた部分は染まらないので、染料をのせてもこの部分はきれいに染抜かれます。
のりは、もち米を粉にして石灰と塩、ぬかなどを混ぜたもの。とはいえ、この配合は染屋さんにもよるそうで、例えば着物の細かい模様を染めているような染屋さんはもっと細やかなのりを使うといいます。
讃岐のり染の特徴として、「筒描き」という技法があります。渋紙の筒袋である「筒」を使ってのりを絞り出して描く技法で、職人の手で自由に描くことができるため、いきいきとした線が染め抜かれます。
歌舞伎ののぼりに関しては、背景の「熨斗(のし)」模様を染めるために、色と色との境目に土手をつくる感じでのりを引きます。
父と息子の共同作業「どうぞ、どうぞ」。
のりがしっかり乾いたら、染めの作業です。では、染めている様子を見せてもらえますか?
4代目「伝統工芸士の父が染めます、どうぞ。」
3代目「いま話題の若い4代目が染めます、どうぞ。」
ええと、1つののぼりはやっぱり1人で染めるものなんでしょうか?
3代目「みんなで寄ってたかって染めたら早いんやけど。」
4代目「一緒に染めたら揺れるねん!はみ出るから嫌や!」
言い合いしつつもそれぞれ刷毛を手にし、のぼりを染めに。
‥‥。
‥‥‥‥。
ええと、何か歌ったりとか、2人で話したりとかしないんですか?
3代目「歌は歌わんなぁ。ラジオかな。」
4代目「話すとしたら、次にどこに釣りに行くかかな。」
父親と息子というのは、こういうものなのかもしれません。多くは語らず黙々と。そうこうしている間に、のぼりをくるりと裏向けに。生地をピンと張るための道具、竹の伸子が上にきます。
「のぼりは裏からも見られるものやから、裏から見たときもきれいに見えるように染めるんですわ」
と等さんは裏側にも刷毛をはしらせます。ん?篤彦さんの手元は、刷毛からナイフに変わっています。
「これは、生地の微妙な毛羽立ちを抑える作業。乾いたらムラが目立つからていねいにせんと」
と篤彦さん。ずっと家族でやってきているから、道具も手法も自分たちで考えてきたものを受け継いできているとのだといいます。
これまで、代々世襲でやってきた「染匠 吉野屋」。
「小さい時から近くで親父が染めてるのを見ていて、休みがないのを知ってたから染物屋だけにはなりたくないと思ってたんやけど、いつのまにか染物をやることになって。見よう見まねでやってきて、気づいたら40年経ってたわ(笑)」
と、等さん。篤彦さんも、そんな等さんの背中を見て染物屋になったのでしょうか。
さてのぼりの方はというと、染めたのぼりはしっかりと乾かし、染料を定着させた後、水洗いしてのりを落とします。のぼりとして使えるように縫製まで。縫製は等さんの奥さま(篤彦さんのお母さま)や、お手伝いのスタッフさんでされるのだそうです。
一枚一枚、色を変えながら親子で染めるのぼり。こんな風につくっているところを見ると、のぼりのハレ舞台を見ずにはいられません。琴平再訪を心に決めました!
こんぴら歌舞伎大芝居。のぼり、ずらり!
4月。ついにこんぴら歌舞伎大芝居の日がやってきました!
胸を躍らせて琴平駅の改札を出ると、早速のぼりが迎えてくれました。
たくさんののぼりを見上げながら、「旧金比羅歌舞伎大芝居(通称金丸座)」に到着!すでに多くの人々が開演を待ちながら、その情緒ある雰囲気を楽しんでいるようす。
こちらでは江戸時代の中期からさまざまなお芝居が行われており、昭和45年に国の重要文化財として指定されました。一時は建物存続の危機があったものの、「四国こんぴら歌舞伎大芝居」が開催されるようになってからは、春のこの時期には小さな琴平の町に多くの人々が集っているのだそうです。
天井に吊るされているのは「顔見せ提灯(ちょうちん)」というもので、出演する役者さんたちの紋が記されており、興行の際に役者の番付の代わりをしています。また、「ブドウ棚」と呼ばれる天井は、ここから花吹雪を振らせることができるもの。竹で編まれた格子状で、約500本の竹をつかっているのだそう。
回転させることができる「廻り舞台」や、床から妖怪などがせり上がる「すっぽん」という穴、役者などが宙吊りになりながら演じることができる「かけすじ」も健在だとのこと。そして驚きなのが、これらすべてを、なんと今でも人力で動かしているのだそうです!
実は、染め職人の篤彦さんも地元の青年団の関係で毎年「こんぴら歌舞伎」の裏方も務めているとのこと。のぼりを染めるだけでも大変ですが、約2週間にわたる公演のサポートは、琴平愛があってこそ。
歌舞伎のようすは残念ながら撮影ができませんでしたが、枡席に身を寄せ合って座り、役者さんの表情がすぐ目の前に見られるというなんとも贅沢な舞台!休憩時間にお弁当やおまんじゅうなんかを食べながら観る歌舞伎、もうほんとうに良い時間を過ごすことができました。
金丸座、普段は一般に開放もしており、奈落や楽屋など、舞台の裏側まで見学ができるので、春以外の季節もぜひおすすめです。
「染匠 吉野屋」の大野親子が染めたのぼりが琴平の町中に掲げられ、いつもの風景とはまた違う春の琴平町を演出する。琴平町に足を踏み入れてから「こんぴら歌舞伎」の芝居小屋に到着するまで、ほんの少しの道のりではありますが、のぼりに彩られた町並がどんどん気分を盛り上げてくれるようでした。
「うちは芸術品や工芸品をつくってきたわけじゃなくて、ただ地元の人たちが必要とするような日常のものをつくり続けてきただけや」
のぼりを染めながらおっしゃっていた等さん。この地で古くから愛されてきた文化に寄り添いながら、讃岐のり染の技術も空気のようにあたり前に町の中に溶け込んでいました。もちろん、職人さんの日常も。
また来年、桜の咲く頃にこの風景に出あえますように。
<取材協力>
染匠 吉野屋
香川県仲多度郡琴平町旭町286
0877-75-2628
http://www.somesyou-yoshinoya.com
文・写真:杉浦葉子
※こちらは、2017年4月25日の記事を再編集して公開しました。