大相撲を支える「土俵」づくりの裏側。間近に見られる「土俵祭」とは?
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今日から始まる「大相撲九州場所」。
近年は、若い世代や相撲女子・スー女と呼ばれる女性ファンも増えて注目されていますね。競技としての迫力はもちろんのこと、古式ゆかしい非日常空間に魅了されて通うファンも多いのだとか。
あの土俵は「いつ」つくられている?
相撲になくてはならない土俵。特別なものというイメージがありますが、開催場所ごとに、その都度、新しいものがつくられているんです。
今日は土俵ができるまで、それから本場所初日の前日に行われる神事「土俵祭り」をのぞいてきました。
土の量は40トン!全て手作業で行う「土俵築」
年に6回開催される本場所、さらにはたった1日の巡業であっても土俵は会場ごとに土を運んでつくられます。この土俵づくりのことを「土俵築 (どひょうつき) 」といいます。
神さまを降ろす神聖な場として、また安全に競技が行えるように都度新しくされるのです。
地方では40トンもの土を用いてゼロからつくりあげますが、現在の両国国技館においては、前々場所で使った土俵の表面を20センチメートルほど削り、新しい土を盛ります。この場合でも8トンほどの土が必要となる大仕事。
場所開催前に45名ほどの呼出 (よびだし=取り組み前に力士の名前を呼び上げたり、土俵の上を掃き清めたりする相撲興行の専門職) さんが総出で、およそ3日間かけてつくり上げます。
土俵をつくる際には機械は一切使用せず、すべて人力で行います。トラックで運び込まれた土を一輪車 (台車) で運び、盛り上げて専用の道具で叩いて固めます。そこへ、五寸釘や縄をコンパスのように使って円を描き、土を削り、俵を埋め込み、再度土を叩いて滑らかに整えて完成させます。
土俵の土は「荒木田」という壁土用の土が最適なのだそう。東京都荒川区荒木田原 (現・町屋) の荒川沿岸にあり、きめが細かく粘土質が強いと言われていました。
東京近郊の開発が進んだ現在は、土質が近い関東近郊のものが使用されています。地方での興行の際は、その土地近郊の土俵に適した土が選ばれます。つまり、地域によって土の色も変わるので、場所ごとの土俵の色合いの差に注目してみるのも楽しそうです。
テレビ放送で見る取組では、お相撲さんの迫力のためか大きさを感じなかった土俵ですが、そばで見る土俵はとても大きく存在感のあるものでした。この土俵を人の手で毎回つくっているなんて!と、とても驚きました。一見の価値あり!です。
神様を土俵に降ろす儀式「土俵祭」
さて、この土俵を間近に見て、国技館の雰囲気を味わえる機会があります。それは、「土俵祭」。本場所の初日前日の午前10時から行われ、予約せずに誰でも無料で見学できます。
土俵祭とは、場所中の安全と興行の成功、さらには国家の安泰、五穀豊穣を祈願し、神さまを呼ぶ儀式です。立行司 (たてぎょうじ=最高位の行司) が祭主を務め、脇行司を従えて祝詞を奏上し、供物を捧げます。
正装した相撲関係者が土俵を囲む、厳粛な空気の中で進行されます。
祝詞 (のりと) は、「相撲が始まります。お越しください。土俵の内外で何事もなく場所が終わるようお守りください」と神さまにお願いする内容なのだそう。
「方屋」とは土俵のこと、「開口」とは開くこと。土俵を開く、という意味です。「故実」は昔の儀式や習慣のことで、それを申し上げるという意味。土俵の成り立ちについて、どんなふうにできたか、五穀成就のための儀式であったことなどを口伝で受け継いだ通りの言葉で唱えます。土俵開きを奏じるクライマックスです。
土俵の中に供物を鎮める
これまでの写真でお気付きの方も多いかと思いますが、土俵の中央には四角い穴が開けられています。ここに、神さまへの供物を納めます。これを「鎮め物 (しずめもの) 」といいます。
「鎮め物」が埋められている土俵の上で行う相撲。かつて相撲が神事であったことを思い出させる儀式ですね。
こうして儀式を終えると最後は、本場所開始を告げる賑々しい触太鼓 (ふれだいこ) が会場に響き渡ります。
さあ、今場所はどんなドラマがあるのでしょうか。楽しみですね。
<取材協力>
<参考文献>
『相撲大辞典 第四版』 原著・金指基 監修・公益財団法人日本相撲協会 2015年 現代書館
『日本相撲大鑑』 窪寺紘一 1992年 新人物往来社
『力士の世界』 33代 木村庄之助 2007年 文藝春秋
『大相撲と歩んだ行司人生51年―行司に関する用語、規定、番付等の資料付き』 33代 木村庄之助・根間弘海 2006年 英宝社
『[図解]神道としきたり事典』 監修・茂木貞純 2014年 PHP研究所
文・写真:小俣荘子
こちらは、2018年1月12日の記事を再編集して公開いたしました