京都の老舗染物屋に嫁いだ現代美術作家。挑戦するのは「ケイコロール」という名の新事業

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2009年、ひとりの現代美術作家が京都の染物屋に嫁いだ。それが90年以上の歴史を誇る、「山元染工場」の新たな歴史の幕開けとなる。

京都・壬生(みぶ)。新撰組ゆかりの壬生寺や旧前川邸をはじめ、名所旧跡が数多く残る歴史の舞台と、古くからこの地に住む人々の日常が共存するような独特の息遣いが感じられる。

そんな住宅街の一角に佇むのが「山元染工場(やまもとせんこうじょう)」。今や全国に3軒しかないという「舞台衣裳」を専門にした染め工場だ。

京都・壬生の山元染工場

創業は1930年(昭和5年)。数々の映画や舞台、国民的ドラマでヒロインがまとう着物といった、誰もが一度は目にするであろう作品の衣裳を手掛けるほか、地域の祭りで羽織る法被や、身丈を変えた古い着物の再現など、「染工場」といいつつ、衣裳制作に関わるほぼすべてを請け負っている。

そんな歴史ある染物屋に嫁いだのが山元桂子さんだ。

ケイコロールを主宰する山元桂子さん
ケイコロールを主宰する山元桂子さん

現代美術作家が見た、クリエイティブな世界

大学で現代美術を学んだ桂子さんにとって、舞台衣裳制作の世界は何もかもが新鮮だった。

本来、舞台衣裳制作はデザイン、染め、仕立てそれぞれの工程に専門の職人がおり、完全な分業制で行う。

だが、山元染工場はそれを受注から納品まですべて一括で請け負っている。これが工場最大の特徴であり、舞台衣裳制作の専門店として、京都で最後の一軒になるまで続いている理由といえよう。

舞台衣裳は作品内のキャラクターの人柄や性格、生い立ち、時代背景まで柄で伝える重要な役割を担う。それをひとつずつひもとき、依頼者の漠然としたイメージから、具体的な柄や配色などのデザインにまで落とし込む。

台本もままならない段階で請け負うことも多いその工程を目にした桂子さんは、驚きを隠せなかったという。

「なんてクリエイティブな世界なんやろうと。でも、そうやって相手のイメージを具現化していくことも、染めや仕立てまですべて行うことも、本人たちにとっては当たり前なんです」

しかしどんなに素晴らしい技術を継承しても、それが一般の人々の中で脚光を浴びることはほとんどない。

そんな山元染工場の世界を、「違う角度から伝えたい」と2016年にテキスタイルブランド「ケイコロール」を立ち上げた。

日本映画発祥の地で初代が選んだ道

東映や松竹など名だたる映画会社が撮影所を構えた京都において、初代の山元光は舞台衣裳制作という市場を見出し、それに特化する形で呉服業界との差別化を図った。

数百年の歴史の中で培われた室町一帯の着物文化とは、根本的に違う道を歩むことになったのだ。

呉服とは、朝廷や貴族、武家といった上流階級の人々が身につける装束もあれば、庶民が身にまとう普段着まで幅広い衣裳のことを指す。

一方、舞台衣裳とは限られた人しか身につけない、いわばその道の「プロ」だけがまとう衣裳のこと。同じ和装を手掛けていながら、考え方も技術もまったく異なるのだという。

そして、受注から納品まで一括で請け負うという形でさらなる差別化を図った初代は当時、衣裳用のデザインを手掛ける絵師を出入りさせ、常に新しい柄を制作させたそう。

初代から受け継がれてきた型紙の柄を記したデザイン書
初代から受け継がれてきた型紙の柄を記したデザイン書

現代美術として蘇る、数々の文様

初代からの伝統を受け継ぎ、蓄積された型紙の数はなんと10万枚以上。舞台衣裳の柄は独特で、デザイン性も高く、普遍的なもの。それを生かさない手はなかった。

代々受け継がれてきた10万枚以上の型紙
代々受け継がれてきた10万枚以上の型紙
新選組の「だんだら羽織」でお馴染みのだんだら模様を表す型紙
新選組の「だんだら羽織」でお馴染みのだんだら模様を表す型紙

山元家の家宝ともいえる型紙を駆使し、目の覚めるような色で独自の世界観を表現していく桂子さん。柄の配置や色の組み合わせなども、すべて頭の中で組み立て、その時の感覚で染めていくのだそう。

山元桂子さん
作業風景

ひとつひとつが手作業なので、同じ型紙を使ってもそれが同じ柄になることはないという。すべて一点物のオリジナルだ。

様々な柄の生地

2本の柱で、染工場を続ける

「最初は浮き沈みの激しい舞台衣裳制作を支えるつもりでケイコロールを始めました。でも、もっと欲張ってもいいのかなと。メインとかサブとか思わんと、ひとつの事業としてケイコロールを展開したい」

山元染工場の2本の柱のうちの1本として、ケイコロールを確立する。それが、山元桂子が山元染工場に嫁いだからこそできることだという。

もちろんケイコロールそのものも、初代から培われた技術と、それを受け継ぐ人々の理解があってこそ実現できる。

四代目にあたる夫の宏泰さんと母の久仁子さんは、桂子さんの活動に寛容だ。大学院を卒業し、25歳まで現代美術作家として活動していた桂子さんに「美術活動を続けたらええよ」と言ってくれたのだという。

四代目の山元宏泰さん
四代目の山元宏泰さん。桂子さんの活動を温かく見守る

一方の桂子さんは、歴史ある京都の染物屋という厳格な世界に飛び込んできた「新参者」だ。

長い伝統を持つ家に嫁ぐことに関して、身構えてしまうのかと思いきや、「ほんまにアホやったんで、何も考えてなかったんです」と笑っていた。

宏泰さん親子の寛大さと、桂子さんの適度な鈍感さが、より自由な発想を生み出しているのかもしれない。

「映画自体も減ってきているし、遠慮せんと、新しいことを始めていかんと」と桂子さん。

怖がることなく、時には伝統にメスを入れるように、新しいことに挑戦する。
そうして「ケイコロール」は生まれ、山元染工場には2本の柱ができた。

工場内の様子

舞台衣裳と、テキスタイル。宏泰さんは受け継がれた伝統を、桂子さんは新しい感性を大事にしながら、それぞれの柱を築いてきた。

そしてその2本の柱は、同じ場所で互いを支えあい、共存している。

山元宏泰さんと山本桂子さん

90年以上受け継がれた伝統柄が、カラフルでポップな真新しい表情を見せている。

<取材協力>
山元染工場
京都市中京区壬生松原町9-6
075-802-0555

文:佐藤桂子
写真:桂秀也

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