和菓子でめぐる出雲・松江
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不昧公ゆかりの庵で味わう、松江の三大銘菓
出雲の甘味を堪能したあとは、京都や金沢と並ぶ日本三大菓子処、松江へ。なんと、朝ごはんに和菓子を食べる人も多いと聞きます。
一世帯あたりの緑茶の消費量も全国有数で、家庭で日常的にお抹茶を楽しむ文化もあり、スーパーのお茶コーナーにはお抹茶がずらりと並んでいるのだとか。
そんなお茶処、菓子処である松江の礎を築いたのが、松平家7代藩主、松平治郷 (まつだいら・はるさと) です。江戸時代後期の大名茶人として知られた治郷は、 現在は隠居後の号である「不昧公」(ふまいこう)の名で親しまれています。
ひっ迫していた藩政を立て直した名君である一方で、十代のころから茶の湯や禅学を熱心に学んだ不昧公は、「不昧流」として今も伝わる茶道の流派を始めるまでに至ります。茶の湯にはつきものの和菓子が松江で発展することになったのも、その頃だと言われています。
不昧公が命名し、お茶とともに楽しんだと言われるのが松江の三大銘菓です。無名のままの和菓子を不昧公が味わったあと、詠んだ歌の中から名前をつけたと言われています。
三大銘菓その1「菜種の里」
不昧公が「寿々菜さく 野辺の朝風そよ吹けは とひかう蝶の 袖そかすそふ」と詠んだと言われる和菓子、「菜種の里」。
春の菜畑を蝶が飛びかう様を表現した、やさしい食感のお菓子です。松平家から復刻を許されているのは、老舗菓子店の三英堂さんだけなのだそう。
三大銘菓その2「若草」
「くもるぞよ 雨ふらぬうちに摘て置け 栂尾山の春の若草」と不昧公が詠んだとされる、お土産物としても知られる銘菓「若草」。
お茶の新芽が成長につれ緑の色を変えるのになぞらえ、この「若草」の色も季節に応じて変えられ、楽しまれたといいます。明々庵でいただける若草は、作られてから時間がたっていないので、ことさら柔らかです。
三大銘菓その3「山川」
「散るは浮き 散らぬは沈む もみじ葉の 影は高雄の山川の水」と不昧公が詠んだ、紅白の色合いが気品ある和菓子「山川」。
紅葉が木に残っているときは赤を上に、雪の季節には赤を下に白を上にするなど、季節感を表したのだそうです。
大名茶人、不昧公が愛した古庵「明々庵」
200年の時を経た今もなお、松江の人々に受け継がれ、親しまれていまれているこの三大銘菓は、不昧公が自身の好みで建てたといわれるお茶室「明々庵 (めいめいあん) 」で、お抹茶とともに味わうことができます。
不昧公もしばしば茶を楽しむために訪れたと言われる由緒正しき古庵、明々庵。明治以降は県外など場所を転々と移し、不遇の時代もあったといいます。
不昧公150年祭が行われた昭和41年に、当時の島根県知事で「一々会」(いちいちかい。不昧公の命日にお茶を楽しむ集まり)の会長をしていた第23代田辺長右衛門氏が松江城をのぞむ高台を私財で買い取って明々庵を移転。昭和44年に島根県の有形文化財に指定されました。
現在は一般に開放されている明々庵。松江城の東側から階段を上がった高台にあります。
入り口へと向かう階段を登りきった場所からのぞむ松江城の姿は、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのよう。
形式や道具にこだわる当時の茶の湯を批判し、わびの精神を説いたという不昧公。ここでは、そんな不昧公の茶の湯への思いを感じることができる明々庵をのぞむお茶室で、心静かに不昧公が愛したお茶と和菓子を楽しむことができます。
神々の地、出雲で神様へのお供えとして生まれたぜんざい。遠くから出雲へお参りに来た旅人たちの疲れを癒し、手土産に愛された生姜糖。
そして形式ばかりにとらわれるのを嫌った不昧公ゆかりの茶の湯文化のもと、広く松江に暮らす人々に広まり、今なお親しまれる松江の三大銘菓。
時代時代に人々の中に根付き、そして現代も愛される、甘くて深い出雲国のお菓子たち。美味しい歴史は、出雲国を訪れてご堪能あれ。
<取材協力>
來間屋生姜糖本舗
島根県出雲市平田町774
0853-62-2115
http://www.syougatou-honpo.jp/
明々庵
島根県松江市北堀町278
0852-21-9863
http://www.meimeian.jp/
文:築島渉
構成:尾島可奈子
写真:尾島可奈子、築島渉、平井孝子