藍染絞りに生きた職人。片野元彦のものづくりから「仕事」のあり方を考える

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日本民藝館 特別展「藍染の絞り 片野元彦の仕事」を訪ねて

新しく何かをはじめるタイミングとして、57歳という年齢が遅いのか、適齢なのか。

一つの仕事を極めるうえで、19年という月日が短いのか長いのか。

人生100年といわれる時代に「仕事」の捉え方は、人それぞれです。

57歳で絞り染め(しぼりぞめ)をはじめた、片野元彦(かたの もとひこ)。いまや彼が生みだした「片野絞り」という藍染の絞り技法は、周りの職人たちから高い山脈を望むように崇められています。

そんな絞りの極致ともいうべき品々が、日本民藝館特別展『藍染の絞り 片野元彦の仕事』で一挙に公開されました。

日本民藝館 片野元彦の仕事
木綿地藍染熨斗目小華繁紋折縫絞着物 1960年代後半 工房草土社蔵

今日は、絞り染めの歴史と片野元彦のものづくりをたどりながら、「仕事」について考えてみたいと思います。

もっとも原始的な技法「絞り染め」

絞り染め(しぼりぞめ)とは、模様を表現する染め技法の1つ。

布の一部を糸で縫い締める・折るなどして、意図的に染液が染み込まない部分をつくることで模様を表現する技法。

文様を染め出す最も原始的な技法として、世界の各地に存在しています。

日本の「絞り染め」の歴史

日本における最古の絞り染めは、奈良の正倉院や法隆寺の宝物に見ることができます。奈良時代に中国からもたらされた、いくつかの染め技法を取り入れてつくられたと言われています。

簡単な方法はそれ以前から存在しますが、絞り染めが大きく発展するのは江戸時代に入ってからのこと。

高級品として京都の絹(きぬ)の布に絞った「京鹿の子」や、木綿に藍染をした「地方絞り」など、広く取り入れられるようになりました。

とりわけ、木綿の産地として名を馳せた豊後(現在の大分県)の「豊後(ぶんご)絞り」や、豊後より尾張(現在の愛知県名古屋市緑区)へ伝えられた「有松・鳴海絞り」が有名です。

父娘で確立した技法。美しい藍染の「片野絞り」を知る

絞り染めの第一人者として知られ、「片野絞り」と呼ばれる独自の技法を確立した片野元彦。

日本民藝館 片野元彦の木綿地藍染よろけ縞紋白影絞広巾
木綿地藍染立湧梅散紋白影絞裂 1972年 日本民藝館蔵
片野元彦の絞り染め 日本民藝館
木綿地藍楊梅染松皮菱紋巻上絞広巾 1963年 昭和38年度日本民藝館展 日本民藝館賞受賞作 日本民藝館蔵

「片野絞り」は、折り畳んだ染布にさらに折り畳んだ当て布を上下に当て、その上から縫い絞り防染していく技法で、別名「重ね縫い絞り」とも呼ばれています。

重ねた当て布の上から文様にそって、さらに一針一針縫って押さえていくため布には厚みが出ます。熟練の職人でも針を通すのがたいへん難しいそうです。

片野元彦の娘、片野かほりさん
木綿糸で括る作業を行う片野元彦の娘・かほりさん。自邸にて 1976年(藤本巧撮影、写真提供:工房草土社)

重ね縫いされ、まるで生きもののような布のかたまりを藍染すると、独特のぼかしが浮かびあがり、さまざまな文様が立体的に現れます。

これらは、片野父娘が二人三脚で高めた代表的な技法のひとつです。

片野元彦の片野絞り 木綿地藍染筋立段紋折巻絞広巾
木綿地藍染筋立段紋折巻絞広巾 1970年代前半 工房草土社蔵
片野元彦・片野かほりの「片野絞り」
木綿地藍染流水紋杢目絞広巾 1960年代後半 日本民藝館蔵

思想家・柳宗悦との出会いと職人としての目覚め

染色家・片野元彦(1899-1975)を57歳で絞りの世界へ導いたのは、日本民藝館の創設者であり思想家の柳 宗悦(やなぎ むねよし)でした。

青年時代、画家を志した片野は、洋画家の岸田劉生(きしだ りゅうせい)に師事するために21歳で上京。

しかし画家だけで生活していくことは難しく、画業のかたわら染めものも行いました。

30歳のときに岸田が急逝し、以後、片野は染物に専念するように。

その後、戦争で一時は仕事ができなくなりますが、1955年、片野は民藝運動の主要メンバーでもある、河井寛次郎・濱田庄司・芹沢銈介(せりざわ けいすけ)らと知り合いました。

翌年、片野の故郷である名古屋の「有松・鳴海絞り」の視察に柳が訪れた際、片野が案内役を引き受けます。

本筋の仕事ではなくなりつつあった絞りの現状を嘆いた柳は、片野に「藍染絞りを再興するように」と勧めたうえで、「ものを作る心を河井寛次郎に、染色の道を芹沢銈介に学べ」と伝えます。

そこから、片野元彦と長女・かほりによる絞り染めの仕事がはじまりました。

片野元彦と片野かほり
編集作業をする元彦とかほり 1971年(藤本巧撮影、写真提供:工房草土社)

職人の覚悟。「悲願」ということばの重み

片野は、「絞りと私」という文章の中で柳との思い出をこのように綴っています。

——— 或時私の仕事場に先生からお手紙とお軸の小包がとどけられ、さっそく開封するとお軸の文字は「悲願」の二文字であり、お手紙には「絞りを悲願とせられるよう祈る」としたためられてあった。此のお軸の文字を拝見した瞬間、私は頭から冷水を浴びた如く全身の血が止った思いで言い表わしようの無い戦きを覚えた。

(「絞りと私②」片野元彦/雑誌『民藝』788号 特集「片野元彦・かほり– 人と仕事」より引用)

またある時、河井は片野に対して、職人としての心構えをこのように伝えたそうです。

「柳が絞りをやれと言うならば、どこまでもそれに答えねばならん」

「絞りをやるなら過去の絞りを忘れることだ、そしていままでの絞りをことごとく火で焼き捨てて終え、そしてその畑に自分の種をまいて懸命に育てるのだ、自分もその耕作を手伝うよ」と。

片野にとって柳や河井らとの出会いが、どれほど大きかったのか。

どれほどの重責を感じながら仕事へ打ち込んでいったのか、その一端をうかがい知ることができるエピソードです。

藍染絞りに捧げた人生。職人の手仕事から学ぶこと

近代以降、私たちの衣類の多くは機械生産へと変化しました。かつては日本のどこにでもあった、人が手で糸をつむぎ、布を織り、染めあげるといった手仕事の文化は、いまでは珍しい過去の営みのようにも感じられます。

片野は晩年、自身の仕事について綴った文章のなかでこのように語っています。

——— 私は、私の作る絞がいかに拙なくともこの仕事に生命をもやし続けたい。繰り返し繰り返し絞った布を藍甕で染める、そのくりかえしの間に色の滲みはだんだんに浄化され、美しい布に調えられてゆく姿を見て、私はすべてを忘れ自分さえも忘れさせてくれる此の仕事に生きる喜びを感じている。

(「絞りと私①」片野元彦/雑誌『民藝』788号 特集「片野元彦・かほり– 人と仕事」より引用)

素材づくりにはじまり、一枚の布を何十回・何百回とくりかえし絞り、仕上がりの色を思い浮かべながら幾度も藍 甕をくぐらせる日々を想像したところで、すんなりと理解することは難しいかもしれません。

ただ、頭だけではなく心と身体を使って全身で取り組む仕事。それが、手仕事ならではの力強さや生きる喜びにつながっていくのではないか。

片野元彦の染め仕事
縄もっこ絞 1968年(藤本巧撮影、写真提供:工房草土社)

片野が手がけた一連の絞り染めを前に、生きる喜びとしての「仕事」について、私は思いを馳せました。

選択肢が多様化した現代だからこそ、自分にとって「仕事」とは何なのか。

ふと立ち止まり、向き合うきっかけを与えてくれる展覧会です。ぜひ、この機会に会場を訪ねてみてください。

日本民藝館 片野元彦の木綿地藍染よろけ縞紋白影絞広巾
木綿地藍染立湧梅散紋白影絞裂 1972年 日本民藝館蔵

 

藍染の絞り 片野元彦の仕事

【会期】2019年4月2日(火)~6月16日(日)
【時間】10:00~17:00(入館は16:30まで)
【休館日】月曜日(ただし、4月29日、5月6日は開館)、5月7日(火)
【会場】日本民藝館(〒153-0041東京都目黒区駒場4-3-33)
【入館料】一般 1,100円 大高生 600円 中小生 200円
【URL】http://mingeikan.or.jp

 

文:中條美咲
写真提供:日本民藝館

TOP画像:「木綿地藍染熨斗目小華繁紋折縫絞着物 1960年代後半 工房草土社蔵」
参考文献:『民藝』2018年8月 第788号 特集「片野元彦・かほり−人と仕事」

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