「開けば花、閉じれば竹」美しき和傘の産地・岐阜和傘の職人、河合幹子さんの思い
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子どもの頃の夢。憧れた職業。
それを実際に叶えられる人はどれだけいるのでしょうか。
岐阜の和傘屋の家系に生まれた河合幹子(かわい みきこ)さんの場合、憧れたのは祖母の姿。粋なデザインが評判の和傘職人でした。
一度は普通に就職するも、縁あって職人の道へ。今ではその美しい傘が人気となり注目を集めています。どのようなきっかけで職人への道を志し、今に至るのか。そのリアルをお聞きしました。
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訪れたのは岐阜城のお膝元エリアにある「長良川てしごと町家CASA」。築100年以上にもなる町屋で商う唯一の岐阜和傘専門店、そして体験型工房です。そこで和傘職人の河合さんが私たちを迎えてくれました。
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「開けば花、閉じれば竹」とうたわれる和傘
岐阜市加納地区を中心とした地域は、江戸時代中期より岐阜和傘の産地として栄えてきました。丈夫な美濃和紙をはじめ、傘の要である竹、仕上げに使われるえごま油など、材料となる良質な素材が長良川流域で豊富に得られたことも地場産業に発展した要因の一つです。
最盛期となる1950年ごろには和傘の製造業者が500軒以上も軒を連ねていたそうですが、その数も減少。現在は河合さんのように個人で製造される方含め、残ったのは5軒ほどとなってしまいました。
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そんな貴重な岐阜和傘の魅力を探るべく、製造工程を見学。
この日まず見せてくれたのは「糸かがり」という工程。小骨(しょうほね)と呼ばれる、傘の内側にある骨組み部分に手で糸を通していきます。
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「糸かがりは、小骨が開きすぎないように補強することと装飾の両方を兼ねています」
岐阜和傘は他産地よりも量産ができることが特徴で、そのため寒色や暖色、どんな色にも合う黄色のかがり糸がとりわけ重宝されたのだそうです。
続いて見せていただいたのは、ボリュームある傘をきちっと整え、締めていく工程。
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「私にとっては、これは背筋を正すような作業なんです」
地味な作業でも、この後の仕上がりを決めるから手を抜かない、と真剣な表情の河合さん。
その他にも‥‥
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などなど、傘一本を完成させるまで、その工程は100以上にも及びます。見せていただいた作業工程はごく一部。
これらは本来なら分業制なのですが、職人の高齢化などにより間の工程を担う職人不足で完成できないということが起こり得ます。そのため、河合さんはほとんどの作業を一人で行います。
税理士事務所職員から、和傘職人へ
母方の実家が和傘の製造卸の老舗「坂井田永吉本店」だったこともあり、幼い頃から和傘が身近であったという河合さん。
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「小さい時は毎週末のように工房に遊びに行っていました。そこで働く祖母に会えるし、職人さんたちには相手をしてもらえるし。私にとって工房は遊び場のような感じでした」
和傘職人であるお祖母さま。いつまでも粋で挑戦心を持ったその姿に河合さんは憧れていました。
「着物を着こなす祖母は本当におしゃれで。彼女の作っていた傘も同様に素敵だったんです。
歳をとってからも今までにない和紙を取り入れたり、新しいデザインの和傘を制作したりと、そんな祖母の意欲的な姿を見て職人としての格好良さを感じていました」
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和傘と手仕事が身近にあった幼少期を送りましたが、大学卒業後は東京で就職、その後は税理士事務所職員として働くように。そんなある日、転機が訪れます。
「和傘を作ってみないか?」
河合さんの叔父である坂井田永治氏にそう声をかけられ、坂井田永吉本店で和傘作りの道に入ります。しかしお母さまが病気になったことがきっかけで、実家の新聞店を手伝うためやむなく退社。新聞配達をしながら空いた時間に和傘作りをする日々が続いていきました。
山あり谷ありな日々を送りながらも、その後はお母さまの体調も良くなり、河合さんはついに自分のブランド「仐日和(かさびより)」を立ち上げます。現在は職人として専業で傘作りを行っています。
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「初めて購入してくれたのは、仕入先の美濃和紙職人さんだったんですよ。オーダーをいただいてから久しぶりにお会いした際、『すごくいい色になってきましたよ』とおっしゃっていて。大切に使っていただいているんだなって、とても嬉しかったですね」
作家ではなく職人
河合さんが傘作りをする上で大切にしているのは、「こだわり過ぎない」こと。
「和傘は作品ではなく商品です。そして私は作家ではなく職人。こだわりが強過ぎるとお客様のニーズを聞けなくなってしまいます。
色々なお客様に使ってもらいたいという気持ちが大きいので、常に和傘の敷居を低く持っていたいんです。デザインへのこだわりよりも、和傘そのものの質や閉じた時の佇まい、作業の細やかさに意識を向けています」
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また家族が自営業であること、そして自身が税理士事務所で働いていた経験が身を助けているとも。
自分で食べていけないと良い商品は作れない、そう学んだことが現在の河合さんの基盤になっているのだそうです。
「雨の日が楽しみになったよ」その言葉が嬉しい
完成品が華やかなので作業や仕事がクリエイティブと受け取られることも多いそうなのですが、実際は完成に至るまで地道で根気が必要。それが和傘作りの世界です。
「私の性格的にも『じっくりゆっくり』より『早く効率的に』タイプなので職人に合っていたのかもしれません。
とても根気がいる分、思っていたもの、狙った以上のものができた時は純粋に嬉しいです。自分の技量が上がったと感じられますから。
あとはお客さんに喜んでもらった時が本当に嬉しいです。『雨の日が楽しみになったよ』という言葉を聞いた時は感激しましたね」
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河合さんが理想とする職人像は、身近にいたベテラン職人さんと、そしてやはりお祖母さま。
「ベテランの方の圧倒的な品質の良さと作業スピード、職人としての技量は憧れです。
そして祖母は職人として長くやっていても、新しいものを生み出す好奇心があったところが素敵だなと。自分もそうありたいと思います」
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一方で、自分の手で和傘を生み出し続ける職人であるが故に見過ごせない問題もあるといいます。
実は岐阜は和傘を作るための部品製造のシェアも大きく、他の和傘産地に部品を供給しているという一面があります。ですが職人の高齢化で後継者不足にあるという苦しい現状が。
「岐阜だけでなく日本の和傘を残していくためには、携わる人々が潤うようなものでなければなりません。助成金にただ頼るのではなくて、一産業として成り立ち携わる人々が生活できるということは、私たちの誇りにも繋がりますから」
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まずは多くの人に岐阜和傘の存在を知ってもらいたい、知ってもらえることが嬉しい。そう笑顔で語る、これからの岐阜和傘を支える若き職人は、まるで和傘のように凛としていて美しく感じました。
<取材協力>
長良川てしごと町家CASA
岐阜県岐阜市湊町29番地
https://www.teshigoto.casa/
仐日和
和傘職人 河合幹子さん
http://kasabiyori.com/
文:杉本香
写真: 直江泰治