茶道の「型」を身につける意味。既にあるものを自分の体に沿わせていく
こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。
着物の着方も、お抹茶のいただき方も、知っておきたいと思いつつ、中々機会が無い。過去に1、2度行った体験教室で習ったことは、半年後にはすっかり忘れてしまっていたり。
そんなひ弱な志を改めるべく、様々な習い事の体験を綴る記事、題して「三十の手習い」を企画しました。第一弾は茶道編です。30歳にして初めて知る、改めて知る日本文化の面白さを、習いたての感動そのままにお届けします。
◇掛け軸に隠されたメッセージ
8月某日。
今日も神楽坂のとあるお茶室に、日没を過ぎて続々と人が集まります。木村宗慎先生による茶道教室10回目。床の間には涼しげな掛け軸が。うちわに孔雀の羽が描かれています。
「これまで帛紗、茶杓、茶筅と道具ひととおりを見てきましたね。そろそろ、所作をできるようになっていってもらおうと思います。
極端なことをいえば、お点前をしなくてもお茶は飲めます。でも、動作自体も一つのおもてなしのサインとしてお客さんに受け取ってもらおうと思えば、話が変わってきます。
なんでもないような帛紗さばきも、ものをゴシゴシと拭いて汚れを拭い去ろうというものではなく、絹の帛紗を使い、きちっとした清らかな動作を通して、ものを清めているわけですね。
神社で神主さんが厳かな動作で出てきて御幣 (ごへい) を振る、その一連の動作がいかにも頭を垂れるにふさわしい雰囲気をまとっているのと、一緒です。
今日の床の間の掛け軸も、孔雀の羽にうちわで涼しそうですね。‥‥でもいいですが、実はその奥にもうひとつ物語がありますから、そこまでを汲み取ってこそ。京都なら先月使った方がいいくらいの掛け軸です」
「この絵は、祇園祭の山鉾 (やまほこ) 巡行でお稚児さんがかぶる『蝶とんぼの冠』を飾る孔雀の羽を表しています。残暑きびしき折に軽い感じで掛ければそれはそれ、でも祇園祭の頃に掛けたら気づく人もいるであろう、ということですね。
興味を持って接すれば、物事にはそこに見える以上の奥行きがあります。それを紐解いて使っていくことが大切です」
◇見て、学ぶ
改めて心得を伺いこれからいよいよ実践、と緊張が高まる中、それを和らげるように今日のお菓子が運ばれてきました。
お茶もいただいて、二服目はいよいよ自分たちでお茶を点てていきます。
「体全部の関節を駆使しているようなイメージで体を使えるようになると、本当にきれいですよ」との先生の指導とお手本の所作に全神経を集中させて、見よう見まねでやってみます。
「柄杓は長いので、昔は弓矢を作る人が作ってくれていたものなんです。だから所作でも弓矢の扱いと似通わせているところがあります。器にお湯を入れたら、そのあとの所作はひきしぼっていた弓矢をパッと放つ時の手の形をします」
「みなさんも見学ですよ。自分がやるときのことを思って、見て学ぶんです」
先生の声がけにお茶室内の空気がさらに静まって、澄んでいくようです。
一人、また一人とお点前を終え、新しいことをやってみる緊張とできたときの嬉しさで教室全体が熱気を帯びる中、先生から思いがけない提案が。
「今日は真夏のことなので、最後は氷水でお茶を点ててみましょう」
◇型を体に沿わせる
全員が氷水でのお点前も終えたところで、最後に生徒が活けたお花を先生が少し手直ししてくれします。
「突き刺すように入れてはダメですよ。お花はいくつ入れても、一本の枝からでているように見えないといけません。花材を買う時は、事前に今日行きますからこういう花材を用意しておいてください、と伝えておけば、いいものをお花屋さんが選んでくれますから」
花には花の「型」がある。お茶を学びながら、少しずつそのまわりへと気づきが広がっていきます。
「今日はひと通りお点前を経験してもらいました。せっかくこうしてお稽古にきているのですから、大切なのは帛紗をたためるようになることよりも、何かひとつの物事をする時に、何気ないこともおろそかにせず、きちっと向き合って取り組む癖を、身につけることです。
そこに既にある型を自分の体に真剣に沿わせていくこと。その癖をつけるという意味では、帛紗さばき一つにも意味はある、と思います。
–では、今宵はこれくらいにいたしましょう」
◇本日のおさらい
一、見学は、自分ごとにして「見」て、「学」ぶ
一、事に当たる時に大切なのは、まず型を体得しようとする心構え
文:尾島可奈子
写真:山口綾子
衣装協力:大塚呉服店
着付け協力:すみれ堂着付け教室
※こちらは、 2017年9月28日の記事を再編集して公開しました。