ハレの日に贈る、気持ちを結ぶ祝儀袋
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日本人は古くから、ふだんの生活を「ケ」、おまつりや伝統行事をおこなう特別な日を「ハレ」と呼んで、日常と非日常を意識してきました。晴れ晴れ、晴れ姿、晴れの舞台、のように「ハレ」は、清々しくておめでたい節目のこと。
そんな「ハレの日」を祝い彩る日本の工芸品や食べものなどをご紹介する連載「ハレの日を祝うもの」。新年を迎えた今回は、お祝いの気持ちを贈る「祝儀袋」のお話です。
お祝いの気持ちを贈る、祝儀袋
「祝儀」は、人生の節目のお祝いに金品を贈ること。最近ではユニークなデザインの祝儀袋もたくさん見かけますが、正式なお祝いのときこそ古くから日本に伝わるスタンダードで美しい祝儀袋でお祝いの気持ちを伝えたいと思うのは私だけでしょうか。
祝儀袋の由来は、日本の贈りもの文化の起源にさかのぼります。農作物などを和紙で包んだ上からこよりで結び、神さまに奉納していたというもの。これが、宮中での儀式や武家の礼儀作法により少しづつ変化しながら、贈答品を包む文化として広まったといわれています。
祝儀袋は、熨斗袋(のしぶくろ)とも呼ばれますが、熨斗は本来「のしあわび」のこと。あわびは古代から長寿をもたらす貴重な食べもので、武家の出陣祝いにされたり、吉祥の贈りものに添えられるものでした。熨斗が邪悪を防ぎ、その贈りものがけがれていないという証だったのだそう。現在では、のしあわびを模した紙などが熨斗として用いられています。
金品を包む和紙の存在も祝儀袋の大切な要素のひとつ。格の高い贈りものには、しぼのある手漉き和紙が使われてきました。金品を和紙に包んで贈る際には、相手との関係性や中身によって折りを変え、美しく包みあげる折形作法が用いられます。
そして、包み紙を結ぶ「水引」。飛鳥時代の遣隋使・小野妹子が日本に帰る際、隋国が日本の朝廷に贈った品々に、紅白の麻紐が結んであったことがそのはじまりといわれています。これは海路の安全を祈願したもので、贈りものの際には想いを一緒に結びこむという習慣となり、水引の文化につながったのだそう。さまざまな要素が、ひとつの祝儀袋を形づくっています。
長野県「飯田水引」で結ぶ
これらの祝儀袋をつくってくださったのは、長野県飯田市で明治元年に創業した「水引屋 大橋丹治」。飯田は綺麗な水が流れ、江戸時代から紙漉きが盛んな町。かつては紙を切り落とした際に出る端紙を使って、髪を結ぶ「元結(もとゆい)」をつくっていたのだそう。
元結は生活必需品でしたが、明治維新の断髪令により使われることがなくなり、その後は元結技術を生かした「水引」がこの地でつくられるようになったといいます。「水引屋 大橋丹治」では、今もほとんど手作業でさまざまな水引結びをつくっています。
祝儀袋に詰まった日本の文化は、相手のことを想い、お祝いの気持ちを込めて贈るという素直であたたかいもの。今年はみなさんの周りでどんなお祝いごとがあるでしょうか。笑顔あふれる、喜ばしい年になりますように。おめでとうございます。
<取材協力>
大橋丹治株式会社
http://www.oohashitanji.jp
文・写真:杉浦葉子
この記事は2017年1月2日公開の記事を、再編集して掲載しました。
<掲載商品>
飯田水引の祝儀袋
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