金魚が泳ぐ江戸切子。但野硝子加工所の進化する職人技術

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水の中を泳ぐ金魚

先日、こんな美しいグラスに出会いました。

涼しげに泳ぐ金魚が描かれたオールドグラス
涼しげに泳ぐ金魚が描かれたオールドグラス

動植物や景色を切子で描く

作っているのは但野硝子加工所2代目、伝統工芸士の但野英芳 (ひでよし) さん。但野さんが作る江戸切子には、動植物や水など自然界のモチーフが写実的に描かれています。従来の幾何学模様のイメージとは、ずいぶん違う印象です。

直線を中心とした伝統的な文様と、やわらかな曲線が組み合わさった斬新なデザイン。うっとりと見とれてしまいました。

四季の景色をモチーフとしたぐい呑。春 (左手前) 、夏 (左奥) 、秋 (右手前) 、冬(右奥)
四季の景色を表現したぐい呑。春 (左手前) 、夏 (左奥) 、秋 (右手前) 、冬(右奥)
竹林をイメージした器
竹林をイメージした器
水の中を泳ぐ金魚
水の中を泳ぐ金魚のグラス
江戸切子の伝統文様「」と但野さん描く水のイメージが融合していました
金魚の後ろでは、江戸切子の伝統文様である「八角籠目 (はっかくかごめ) 」と、但野さん描く水のイメージが見事に融合していました

江戸切子とは

江戸切子とは、ガラスの表面を削って模様を描く東京都の伝統工芸品です。江戸時代の天保年間に、大伝馬町のビードロ屋加賀屋久兵衛が金剛砂を使ってガラスの表面に彫刻したのが始まりとされ、明治期には英国から指導者を招いて技法が確立されました。

一般的な江戸切子イメージ

伝統ある技法に、新たな表現を取り入れた職人が但野さんでした。

新しいデザインはどのようにして生まれたのでしょう。但野さんにお話を伺いました。

江戸切子職人・但野硝子加工所 但野英芳さん

但野英芳さん

「もともとは建築を勉強していましたがデザインに興味があってデッサンもやっていました。一度は設計事務所に勤めましたが、江戸切子職人だった父がコンクールに出品した作品に魅せられて江戸切子の職人を志しました。

父が他界するまで2年半ほど、一緒に仕事をして技術を学び、その後も職人として修行を積むうちに、伝統的なものだけでなく新しいものが作れないかと考えるようになったんです」

お父様が亡くなった後、取引先の問屋の倒産など苦しい時期があったという但野さん。いかに他のものと差別化していくかを考え、研究していたそう。

「エミール・ガレやルネ・ラリックといった西洋の作家の作品も見て回りました。あちこちと出歩いて良い景色を見かけると、これを切子で作れないかな?なんて考えたり、スケッチブックに絵柄を描いてみたり。

一日中試行錯誤していました」

冬の景色を描いたぐい呑。当時の但野さんのイメージが形になった作品のひとつです
冬の景色を描いたぐい呑。研究期間とも言うべき時代を経て、当時の但野さんのイメージが形になった作品のひとつです

従来の道具では難しいこと

「江戸切子が幾何学的な模様ばかりたっだのには理由がありました。道具です。

ガラスは硬い素材なので、ダイヤモンド素材の道具でないと深く彫れません。筆で絵を描くのとは違って、回転する研磨機で図柄を削り出していきます。曲線や細かい表現をするのには道具に工夫が必要だったんです」

江戸切子は研磨機を使って、回転するダイヤモンドホイールにガラスを当て、削り出していきます
江戸切子の「切り出し」という技法。研磨機を使い回転するダイヤモンドホイールにガラスを当て、図柄を削り出していきます
ガラスの内側から覗き込んで、削ります。そのため、花瓶やタンブラーなど細長いものは難易度が高いのだとか
ガラスの内側から覗き込んで削ります。そのため、花瓶やタンブラーなど細長いものは難易度が高いのだとか

切子職人が作る新しい道具

「そこで、新たに道具を作ることにしました。通常は、直径15センチメートルほどのダイヤモンドホイールが基本の道具です。

細かな動きができるように、10センチメートル、7センチメートル、さらには金魚の目やヒレなどを削り出す時に使う5ミリメートル、3ミリメートルといったサイズのものも作りました」

様々なサイズ、太さ、粗さの道具があり、段階や描くもので使い分けるのだそう
様々なサイズ、太さ、粗さの道具があり、段階や描くもので使い分けるのだそう

新しい道具ができたことで、複雑なものや小さな部分が描けるようになった但野さん。表現の幅が広がり、独自の作風が開花していきました。

但野さんの新しい挑戦はガラスのカット方法だけにとどまりません。素材にも独自のアレンジを加えていきます。

2つの色を組み合わせる

「色を増やすことで、より豊かな表現ができればと考えました。それで、素材を特注で作ってもらうようになったんです」

金魚の描かれたの器には、ブルーとオレンジの2色が使われていました
金魚の描かれたの器には、ブルーとオレンジの2色が使われていました。水を感じる青、金魚の赤。たしかに、色数が増えると風景がより豊かなものになりますね

「色のついた江戸切子では、透明なガラスの外側に色ガラスの層を作って削ります。

透明なガラスと色ガラスの2つを合わせるのは比較的たやすいのですが、もう1色加わると一気に難しくなるんです。機械で作ることはできないので、作家さんにお願いして『宙吹き』で作ってもらっています」

宙吹きとは、型を使わずに溶けたガラス種を吹き竿に巻き取って宙空で吹いて成形する方法のこと。各色の面積や色が入る位置を細かく指定することは難しいため、大まかな比率を伝えて吹いてもらうのだとか。

受け取ったガラスを見て、色を生かしながら図柄の構成を調整し、彫っていくそうです。

桜の木が春風に吹かれている風景を切り取った景色。赤と緑が春のイメージを膨らませます
桜の木が春風に吹かれている風景を切り取ったぐい呑。透明なガラスの上に、底から半分が緑、上半分は赤の色ガラスが重なっています。2つの色が春のイメージを膨らませます
秋の景色のぐい呑。赤とオレンジのグラデーションが紅葉を一層引き立てているように感じました
秋の景色のぐい呑。赤とオレンジ重なりが色の移り変わる紅葉の様子を引き立てているように感じました

さらには、削り方でグラデーションや立体感を表現しています。

削る深さで色に変化を

「例えば、金魚をモチーフにした作品では、尾ひれの赤いガラス部分を削る深さを調整して濃淡を作ります。深く削ると赤い層が薄くなるので色も淡くなり、最後は透明になります。このグラデーションで尾ひれに透明感が生まれるんです」

薄い色グラス部分の削り加減を調整することで、色の濃淡を描いているのだそう。金魚の尾びれのグラデーションのなんて美しいことでしょう
赤から透明へとなめらかに色が変化する尾びれ。本当に金魚が水中を優雅に泳いでいるようです

色ガラスの厚さはわずか0.5〜0.7ミリメートル。「少し削るだけで色が取れてしまうので、できあがった時に色がなくならないように気をつけないといけないんです」と但野さん。

50種類の道具を使い分ける

但野さんの作品を見ていると、ガラスのツヤに違いがあり、質感に変化があるところも面白いのです。例えばこの竹林のぐい呑。

窓から眺める竹林をイメージしたぐい呑。全てをツヤ仕上げにしてしまうと味がないと、竹を半ツヤで仕上げたのだそう。朝靄のかかった景色が浮かんでいます
窓から眺める竹林をイメージしたぐい呑。竹の部分はマットな仕上がり、手前中央の窓部分はツヤのある仕上がりです。朝靄のかかった景色が浮かんでいるよう

「全てをツヤ仕上げにしてしまうと味がないと思って、竹を半ツヤにしました。

江戸切子は内側から見たときに立体感を感じるように作るのですが、マットな部分があると奥行きが出るんです。雲の表現などでもこのツヤ消しの仕上げをします。お酒を入れた時の揺らめきにも味わいが出るんじゃないかなと思います」

マットに仕上げた波の立体感と、ツヤ仕上げの幾何学的な伝統文様が合わさった奥行き感のある景色です
マットに仕上げた立体的な波と、ツヤ仕上げの幾何学的な伝統文様「菊つなぎ紋」が合わさったデザイン

「50種類くらいの道具を使って少しずつ削って図柄を完成させていきます。はじめは目の粗いもので摺って、徐々に目を細かくし、磨きをかけます。少しの差でも使う道具が違ってくるんです。削る道具だけでなく、最終仕上げではフェルトやバフなども使います」

初めは粗く削るので、仕上がりもマットです
初めは粗く削るので、仕上がりもマットです
徐々に目の細かいもので削っていくことで、ツヤが出てきます
徐々に目の細かいもので削っていくことで、ツヤが出てきます

従来の江戸切子の技法と、但野さんならではの技術で作られた美術品のような江戸切子。

その作品は、江戸切子新作展、大阪工芸展、全国工芸品コンクールなど様々な作品展での受賞歴多数。受注制で作られる商品は数ヶ月待ちという人気です。

眺めているだけでも十分に楽しめますが、江戸切子は食器として使えるところがまた嬉しい。

暑い日に涼を取り入れる器として、秋の夜長にお酒を美味しくするグラスとして、特別な時間をもたらしてくれそうです。

<取材協力>
但野硝子加工所
東京都江東区大島7-30-16
03-5609-8486
http://tadano-kiriko.com/

文・写真:小俣荘子

こちらは、2018年9月3日の記事を再編集して掲載しました。見ているだけでうっとりするような江戸切子、大切な人への贈りものにもおすすめです。

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