まるで特撮の舞台。日本磁器が産声を上げた有田を歩く
エリア
白く美しい磁器、有田焼。
その歴史は、さかのぼること400年ほど前、李参平率いる陶工集団が有田の町で磁器に使える陶石を発見したことに始まります。
現在の有田の町並みは、焼き物が盛んになった江戸初期に作られたものと考えられ、今もほとんど変わっていないそう。
有田の焼き物がどのように誕生し、町が作られていったのか。
有田町役場の深江亮平さんにご案内いただきながら、史跡を巡りました。
有田の歴史を語るのに欠かせない、泉山磁石場へ
まずはJR上有田駅すぐそばにある採石場、泉山磁石場へ向かいました。
採掘というと、山奥から石を掘り出してくるイメージがありますが、町中に採石場があるというのが不思議な感じがします。
はじめに立ち寄ったのが、磁石場のそばに建つ「石場神社」。
向かう途中、足元を見ると…
なんとなく、白っぽい。
「この白っぽい石が、李参平率いる陶工集団が、日本で最初に発見した陶石です。この辺りは、元は山の中だったんですよ」
え?山の中とは?
「陶石を採取するために、もともと山だったところを今の地面の高さまで掘り下げてきたんですね。
採掘をした後の穴には作業の無事などを願って神様を祀っていました。そうしてたくさんあった土穴の神様を、1860年代に合祀したのが、この石場神社です」
境内には焼き物でできた有田焼陶祖の李参平も祀られています。
神社の裏手にまわると、今も観音様が祀られているところがあります。
実はこの観音様…
見上げる高さにあるのです。以前はあの位置に地面があったことが窺えます。
ヒーローが出てきそうな景色が広がる採石場
神社を離れて、いよいよ磁石場へ。
「ここが泉山磁石場です」
おぉ!なんだか特撮ものの撮影ができそうな景色!
ここで石を採っていたんですね。
通常は立ち入りできませんが、今回は特別に、中までご案内いただきました。
「あそこを見ると、山を上から掘り下げていったのがよくわかると思います」
植物が生えているところがもともとは地表だったとすると、いかに深く掘り下げてきたかがよくわかります。
例えるならお饅頭のあんを食べて残された皮
「石にも等級があるんです。ひとつは白いか白くないか。鉄分の含有が少ないほど白いので、等級が高い。もうひとつが粘り気。粘り気がある方が等級が高いです」
つまり、白くて粘り気があるものが最上となるわけですね。
「当時の人たちも、いい石を狙って掘っているので、今残っているこの辺りは等級としては低いものですね。
江戸時代の地図を見ると、佐賀藩の御用窯で使う石を採る「御用土」もあったようです」
一番いい石が採れた場所は、お殿様のためのものだったのですね。
磁石場は山をえぐるように採石されたため、全体がすり鉢状になっています。
「地質学に詳しい方に聞いた話です。210万年前の地熱活動で、一帯の山を成形する流紋岩 (火山岩の一種) が熱水と反応して陶石に変化した。
山をお饅頭に例えるなら、中のあんこに当たる部分が質が良く掘りつくされて、周りの白い皮が残っている、というのが今の状態です」
お饅頭のあんこと皮!とてもわかりやすいです。
「この辺りの石は焼き物のボディの為の石ですが、この山の向こう側には釉薬に使う石が採れます。耐火度といって、火に耐えられる温度が違うんです。採る場所によって石を使い分けていました」
2種類の石が採れるなんて、贅沢な山です。
壁に刻まれたつるはしの跡
実際に採石をしていた穴の中に入ってみることに。
人の背丈以上の高さをよじ登って中へ。
薄暗く、中はひんやりしています。
「寒いと地中の水分が凍るので、膨張収縮が繰り返されて崩落します。10年くらい前も寒さでこの辺が全部ごろっと落ちてきました」
「これは、つるはしで掘った跡です」
機械ではなく、手で掘っていたのがよくわかります。大変な作業です。
泉山はその陶石の多くを掘り尽くし、現在、有田焼の材料には熊本の天草のものを使っているそうですが、ここが日本で一番最初の陶石発見の場だと思うと、感慨深いものがあります。
焼き物をするためにあるような場所
有田焼の産業が始まった場所、泉山磁石場。
「当時は、原料がある所に家を建て、窯を築いて生活し、原料が無くなると移動していたようです。
泉山で陶石を発見した李参平らもここより西の方で器を焼いていて、原料が枯渇したため、探し歩いた結果、ここにたどり着いたと考えられています」
泉山で良質な陶石が安定して採れるようになってから、佐賀藩による本格的な焼き物作りがはじまります。
「ここで採れた石を使い、町の北と南にある山の斜面の地形を利用して登り窯を築いた。今にも続く有田の町並みは1637年頃にはできていたようです。400年近く前に佐賀藩が作った工業団地ですね」
なるほど。町なかに磁石場があるように感じましたが、山のひとつから石が見つかったため、そこを起点に窯場ができ、町が作られていったんですね。
「有田は焼き物にとって本当に奇跡的な場所で、原料の石のほか、窯焚く燃料の赤松が自生していました。原料と燃料が揃っていたんです」
焼き物をするためにあるような場所なんですね。
安政6年から変わらない街並み
磁石場を後に、再び町を歩いていると、古地図の看板がありました。
「安政6 (1859) 年の地図です。当時から街並みがほとんど変わっていないのがよくわかります。江戸時代に作られた工業団地が今もそのままです」
東西に細長く、北と南に山。この地形を上手く利用して山の斜面に登り窯が作られた有田の町並み。
地図には小さく、「番所」という印が示されています。
役人さんが常駐して、原料や技術を持って陶工が逃げないように監視をしていたそうです。
町を焼き尽くした大火
しかし、1828年、有田の町は「文政の大火」に見舞われます。台風による大風で窯の火が燃え広がり、町は焼き尽くされてしまいました。
そのため、有田には江戸後期より以前の紙の資料がほとんど残っていないと言います。
「火事で焼けなかった家はほんの数軒でした。そのうちの一軒が燃えなかった理由がこれなんです」
なんて大きなイチョウの木!
「イチョウの木は水を含む性質があるので、木が家に覆い被さって、火事から守ったと言われています」
大火をまぬがれたのは、江戸時代は窯元で、現在は赤絵師 (焼き上げた白磁の器に上絵付を施す仕事)をしている池田家。
今回は特別に、火事から守られたご自宅の貴重な資料を見せていただけることに。
次回、有田の歴史を語るお宝の数々を拝見します。
<取材協力>
有田町役場商工観光課
文 : 坂田未希子
写真 : 菅井俊之
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