愛らしさに思わず見とれる「首振り仙台張子」のひつじを求めて
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こんにちは。中川政七商店の吉岡聖貴です。
日本全国の郷土玩具のつくり手を、フランス人アーティストのフィリップ・ワイズベッカーさんとめぐる連載「フィリップ・ワイズベッカーの郷土玩具十二支めぐり」。
連載8回目は未年にちなんで「首振り仙台張子の羊」を求め、宮城県仙台市のたかはしはしめ工房を訪ねました。
ワイズベッカーさんのエッセイはこちら
伝統的な仙台張子と十二支の首振り張子
伊達政宗の築いた青葉城のお膝元として栄えた杜の都、仙台。
今回のルーツとなる「仙台張子」は、天保年間(1830~1844年)、伊達藩士の松川豊之進が創始したと伝えられています。庶民の心の拠り所になるようにという願いを込め、下級武士の手内職で作られていましたが、明治以後一部を除いて廃絶。しかし、1921年に復活され、1985年には宮城県の伝統的工芸品にも指定され、現在に至ります。
仙台張子の中でも代表的なのが「松川だるま」。眉は本毛、目にはガラス玉、腹部には福の神や宝船などを描いた豪華な仕立ての青いだるまで、昔から正月の縁起物として人気がありました。
そんな伝統的な仙台張子の作り方を学び、小さな十二支の首振り張子を創作して作り継いでいるのが、今回訪れる「たかはしはしめ工房」。
手のひらに収まるサイズにも関わらず、愛くるしく首を振る張子が、仙台の新しいお土産や贈り物として今や県内外から親しまれる郷土玩具となっています。
こけし作家が創り出した十二支の張子人形
先代のたかはしはしめ氏は、戦前に東京で手描友禅の染色を経て、地元の宮城県白石市に戻りこけしの描彩をした後、1953(昭和28)年に「たかはしはしめ工房」を設立。
手作りの創作こけし作家として活躍する傍ら、同業者に仕事を依頼されることも多かったそうで、その経験を活かし、1960(昭和35)年に新しいお土産品を発表します。それが、松川だるまの彩色と堤人形の型抜きのノウハウを融合させて作った、オリジナルの俵牛(現在の干支の丑)の張子でした。
「先代は主婦の仕事をつくるためにと、多い時で10人の内職を雇っていました。そして、1980(昭和55)年にはお客さんからの要望と内職の仕事をきらさないようにという理由で、干支作りも始めたのです。一周目は干支をつくれない年もありましたが、二周目で十二支すべてが揃いました。」
派手な彩色や装飾が多い従来の仙台張子とは異なり、和紙をちぎり絵のように貼っただけの素朴な質感と首のゆれ方がなんとも愛らしい首振り張子は、こうして誕生したました。そして、現在は息子さんで2代目の敏倫さん夫婦が引き継がれています。
首振り張子ができるまで
1)バリ取り
再生紙を整形してつくった原型をグラインダーにかけ、継ぎ目のバリを取り除きます。集塵機は敏倫さん自ら掃除機を改造してつくったお手製なのだそう。
2)上張り
頭と胴体、それぞれに小さくちぎった和紙を張り付け、乾燥させます。乾燥したら頭に角をつけます。角は針金と紙紐、和紙は粕紙を使用。色付きの和紙は良さを活かすために、一枚一枚染め、色止めをし、ちぎり絵のように丁寧に貼ります。
3)おもり
ひつじの大きさに合わせて、土粘土でおもりを作ります。
4)組み立て
頭に糸を通し、おもりを付けバランスをとります。おもりを付けた部分が見えなくなるように紙で包み込み、頭がきれいに振れる様に頭と胴体を取り付けます。特に、辰・巳・酉は首の振り子調整が難しいのだそう。
5)絵付け
目を描いたら、完成です。
紙貼りを一部内職に頼んでいる以外は、染め・彩色を敏倫さんが担当、その他を夫婦2人で分担しています。
伝統的な仙台張子の作り方と比べると、原型作りが効率的な方法に変わったりもしていますが、逆に和紙の染色や上張り、首振りの調整には手間を惜しまず、ひとつひとつを大事に作り上げられています。年間生産量は十二支全部で約1万個。
「お客さんから修理依頼があれば対応できるようにと、古い和紙の端紙もとっておいてあります。」というのを聞いた時は、その心配りに敬服でした。
そんな首振り仙台張子は、頭をちょこんと押すと、ゆらりゆらりと愛らしく頭を動かします。
ちょっとしたプチギフトや新年の縁起物などに、ぜひ。
さて、次回はどんな玩具に出会えるのでしょうか。
「フィリップ・ワイズベッカーの郷土玩具十二支めぐり」第8回は宮城・首振り仙台張子の羊の作り手を訪ねました。それではまた来月。
第9回「熊本・木の葉猿」に続く。
<取材協力>
たかはしはしめ工房
仙台市青葉区中江2-8-5
電話 022-222-8606
文・写真:吉岡聖貴
「芸術新潮」5月号にも、本取材時のワイズベッカーさんのエッセイと郷土玩具のデッサンが掲載されています。ぜひ、併せてご覧ください。