かつては夜中に作られていた?一子相伝で受け継がれてきた茶筅づくりの現場へ
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こんにちは。ライターの小俣荘子です。
様々な習い事の体験を綴る記事、「三十の手習い」。現在茶道編を連載中ですが、今回はそのスピンオフ企画をお届けします。
7月の茶道教室の回で、茶筅 (ちゃせん) のお話が登場しました。本来はお茶席ごとに新しいものを下ろすという茶筅ですが、その色かたちは流派やお茶人さんの好みによって千差万別。「一度きりの消耗品に、これだけの情熱を傾け、入念な美しさを求めることに、茶の湯のひとつの本質があります」との木村宗慎先生の言葉に、私も茶筅についてもっと知りたくなりました。
かつては厳格な一子相伝で、技を盗まれぬよう夜中に作られていたという茶筅。現在は一般に広くその技を公開している場所があるといいます。これはぜひ伺わねば!と、茶道教室にも参加している「さんち」中川編集長と茶筅の里、奈良県の高山を訪ねました。
500年以上の歴史を持つ、高山の茶筅
奈良県の北西に位置する高山は、室町時代から続く茶筅の一大産地。この地で500年以上、茶筅作りを続け、江戸時代に徳川幕府によって「丹後 (たんご) 」の名を与えられた茶筅師の家、和北堂 (わほくどう) 谷村家が本日の舞台です。
迎えてくださったのは、20代目当主 谷村丹後 (たにむら・たんご) さん。谷村家では、主に茶道の裏千家や武者小路千家のお家元に納める茶筅作りを続ける傍ら、一般の方が工房を見学できるツアーを開催されています。
工房では、茶筅作りの最終段階である糸掛けや、茶杓 (ちゃしゃく) 削りの体験、茶筅の購入もできます。(※見学、体験ともに要予約、購入については在庫次第のためお問い合わせくださいとのこと)
※茶筅作りを見学した後、私たちも茶杓削りに挑戦しました!その様子は、次週お届けします。
バラエティ豊かな茶筅に見る、流派のこだわり
見学の前に、谷村さんがこんな興味深いものを見せてくださいました。様々な種類の茶筅のサイズや形が書かれた設計図だそうです。
流派や家々でそれぞれ独自性を追求し、多様な形が生まれた茶筅。和紙に書き付けてあった江戸時代から伝わるものを谷村さんが巻物にしつらえ、大事に保存されています。
そしてこちらは、茶筅納入の際に用いられた木札と提灯箱。
谷村家が幕府から与えられた「丹後」の名は、徳川将軍家御用達茶筅師として記録されています。将軍家以外にも仙洞御所や公家、諸大名への納入されていたそうです。
茶筅が大事に運ばれていたことが伺える木札と提灯箱。大名たちの間でいかに茶の湯が親しまれていたか、道具が重要視されていたかが伺えますね。
お茶が中国から伝来した当時は、竹を簡単に割っただけのささらのようなものを使ってお茶を混ぜていたと考えられています。
室町時代後期、お茶を美味しく美しくいただくための道具を作ろうと、大和鷹山 (現在の高山) の城主が、奈良の浄土宗寺院称名寺の住職 村田珠光 (むらた・じゅこう 「わび茶」の創始者と目されている人) の助言を得て茶筅を創案したと伝えられています。
その後、茶の湯の隆盛と共に需要も高まり、豊臣秀吉や徳川幕府によって保護産業として優遇されたそうです。
「高山の茶筅作りをする家々は、この大事な産業の技が盗まれないよう夜中に茶筅を作り、日中は農業に勤しんでいました。うちも祖父の代まで畑がありました。現代では、そういった秘密主義はなくなり日中に仕事をする人もいますが、昔ながらの習慣が残っていて宵っ張りな人も多いようです。わたしもそうです (笑) 」
音で聴き、感触を確かめて作られる茶筅。その工程とは?
「さて、それではさっそく始めましょうか」
谷村さんの声かけから、いよいよ茶筅作りの実演と解説がはじまりました。
茶筅作りは竹の素材選びと下準備から始まります。竹は2〜3年生のものが茶筅に向いているそう。真冬に切り出し、煮沸します。その後1ヶ月のあいだ日光に晒し、さらに1〜2年は納屋で陰干しして割れや変色などがないものが用いられます。
1本の竹から茶筅を作るには、大きく7つの工程があります。「大きく」という言葉の通り、実際には、美しくて使いやすい茶筅にするため無数の工程に分かれています。工房には、谷村さんお手製の茶筅ができるまでの見本が並んでいます。これを見ると、その工程の多さに驚きます。
まずはじめの工程は「片木 (へぎ) 」。節から上の表皮を削り、竹を半分、また半分と、16片に割ります。
ここまでの工程、特別な道具は使わず、すべて包丁と手の感覚のみで行なっていることに驚きます。竹は自然のものなので、その日の気候でも状態が変わるそうです。竹のコンディションを体で感じながら作っていくとのこと。刃先にまで指の感覚をお持ちのような‥‥、指と刃物が一体化しているようでした。
続いて「小割 (こわり) 」。茶筅の設計図に合わせて、必要な穂数に割っていきます。
実はこの穂の部分、2種類の太さが互い違いになるよう割られているのです。太い方が外側の穂、細い方が内側の穂となります。
次の工程は「味削り」。もっとも重要と言われるところです。水に浸して柔らかくした穂の厚みを削って、カーブを作り弾力を生みます。しなやかさの度合いで「お茶の味が変わる」とも、家々の技の味が出るとも言われる工程です。
しなりと強度は相反する要素。長持ちするように強度を高めるとしなやかさが損なわれ、美味しいお茶がたちません。かと言って薄くしなやかにし過ぎると耐久性がありません。このバランス感覚が腕の見せ所なのだそう。
そうして、まだまだ細かな調整が続きます。続いては「面取り」。外穂の角を削り、滑らかにします。「面取りをしていなくても、お茶は点てられます。ですがこうして美しく滑らかな茶筅を作ることに意味があると思うのです。やっていると結構ハマってしまうんですよ」と、谷村さん。
ここまで整えたところで、穂の根元に糸をかけて内穂と外穂を分けながら締めていきます。「下編み」「上編み」の2段階です。
最後は「仕上げ」の工程。穂をしごいてカーブの具合を揃えるなど、向きや形を整えていきます。
素人目には気づかないようなねじれを直したり、1本ずつの状態を細かく見ていく様子に、美しさへの追求を感じました。この仕上げを通じて、それまでの工程の良し悪しも確認もできるといいます。全体の品質チェックの工程でもあるのですね。
使われ方、使い手を知り、使い勝手と美しさを追求する
お茶の世界では消耗品とされる茶筅が、これほどまでに気を配り、細かな調整をしながら作られていることに非常に驚きました。
「茶筅には銘もつきませんが、実は竹製の茶道具の中で一番手がかかっているんです。
大量生産品の中には、茶筅が実際にどう使われるかを教わらないまま工程と形だけを真似て作られているものもあります。私たちが作る茶筅は、使ってくださる方との長年のお付き合いでその使い勝手、美しさを追求してきたものです。
使い心地についてお声をいただくこともあり、そのお好みを反映させることもあります。作っていると、使ってくださる方のお顔も浮かびます。
納め先の方々にとって使いやすく美しい茶筅を作り続けたい、そういう気持ちで日々作り続けています。だからこそ不思議と良い仕上がりになるように思います」
「消耗品こそ、良いものを」という使い手の思いと呼応するように丁寧に作られる茶筅。一瞬のために時間をかけて美しいものを作り上げる様子に、ため息が出ました。
私たちは儚いものを愛でて、そこに美しさや切なさを感じることがあります。丁寧に詰められたお弁当、夏の夜の花火、桜や紅葉など、日常で出会う儚いものの延長線上に茶筅もあると思うと、茶道も不思議と身近に感じられました。
後編では、こちらで挑戦した茶杓作りの模様をレポートします!
<取材協力>
和北堂 谷村丹後
住所: 奈良県生駒市高山町5964
文・写真 : 小俣荘子