ディープな産地ナイト スナック天国・嬉野
エリア
突然ですが、みなさん「スナック」にどんなイメージをお持ちですか?
入りにくい?昭和な感じ?おじさん臭い?色々とあると思います。特に若い方にとってはほとんど馴染みのない世界なはず、最近では見かける機会も少なくなってしまっています。
そんな昔ながらのスナックが、若者からご年輩の方までの交流の場として、今なお息づく街が佐賀県にありました。
誰が呼んだか、「嬉野スナック天国」。本日は産地のディープな夜にみなさんをご招待します。
温泉街として栄えた嬉野
嬉野は日本有数の温泉街として有名で、日本三大美肌の湯として、かつてはあのシーボルトも利用したといいます。古来より海の神、水の神として広く祟敬を集めていた豊玉姫神社から、温泉の泉源が佐賀藩の蓮地藩に召し上げられ、藩営の浴場として栄えてきました。
『肥前風土記』に「東の辺に湯の泉ありて能く、人の病を癒す」という一文が記されていますが、これは、江戸時代に長崎街道の宿場町として栄えた嬉野温泉のことを指しているそうです。
他にも「東西遊記」や「西遊雑記」など、多くの紀行文・旅日記にも嬉野温泉のことが書かれていることからも、嬉野がいかに温泉街として名が知られていたかということがわかります。
「全国スナックサミット」の第1回目は嬉野
そんな嬉野は、実は熱烈なファンを持つほど、「スナック天国」として全国に名を馳せています。
それを裏付けるように、全日本スナック連盟会長である浅草キッドの玉袋筋太郎さんが主催した「全国スナックサミット」の記念すべき第1回の開催地は、なんとここ嬉野。スナックを観光資源として売り出していく目的で企画され、県内外からたくさんの人が集まり、ママさんの赤裸々トークや常連客とのデュエット歌合戦などで盛り上がったそうです。
この街は全国有数のスナック街として、スナック愛好家から熱い寵愛を受けているのです。
スナック天国になった嬉野
現在の嬉野は、中央に流れる嬉野川を挟んで温泉旅館や商店、飲食店、住宅など、観光と市民生活の場が共存しています。嬉野温泉に立ち寄る観光客の夜の歓楽街として、そして遊び場の少ない地元民の社交の場として、観光と生活の場が寄り添う地域性の中で全国でも珍しいスナック街は発展を遂げていきました。
嬉野温泉観光協会のHPを見てみると、左端にある見出しの並びが「焼肉」と「うどん・そば」に挟まれる形で「スナック」が入り、なんと25以上のスナックが掲載されています。
また、嬉野にはカラオケボックスがほとんどなく、地元の若い人が歌いに来る場所としてもスナックは活用されているそうです。そんな地元に密着した嬉野のスナックは、あのみうらじゅんさんが「世界遺産」として認めたという逸話も残るほど、今や嬉野の顔として存在感を放っています。
今回訪ねたのはメインストリートから1つ路地を入ったところの、「シュール」というスナック。勇気を出して扉を開けると、底抜けに明るいママが「ちょりーっす!」と迎えてくれました。
ママにお話を伺うと、ここには地元の若者とご年配の方、そして窯業の職人も息抜きをしに集まってくるそうです。他のスナックを含めてスタッフに地元の若い女性も多く、若者の遊び場、集い場としての役割も担っています。
「どんなに口説かれるより、どんなに褒められるより、飲みんしゃいが一番嬉しい」と話してくれるママとお酒を酌み交わしながら良い気分にお酒がまわったところで、誰からともなくカラオケがはじまります。気心の知れた仲間だけでなく、その場で出会った人ともすぐに打ち解けて、一緒にカラオケを楽しめるのもスナックの魅力です。
ほうきギター、アフロのカツラ、セロテープなどのアイテムを駆使し、お客さんの歌を盛り上げてくれるママさんは、まさに職人の街が生んだ職人ママさん。時には美声を響かせ、あの手この手で楽しませてくれます。
ディープな夜はあっという間に過ぎ、心地よい疲労感とともに宿に帰ります。肥前を支える若者からご年輩の方、そして職人を支えていたのは、プロ意識抜群の職人肌のママさんでした。
ぜひみなさん、嬉野温泉にお立ち寄りの際には、スナック天国でディープな産地の夜をお過ごしください。
<取材協力>
スナック シュール
佐賀県嬉野町下宿乙612
文:庄司賢吾
写真:菅井俊之