虫の音を愛でる日本人が生んだ、芸術品のように美しい虫籠
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こんにちは、ライターの小俣荘子です。
みなさんは、何か品物を見た時に、心を撃ち抜かれたような経験はありますか?胸がドキドキしたり、理屈を抜きにビビビっと来て見入ってしまう瞬間、見惚れてため息が出てしまうような出会い。実は私、先日経験いたしました。
ある夏の日、催事で展示されていた工芸品を何の気なしに見て回っていた時のこと。思わず足が止まり、釘付けになってその場をしばらく離れられなくなりました。そして食い入るようにずっと眺め、細部の美しさにもまた興奮したのです。
それは、静岡で江戸時代から続く繊細な竹細工、「駿河竹千筋細工 (するがだけせんすじざいく) 」という難しい技術で作られた虫籠でした。
これはぜひみなさんにもご紹介したい!と、現在唯一この虫籠を作ることができる職人さんをご紹介いただき、取材に行ってまいりました。
さて、まずは写真でその虫籠をご覧いただきましょう。こちらです!
いかがでしょう?繊細な竹ヒゴが整然と並び、天井は優雅なアーチ。朱色に手染めされた正絹の紐。そして、足元の曲線が美しい台も目を引きます。これは、「大和虫籠」と呼ばれる虫籠。
そのお値段、なんと8万568円 (右の小さいものは2万7864円) 。さらに飾りが施されたものは10万円を超える大人の虫籠、美術品とも言うべき代物です。
もちろん中に砂などを敷いて虫を入れて楽しむ方もいらっしゃるそうですが、お料理屋さんが十数個まとめて購入し、お料理の器として使ったり、人形や折り紙などを入れて自宅のインテリアとして活用されることも。毎年この美しさに心を奪われ購入される方々がいらっしゃり、作り続けられています。
家康の趣味と、貴人の美意識が育んだ贅沢品
駿河竹千筋細工は、徳川家康が駿府城で大好きな鷹狩りをするための餌箱を作らせたのが始まりと言われています。その技術を用いて、家康お抱えの鷹匠たちが鷹に合わせて籠を作り、改良が重ねられていきました。
その中で生まれた大和籠は、高貴な方々の愛玩用に用いられ、贅沢を極めます。籠本体は最高級品を用い、籠台には上質の檜材、足は上品な猫足型‥‥と、品質からデザインまでこだわり抜かれ、籠台の装飾は、黒または朱塗りに、金・銀の高蒔絵まで施してあったといいます。これを元にした虫籠が1860年 (万延元年) 頃から作られるようになります。
実用性だけでなく、美しさを追求して作られた鳥籠から生まれたのが、現代に伝わる大和虫籠だったのです。
いざ、工房へ!
冒頭で、難しい技術とご紹介した「駿河竹千筋細工」。1976年に通産省指定 (現経済産業省) の伝統的工芸品の指定を受けています。
具体的にはどのような技術で、どんな風に虫籠は作られるのでしょうか?
現在唯一、大和虫籠を作っておられる工房「みやび行燈」、伝統工芸士の杉山貴英 (すぎやま・たかひで) さんの元を訪れました。
みやび行燈で作られる虫籠や照明器具など繊細な作品の数々。その美しさは海外でも認められ、ドバイのホテルから注文を受けたり、杉山さんが「徹子の部屋」に出演された折には、虫籠をはじめとした作品の美しさに黒柳徹子さんが大いに感激されたほど。
近年では、照明デザイナー谷俊幸氏とのコラボ作品「HOKORE06」が、全国伝統的工芸品公募展にて経済産業大臣賞を受賞するなど数々の注目を集めています。百貨店などで展示されていることも多いので、私のようにどこか身近な場所で目にしたことのある方もいらっしゃるかもしれません。
枠が肝!駿河竹千筋細工の美しさと強さの秘密
「この2つ何が違うと思いますか?」と、2つの小さな虫籠を並べて杉山さんが解説してくださいました。
「左は棒状のものに穴をあけて組み上げていくもの、右 (駿河竹千筋細工) は、1本の長い棒状にした竹の4箇所を曲げていって端と端を継いで作った枠に、穴を開けて竹ヒゴを通して組み立てていきます。この枠が静岡独自の特徴です。枠の継ぎ目は斜めにし、接地面を多くして平らになめらかに継ぎます。例えば秋田の曲げわっぱなどでは面を重ねていますよね。重ねると段差ができるのですが、段差を作らないようにするために斜めに切断して継いでいます」
「その他にも、編む竹の場合も、0.4ミリメートルほどの厚みのものを編んでいくのが一般的ですが、静岡のものは4〜5ミリメートルほどあります (ほぼ10倍ですね) 。それに熱を加えて曲げていきます。強度特化型の細工なのです。例えば、そこにあるバッグだったら2つ並べて上に板を敷いたら十分に人が乗れます。軽く上で跳ねても大丈夫なくらいの強度があるのです。編むというよりは組み立てていく、これが静岡の竹細工の特徴です」
焼コテを使って熱で竹を曲げるところを実演していただきました。
形ごとの型があるわけではなく、熱の強弱で丸、または角の大きさを決めていきます。その時々の竹の質や季節によって曲げ方を調整するので、何千何万本も曲げて体に覚えさせていくのだそう。
目の前で様子を拝見していると、スイスイと簡単にやってらっしゃるようにも見えるのですが、お話を聞いているだけでとても難しそうです。角の中心から左右に均等な長さと角度に曲げていきます。四角に曲げるのが一番難しく (4つの角が均等でないと繋がらない、台形や平行四辺形になってしまうため) 、伝統工芸士の試験でも四角曲げが課題となるそうです。多角形から修行をはじめ、四角を美しく作るには最低7年はかかると言われているのだとか。
「やってみる?」と、杉山さん。
お言葉に甘えて体験させていただいたのですが、四角以前にそもそも曲がらない!!「力を入れずに重力に従って少しずつ両手を均等に下げていく」と伺ったのですが、竹のしなりの変化を腕で全然感知できず、「まだ曲がってくれないです」と言っているうちに最後には熱の入れすぎで折ってしまいました‥‥。曲げるだけでもとても難しかったです。
竹とバンブーは似て非なるもの
「静岡の竹細工は、平ヒゴではなく丸ヒゴを使うことも特徴ですが、これは元々が鳥籠や虫籠を作ることがルーツであったことによるものです。丸ヒゴにも、熱で曲げた枠にも尖ったところや出っ張りがなく、鳥や虫の体を傷めない作りとなっています。
実はこの技術があるのは日本だけなのです。
竹のことを英語でバンブーと言いますが、日本の竹とバンブーは別のものです。
タケ類は大きく分けると、タケ (竹) とササ (笹) とバンブーの3つに分類されます。バンブーは中国南部や東南アジア系の種を指します。熱帯雨林に生息しているので一気に水を吸って1年で15〜18メートルにも育ちます。
対して、日本の竹は、約3年かけて12〜15メートルほどに育ちます。
四季があるので、水がない時期や寒い時期も経験しながら順繰りに、時間をかけて育つので身がしまったものになるのです。
熱を加えて曲げると、曲げた部分に内周と外周ができますが、バンブーの場合は内周が大きくブチっと潰れて尖ってしまい、なめらかになりません。そして強度が低い。一方、日本の竹で作ると、この内周の部分が細かく潰れるに留まるので、なめらかにしなります。この日本の竹が無いと作れない技術なのです」
日本の風土に根ざして発展した技術だったのですね。
ちなみに、年月と共に移り変わっていく竹の色、白から徐々に飴色となっていきますが、これを美しいと感じるのは日本人ならではの感覚なのだそう。苔に対してなども言えますが、経年変化を「劣化ではなく趣の変化」と捉えるのは確かに日本人独特の美意識かもしれないですね。
虫の音を愛でる日本独特の文化
「虫籠が存在するのは日本ならではなんです。日本って、虫の扱い自体が独特ですよね」と杉山さん。虫の音と日本人の歴史についても興味深いお話が伺えました。
「日本人は、虫もいろんな名前で呼び分けますが、国によっては、「黒い虫」みたいな表現だけで、個々の名前がない場合も多いんです。虫によって異なる鳴き声を聞き分けて、○○虫が鳴いてるね、なんて言ったり、自分好みの虫の声があったりもしますよね。こういう感性は日本人以外あまり持ち合わせていないそうなんです。
元々、虫を愛でる文化は平安時代に中国から渡ってきていて、貴族たちが虫を集めて庭に放ってその声を楽しんだと言われています。コオロギをはじめ、それぞれの好みのバラエティ豊かな虫の音を楽しむようになり、館の主人の好みの虫を集めてくる、なんてこともあったのだとか。
一方中国では、虫を戦わせる文化 (賭け事) が流行して、聞く文化が廃れたようです。
日本ではそのまま残って、江戸時代に鈴虫が流行したといわれています。元々は庭に放っていたのですが、いつからか虫籠に入れるようになったようです。文献に明確に記述されてはいないのですが、挿絵として、竹でできた虫籠が旅館や銭湯などに置かれた様子が登場します (竹なので風化して現物が残っていないのです。文字通り土に還ります) 。
音に関して言えば、風鈴の音を聞いて涼むというのも独特ですよね。海外では呼び鈴など機能の音なので、涼しさと関連しません。虫の音は輸入された文化でしたが、耳で楽しむことは日本人の感性にあっていたのでしょうね」
日本人独特の感性から長きに渡り愛され続けてきた虫の音。日本の風土で育った独自の竹。そこで生まれた美しい虫籠。
文章での解説は残っていないそうですが、どの文献を見ても不思議と変わらないことがあると言います。それは、虫かごの向き。常に戸がついている方が左に来るように置かれています。現代もそれにならって置かれ、左手前の部分を正面とし、腕によりをかけた細工を施します。太い枠の角を4つとも揃えるだけでも難しいですが、加えて、この角に沿って飾り細工をするところがすごいですね。なめらかな角に歪まずに均一に通された丸ヒゴ。ため息が出る技巧です。
技極まる駿河竹千筋細工。1873年 (明治6年) には、日本の特産品としてウィーン国産博覧会に出品されました。
竹ヒゴの優美な繊細さは、当時の西欧諸国の特産品をしのぐと好評を博し、これをきっかけに多くの製品が海外に輸出されるように。一時は200人もの竹に携わる職人がいたと言われています。
現在ではわずか数名にまで減少しましたが、伝統の技術を受け継いた美しい品々が今も日々製作されています。
ガラス越しに眺める芸術品と異なり、手元に置いて、使うことも愛でることもできるところが魅力でもある工芸品。この技術、美しい品々を後世にも伝えていければと願っています。
文・写真:小俣荘子