谷の間に間で世界を思う
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こんにちは。ABOUTの佛願忠洋と申します。
ABOUTはインテリアデザインを基軸に、建築、会場構成、プロダクトデザインなど空間のデザインを手がけています。隔月で『アノニマスな建築探訪』と題して、
「風土的」
「無名の」
「自然発生的」
「土着的」
「田園的」
という5つのキーワードから構成されている建築を紹介する第6回目。
今回紹介するのは、特別史跡旧閑谷学校
所在地は岡山県備前市閑谷784
旧閑谷学校は岡山藩主の池田光政が重臣の津田永忠に命じて1670年に設立した日本最古の庶民のための学校である。
津田永忠は日本三名園の一つ後楽園の築庭や、旭川の氾濫から岡山城を守るための放水路である百間川の築造などに尽力した岡山藩士である。
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この地へは電車だとJR山陽本線の吉永駅からタクシーで10分ほど、車だと山陽自動車道の備前インターを降りて10分前後で、入り口のすぐ前にたどり着く。実は少し手前の分岐に徒歩専用の旧道があるのでその道をお勧めしたい。
山の中の小道を進んでいくと、古いトンネルがある。先日の大雨で少しトンネル手前の崖が崩れてはいたが、重機をちょうど入れて工事をしていたので、おそらく今は問題なく通れると思う。
トンネルを抜けると、開けた明るくそして緑に囲まれた閑谷学校の建物群が現れる。
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まず目に入るのが大きなモグラが通ったかのような地面がモコッと立起したような塀である。
半円のカマボコのような断面をした分厚い石塀が敷地の外区に沿ってうねうねと走る。石塀には4つの門があり、一番東側の門に入館の受付がある。
門をくぐると芝生に覆われたサッカーコート1面分はあるのではないかと思われる広庭が広がる。
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北側は斜面となっていて、階段で上がった先には、創設者の池田光政をまつった閑谷神社(右側)と、儒学の祖である孔子をまつった聖廟(せいびょう)が並んでいる。
この二つの建物はほぼ同じ構成で作られ、四方を練塀で囲い、中心に社殿を配置している。
閑谷神社の地面は聖廟の地面より約1m下げてあり、そのため神社の練塀の高さと聖廟の連塀の高さが違うことから赤茶の瓦が何層にも連続したように見える構成となっている。
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広庭の西側には、講堂が妻面を見せて建っており、南側と東側は前述の石塀である。
建物と石塀と山に囲まれた平地に立つと、自然の地形の中に生み出されたきめ細やかな計画的配置は本当に美しく感動をおぼえる。
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講堂は閑谷学校のなかで最も規模が大きい建物で、毎月1と6が付く日に儒学の講義が行われたという。
現存の講堂は1701年に建て替えられたもので、桁行7間、梁間6間の建物に、備前焼の瓦でふいた入母屋造、しころ葺きの大屋根が載っている。
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講堂に付属して、毎月3と8が付く日に儒学の講義が行われた習芸斎や、休憩室として使われた飲室などの棟が続いている。
飲室の中央には花崗岩をくり抜いてつくった約1m四方の炉が入る。炉縁には火の用心から薪の使用を禁じ、炭を使うよう文字が刻まれている。
柱の見込みが深く、メリハリのある陰影を大きな白壁につけている。
いずれも彫刻や装飾が一切ない合理主義的な建築である。
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また南側には離れの小斎がある、これは1677年に藩主の池田光政や歴代藩主が臨学した際の休憩所で、簡素な数寄屋造である。
3寸(9cm)角の細い柱、細い垂木、薄くシャープな軒反りを持つ柿葺の屋根。棟には備前焼瓦が載せられている。
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そして講堂の西側にはぽつんと文庫が建っている。堅牢で耐火に優れた土蔵造。重要な書物を所蔵していたようである。
外壁は白漆喰で塗り固め、上部には炎返しが回り、漆喰屋根の上に、備前焼瓦を葺いた置屋根を被せた造りである。
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横の小高い丘が敷地に突き出ている部分は火災の延焼を防ぐために設けられた火除(ひよけ)山である。
見た目だけでなく、機能を持ったこの丘は学生たちの宿舎があったエリアと講堂部分を緩やかに分断する。
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芝生をてくてくと歩き、靴を脱ぎ講堂の中へ。
外側を約一間の縁が回り、ぐるっと一周することができる。花頭窓を通して内部をのぞくと、床は漆塗りで黒光りしている。
内部には10本の丸柱が立っており、この柱が緩やかに内と外を分けている。
この建物の空間構成は、中心から外側に向かって、内室、入側、縁という3重の入れ子構造。
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こうした複数のレイヤーで構成された建築は仏教寺院などにも見られるが、寺の本堂ではその中心にあたる内陣にご本尊が安置されているものだ。しかしこの講堂の内室に置かれているのは、素読のときに使う書見台だけである。
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講堂の広縁に腰を下ろして庭を眺めていると、入れ子状の構造は、建物の外側に広がるランドスケープでも共通していることに気付く。
講堂の外側にはまず芝の広庭、用水路、石塀、通路、用水路、という囲いがあり、そのさらに外側には、盆地を囲む山々がある。
閑谷学校は、建物のインテリアから周囲の地形に及ぶ7重の囲いで出来上がり、しかも、それぞれのゾーンを区切っている囲いは、仕切りが緩やかである。
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内室と入側の間には建具があるわけではなく、床は同じレベルで連続している。
また入側と広縁の間も、障子を開け放てば、視線は外の庭へと抜けていく。
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石塀も厚みはあるが高さは低く、外側の山を借景として取り込んでいる。
このような開放的な多重の入れ子構造が、この建築の最大の特徴である。
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開館前に到着したこともあり、雨戸が閉まった状態の講堂が、職員の皆さんで雨戸をあけ、講堂に朝日が差し込み透明になっていく姿は、庶民を広く受け入れ、教育を施す場としてふさわしい形のように感じた。
学生たちはこの学校で学びながら、この多重的な空間構成を頭の中で広げ、山の向こうにある日本、さらには日本の外にある世界のことを思い描いていたのではないだろうか。
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佛願 忠洋 ぶつがん ただひろ
ABOUT 代表
ABOUTは前置詞で、関係や周囲、身の回りを表し、
副詞では、おおよそ、ほとんど、ほぼ、など余白を残した意味である。
私は関係性と余白のあり方を大切に、モノ創りを生業として、毎日ABOUTに生きています。
文・写真:佛願 忠洋