お相撲さんからは甘い香りがする‥‥大相撲の歴史に欠かせない「島田商店の鬢付け油」
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「両国駅のホームで『あれ?この香り‥‥』と思ったら、近くにお相撲さんがいたりするんだよね」
本場所に足しげく通う相撲ファンの友人から、こんなエピソードを聞きました。
その凛として勇ましい姿とは裏腹に、力士はとてもいい香りがするそう。近くに寄ると、どこか懐かしい甘い香りが鼻をくすぐるというのです。
その香りの正体は、鬢付け(びんつけ)油。力士の象徴ともいえる髷(まげ)を結うためには、かかせない存在です。
東京・江戸川区の島田商店は、日本で唯一、力士用の鬢付け油「オーミすき油」の製造販売を行なう会社。昭和40年の開業以来、50年以上にわたり鬢付け油を作ってきました。
甘い香りのヒミツに迫るべく、島田商店 初代・島田秋廣さんと2代目の島田陽次さん、女将の島田陽子さんにお話を伺いました。
横綱も新弟子も全員同じ。力士が愛用する島田商店の鬢付け油
そもそも鬢付け油とは、結い上げた日本髪を固め、乱れを防ぐために使うものです。
ひとくちに鬢付け油といっても、実は固さによって種類が異なり、島田商店では「びん付け」「中ねり」「すき油」の3種類に分けて製造しているとのこと。
固めの「びん付け」は、主にカツラ用。結い上げた日本髪をしっかりと固定するため、固めの鬢付け油が愛用されているそうです。
日常生活でも髷を結ったままの力士は、専用の「すき油」を使います。すき油を使うと、地毛の長髪を艶やかに保つことができるそう。秋廣さん曰く、「力士の髪質に合わせて、固めの『びん付け』と混ぜて使う床山さんもいるよ」とのこと。
カツラや日本髪を結う専門職「床山」は、鬢付け油とは切っても切り離せない存在。大相撲では各相撲部屋ごとに床山さんがいて、所属力士たちと寝食を共にし、激しい取組や稽古で崩れた髷を結い上げるのです。
島田商店の鬢付け油は、各部屋の床山さんに直接卸しています。時には床山さんのオーダーに合わせて固さを変えることもあるそう。
「番付が上とか下とか関係ない。横綱から新弟子まで、力士はみんな、うちの油で髷を結ってると思いますよ」と、陽次さん。
感覚を頼りに練り上げる 鬢付け油の作り方
では、どのように鬢付け油ができるのか見てみましょう。
朝の6時。釜に火を入れ、原材料の木蝋・ひまし油・菜種油を溶かします。固形だった原材料が、みるみるうちに透明な黄金色の油になりました。
これを3時間かけて、程よい温度まで冷まします。
冷めた油に粉末の香料を投入すると、途端にふわっと甘い香りが立ち上ります。
次は練りの工程です。ブレンドされた7kgの油に満遍なく香料が行き渡るよう、長い棒を使ってテンポよくかき混ぜます。
香料と空気が混じり合い、徐々に白味を帯びてきました。なめらかな質感と淡い色味は、まるで栗きんとんのよう。
香料が混ざったら、もう一度練ります。1本の棒で油を混ぜ続ける陽次さんの額には、汗がにじんできました。かなりの重労働です。
最後に頼りになるのは、自らの手。ある程度固まった油を台に取り出し、全体の固さを均一にすべく、全体重をかけてさらに練り上げます。秋廣さんは「この感覚を身につけるまで、13年はかかった」と言います。
キャラメルほどの固さになったら、長方形に成形。型枠に押し込み形を整えます。
長い棒状になったものを糸で70gずつに切り分け、鬢付け油の完成です。
液体状だった油は、練りを重ねるごとに固さが増し、完全に冷えるとロウソクのような質感になりました。
溶けた油が鬢付け油になるまで約30分。工程のほとんどを占めるのが練りの作業です。手先に集中しながら、徐々に重さが増してゆく油を繰り返し練り続けなくてはなりません。
陽次さんは「油は放っておくと冷えて固まってしまいますから。一度やり始めたら、間髪入れずに練り続けないといけません。時間との戦いですね」とその苦労を語ります。
「温度に左右されやすい鬢付け油は、季節に合わせて固さを調整する必要があります。木蝋の配合を変えて、夏は固めに、冬は柔らかめに仕上げます。作り方にマニュアルはありません。感覚を覚えるのが大切です」
鬢付け油を作る上で大変なのは、作業工程だけではありません。
秋廣さんは「天然物の木蝋が昔に比べてなかなか手に入りにくい」と、材料を入手することの難しさを教えてくれました。
木蝋とは、櫨(はぜ)の実を加工して作る天然のワックスです。最近は櫨の木が減っていることに加え、実をもいで加工する人手も足りなくなっているそう。秋廣さんと陽次さんは「輸入物で試したこともあったけど、それでは練っても練っても固まらない。木蝋はやっぱり国産じゃないと」と口を揃えます。
さらには道具も重要です。7kgもの油を練り上げる木の棒は、現在50本ほどのストックがあるそうです。
「油は重いから、棒の木目がしっかり合っていないと1度使っただけで折れちゃう。昔は大八車を作る大工さんに頼んで棒を作ってもらうこともあったけど、今はそういった大工さんもいないからね。せっかくなら一生分作っておこうと思って、直径や長さも指定して、四国の材木屋さんに作ってもらったんだよ」(秋廣さん)
全て手作業だからこその苦労とこだわりが垣間見えます。
60年間変わらない 甘い香りの正体とは
取材をする中で、工房の中にはずっと甘い香りが立ち込めていました。「いい香りですね」と言葉をかけると、「そう?ずっとこの香りの中で仕事してるから、もう慣れてわからなくなっちゃった」と陽子さんが笑って答えます。
なんだか懐かしいような、ずっと嗅いでいたくなるような甘い香り。陽次さんにその正体を尋ねました。
「メインの香りはバニラですね。その他にも液体香料を3つ混ぜて使っているんです。だから『なんの香り?』と聞かれても一言で説明するのは難しいんですよ」とのこと。
鬢付け油の甘い香りは、バニラからくるものでした。なんだか懐かしく感じるのは、幼い頃から慣れ親しんでいるバニラが入っているからかもしれませんね。
島田商店の鬢付け油がこの香りになった経緯を秋廣さんが教えてくれました。
「中学を卒業してから、鬢付け油を作る工房に勤めていてね。そこでも最初の頃は匂いをつけていなかった。ある時、鬢付け油を卸していた床山さんから『もうちょっと他の香りはないの?』と相談があってね。当時の親方と話し合って、試行錯誤の末にこの香りになったんだ。そこから約60年。ずっと変わらないね」
なんと60年もの間、力士たちはこの香りをまとって土俵に上がっていたんですね。
その結果、島田商店の鬢付け油の香りは、「力士の香り」として知られる存在になりました。整髪料として使う以外にも、練り香水やルームフレグランスとして香りを楽しむために買い求める一般の方もいるそうです。
床山さんと二人三脚で、角界の伝統を守ってゆく
とはいえ、香りを楽しむ目的で鬢付け油を購入するのはごく一部。「やっぱり一番のお得意様は床山さんだ」と秋廣さんは言います。
「今はなり手も少ないって聞くけど、相撲部屋付きの床山さんは師弟制でね。師匠の鬢付け油の練り方、結い方を弟子が受け継ぐんだよ。
昔はカツラや日本髪を専門に結い上げる床山さんもいたんだけど、今はめっきり数が減った。日頃から和装をする人も、文金高島田のカツラを被って結婚式を挙げる花嫁さんも少ないでしょう。
どの相撲部屋もうちの油を使い続けてくれるから、本当にありがたいね」
島田商店が創業した昭和40年、まだ日本髪の文化は残っていました。当時は床山さんだけではなく、日本髪専門の美容室からも注文があったそうです。しかし洋装が主流になるにつれて、その数も次第に減少。
時代の変化に伴い、鬢付け油を製造する工房も閉店が相次ぎます。
「昔は浅草だけで4、5軒あったけど、どこも廃業しちゃってね。『島田商店さん、どうか息子さんを跡継ぎにしてください』って床山さんから頼まれたよ」
島田商店2代目の陽次さんは、大学卒業後、すぐに家業を手伝い始めました。
「昔から自分が跡を継ぐだろうなとは思っていました。一応就活はしましたが、面接で家業について話したら、『そんなにいい仕事があるなら、君はそれを仕事にするべきだ』なんて言われたりしましたね」
香りや固さなどの要望に応え、床山さんに寄り添って鬢付け油を作り続けてきた島田商店。1500年以上も続く日本の国技・相撲をこれからもこの甘い香りで支え続けていくことでしょう。
<取材協力>
島田商店
東京都江戸川区江戸川1-33-12
03-3670-6211
文:佐藤優奈
写真:中村ナリコ