三十の手習い「茶道編」九、夏は涼しく

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茶筅

こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。
着物の着方も、お抹茶のいただき方も、知っておきたいと思いつつ、中々機会が無い。過去に1、2度行った体験教室で習ったことは、半年後にはすっかり忘れてしまっていたり。

そんなひ弱な志を改めるべく、様々な習い事の体験を綴る記事、題して「三十の手習い」を企画しました。第一弾は茶道編です。30歳にして初めて知る、改めて知る日本文化の面白さを、習いたての感動そのままにお届けします。

◇滝の前に花を活ける

7月某日。
今日も神楽坂のとあるお茶室に、日没を過ぎて続々と人が集まります。木村宗慎先生による茶道教室9回目。

実は毎回生徒の中から一人、当番制で教室が始まる前にお花を活けます。今回はいよいよ私に順番が回ってきました。お茶室に入ると、舟の形をした花入 (はないれ) が、ずいぶん低いところにつられています。

花を活けているところ
どうしたら格好良いか‥‥。悩みながら活けていきます

床の間には上の方にわずかに2行ほどが書かれた、ほぼ白紙の掛け軸。何か関係があるのかと考える余裕もなく、人生初の夏着物と揺れる花入にあたふたとしながらどうにか花を入れ終えると、もっと花入に水を、と先生から声がかかりました。

もっと、もっとと最終的にはこぼれてしまうんじゃないかというくらいに花入に水をうって、お稽古が始まりました。

床の間の様子
最後は先生にも手伝っていただいて、なんとか花を入れ終えました

「今日の掛け軸は白紙賛 (はくしさん) 。ま白き本紙に滝の歌を書きつけて、掛け軸の余白を滝に見立てているんです。歌は、

涼しさはたぐいも更に 夏山の峯より落る音なしの瀧

 

とあります」

滝、と言われた瞬間に、目の前の掛け軸と頭の中に描いた滝が重なりました。ドドドドドド、と音まで聞こえてくるようです。

活け終えた花の様子
掛け軸が滝なら、この花入は‥‥

滝の手前に低く吊られたその名も釣り舟という花入は、さながら水辺に浮かぶ舟に、さっきまで手にしていた花は水しぶきを受けて岩場に咲いている野草に。先ほど「もっと水を」と先生が言った理由がわかったように思いました。

花自体にもたっぷり露が打ってあります

「夏はあまり華美な軸を掛けても暑苦しく感じてしまうので、こうしたちょっと息がつけるような軽やかなものをかけます。

釣り舟の花入も、普通はもう少し高く、軸の真ん中より少し下にかかるくらいの高さにするのですが、今日はわざと、ぐ~っと低くしてみました。その方が、舟から滝を見上げているようでしょう。

茶事など、正式なお茶会ではだいたい床の間を2~3箇所拝見しますが、順番に違った部屋に通され、その床の間を拝見するごとに、掛け軸がどんどん抽象的になっていくんですね。待合 (まちあい) と呼ばれる最初の部屋は、短冊とか軽いもの。でなければ季節の景物 (けいぶつ) を描いた絵が掛けられます。それから茶室に通ると、今度は墨で文字だけ書かれた軸が、といった具合。

茶の湯の世界では、古い名物を除けば、具体的に絵で描かれたものよりも、禅僧などが文字だけを墨書したものを格が上だと考えます。それには理由があります。

例えば今日の掛け軸も、どこかの滝を写生するように絵に描いたら、何人の人が見ても、同じ滝しかイメージしないでしょう。でも、白い紙に滝を思いおこさせるメッセージをわずかな文字で記してあるだけだと、見る人は自由に滝の姿を想像することが出来る。

ここにいる10人が、10人とも違う滝を思い浮かべる。そうした豊かさや、広がりを求めるなら、きっちり写実的に描かれた絵画よりも、文字だけの抽象的な掛け物のほうが上、と考えたのです。

日本人が好む「余白」の美、そのひとつの答えですね。こうしや余白を好む美意識というものは、質量ともに不足があった時代に、それを逆手にとってなんとか幸福を求めた結果の産物だろうと思います」

さらに、掛け軸の横には柳の下で舟遊びをする人たちを描いた掛けものが飾られています。

たなびく柳の下で、舟遊びをしている様子はなんとも涼やかです

「涼しげでしょう。中国から日本にもたらされた貝殻と漆の細工で出来たものです。何百年も前に作られたものなんですよ。“螺鈿 (らでん) ”とか“青貝 (あおがい) ”とか呼ばれるもののひとつで、『掛け屏(かけびょう)』と言います。座敷に掛けてたのしむ小さな屏風、という意味です。貝がらのキラキラと、漆の黒がなんとも涼しげだと思いませんか」

さっきまで額に汗していたのがすっとおさまった心地がして、お話の続きに集中します。

夏は涼しく

「今日の掛けものやしつらえに関連して、これが分かればおもてなしの達人、という七つの教えのお話をしましょう。千利休が人に乞われて説いたという教えです。

お茶は服の良きように立て
炭は湯の沸くように置き
夏は涼しく
冬は暖かく
刻限は早めに
降らずとも傘の用意を
相客 (あいきゃく)に心せよ

ーというものです」

尋ねた方が『そんなの当たり前すぎる』と不服を言ったら、利休は『本当にこの7つ全部ができているなら、私はいつでもあなたの弟子になりましょう』と言い返したと言います。有名な利休七則(りきゅうしちそく)です。

「相客に心せよ、というのが面白いでしょう。平たくいえば、仲の悪い人同士や自分と話の合わない人、今日のお茶会の趣旨を理解しないであろう人は呼ばないように、誰を呼ぶか、よくよく考えなさいということです。

しかし、この戒めの本質は、単にお客の組み合わせを説いたものではないと思います。相手の中にある答えをちゃんと紐解き、見抜いた上でもてなしを考えなさい、ということではないかと思います。答えは相手の中にある。もちろん自分の中にも。

ーというわけで、今日は『夏は涼しく』。

7、8月の盛夏の頃は昼にお茶事をしません。暑い中に四畳半のお茶室に火をおこして何時間もこもっていたら、熱中症で倒れかねない。ですからお茶会を開くときは、朝茶事。朝6時くらいには来てもらって朝ごはんを出して、9時すぎには終わりたい。

昔はエアコンもありませんから、どうやって涼感を呼び込むのかが大切なことでした」

先生の言葉を待ち受けたように、今日のお菓子が運ばれてきます。

「京都にある鍵善良房さんの甘露竹 (かんろちく) です」

甘露竹が積まれた様子

竹筒の後ろに穴が空いていて、コンコンと叩くとつるんと水羊羹が現れました。

つるん、と水羊羹が!

「水羊羹に竹の香りがうつって爽やかでしょう」

先生の言葉に頷きながら、あっという間に平らげてしまいました。

運ばれてくるお茶碗で目を引いたのが、その口の広さ、平たさ。こうした平たい茶碗を使うのも、涼感を得る工夫のひとつだそうです。

平たいお茶碗でお茶を点てます

さらに、お点前に使われていた棗 (なつめ) は柿の木をくりぬいて作られたもの。その木目のうねりを波に見立てて、波間に千鳥と水車の蒔絵と螺鈿 (らでん) があしらわれています。

美しい蒔絵と螺鈿が施された棗
柿の木の木目を波に見立てています

一度きりに心を尽くす

さらにもうひとつ、この時期ならではの道具が用意されていました。先生が取り出されたのは、茶杓。

箱付きの茶杓

「裾が焦げているのがわかりますか」

茶杓の様子

「京都は今日あたりから祇園祭一色です。毎年今頃には神輿洗 (みこしあらい) と言って、八坂神社のお神輿を鴨川の河川敷まで出してきて、松明で囲みながら神輿を清める、という神事が行われます。

この茶杓は、そのお神輿を照らす松明の竹で作った茶杓です。だから裾が焦げているんですね。八坂神社に縁のある宮司さんが銘をつけて道具に仕立てたものです。

上方を中心にお祭りが盛んな夏の間神事にゆかりのエリアに住む茶人は、関係者を招いて茶会を開いたものです。京都なら祇園祭、大阪なら天神祭。今ではそうした人も随分減ってしまいました。

祇園祭の趣向のお茶会なら、裾の焦げた松明の竹で出来た茶杓は何よりの御馳走です」

先月は手紙が掛け軸に変身していましたが、今月は神事のお松明が茶杓に姿を変えています。しかも祇園祭というこの時期しか味わえない時候の挨拶を添えて。

言葉で語るよりも速く、スマートで、心得ている人同士でこそ成立する濃密なコミュニケーション。毎回このお茶室の中で、自分の知っている世界がどんどんと広くなっていきます。

「七則の他にも利休の教えをまとめた『利休道歌』に、こんな歌があります。

水と湯と茶巾茶筅に箸楊枝 柄杓と心あたらしきよし

これはあるお茶人が利休にお茶事に使う道具を整えて欲しいと頼んだ際に、利休がただ新しい茶巾を送って『これでお茶ができる』と答えたというエピソードに通じます。

どんな名品のお茶道具を集めたお茶会をしていても、ピンとしたいい茶巾と、真新しい削りのきれいな茶杓、美しい作りの確かな茶筅が置いていなければ、格好悪いものです」

消耗品こそちょっといいものを使ってみると、その意味がわかりますよ、と先生が次に取り出されたのは茶筅。それもひとつではありません、次々と畳の上に少しずつ形の違う茶筅が並べられていきます。

次々と並べられていく茶筅

「煤竹 (すすたけ・竹の種類)、薄茶用の和穂 (かずほ・穂先の種類。本数による) の煤竹、天目茶碗用、遠州流、藪内流‥‥」

先生が解説している様子

「どれでやってもお茶は立ちますが、色かたちは流派やお茶人さんによって変わります。自分で竹の種類や紐の色などを選んで、マイ茶筅を作ったっていいのですよ」

茶筅アップ

「大切なのは、お茶を点てようと思ったときに、消耗品だからとおざなりにせず、ちゃんといい茶筅でお茶を点ててみること。知る喜びと知る不幸との、両方を知ることができます。一度ちゃんとしたものを使ったら、それ以上のものしか使えなくなりますから」

茶筅は、一度使うと閉じられた穂先が開いて二度と戻らないのだと教わりました。だからこそ、お茶会で一組のお客さんに使うのはたった一度だけ。

「決して遊びでこれだけの種類があるわけではないのです。たった一度きりの消耗品に、これだけの情熱を傾け、入念な美しさを求めることに、茶の湯のひとつの本質があります」

夏は涼しく。今日、この場この瞬間のお茶会のために、一度きりの真新しい、美しい道具を。

「これからお点前のお稽古をしていくときに、決してそれがただの形式に陥らないよう、どうぞ今日お見せした茶筅のことを、覚えておいてくださいね。

–では、今宵はこれくらいにいたしましょう」

◇本日のおさらい

一、夏は涼しく

一、日々使う道具こそ、いいものを


文:尾島可奈子
写真:山口綾子
衣装協力:大塚呉服店
着付け協力:すみれ堂着付け教室

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