三十の手習い「茶道編」八、手紙とお辞儀の共通点
こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。
着物の着方も、お抹茶のいただき方も、知っておきたいと思いつつ、中々機会が無い。過去に1、2度行った体験教室で習ったことは、半年後にはすっかり忘れてしまっていたり。
そんなひ弱な志を改めるべく、様々な習い事の体験を綴る記事、題して「三十の手習い」を企画しました。第一弾は茶道編です。30歳にして初めて知る、改めて知る日本文化の面白さを、習いたての感動そのままにお届けします。
◇先人の消息を読み解く
6月某日。
今日も神楽坂のとあるお茶室に、日没を過ぎて続々と人が集まります。木村宗慎先生による茶道教室8回目。床の間の掛け軸は、何かの和歌、でしょうか‥‥?
「これは人気の武将、独眼竜・伊達政宗の手紙です。中ほど空間の広いところに『五月晦日』と書いてあります。その下には政宗の花押 (かおう) 。今で言うサインですね。形が鳥の鶺鴒 (せきれい) の姿に似ていることから、政宗のセキレイ判とも呼ばれます。
晦日とは、月の終わりの日をさします。だから年末は大晦日。旧暦の五月晦日を今に置き換えると、6月の末になります。だいたい、ですけれどね。時期にことよせて、今日の掛け軸にしました。読み終わった手紙もこうしてしつらえになるんですよ」
なんと、博物館で拝見するような歴史上の人物の便りが、目の前の床の間を飾っています。
「手紙は難しい言い方をすると尺牘 (せきとく) と言います。その人の息吹が込められているものだから消息 (しょうそく) とも。
書き損じたり、いらなくなった手紙や文書は反故 (ほご)と言います。反故、つまりゴミです。約束を反故にする‥‥は皆さんも知っているでしょう。それを捨てずに、茶室の壁に貼ったりするものは反故張りと言います。
本当は、表には出ない下地に貼ったのですが、“侘び”の表現としてわざと見えるようにしたのです。もちろん、適当ではなくて、文字のグラデーションがまるで文様に見えるように考えて貼っていきます。
その昔、紙は貴重な資源だったので、漉き直して使いました。ですが人気の武将や茶人など、名のある人物の手紙は、受け取ったほうが喜んで大事にとっておいた。だから、反故にされずに、残ったのです」
この手紙は伊達政宗が江戸幕府大老の土井利勝に宛てた手紙だそうです。土井利勝は幕府の体制を整えた2代目将軍・秀忠の側近で、幕府最初の大老。伊達政宗は武将の中でも筆まめで知られるそうです。しかし、私には全く読めません‥‥
「読めないですよね。でも途端に読めるようになる方法があるんですよ。
今は新年の挨拶を『あけおめ、ことよろ』と短縮するでしょう。それと同じで、昔の手紙はどうしても言いたい、わかって欲しいというところは、下手にくずしたりせずにちゃんと書くんです。そこさえ読めればいい。
右から1行目、段が下げてあるところは袖書きと言って、後から書き足した追伸です。段が下がっているのがその目印。つまり本文は右端から3行目、『明日の』から始まります。
3行目から濃く書いてあるところを見ていくと、4行目に『一々御自筆にてお書付』とあります。“わざわざ直筆の手紙ありがとう”と言っているんですね。
5行目は中ほどから6行目の頭まで『入御念千万辱』、“念の入ったことで辱 (かたじけな) い”。6行目の最後は『天気』と書いてあって、“天気が良いといいですね”と用件が終わります。
つまり、自筆で文書をもらったことへのお礼と、明日はよろしくね、晴れるといいですね、というだけの手紙なんです。今日のビジネスマナーと同じですね。明日よろしくって、今日のうちに江戸のお屋敷から事前に連絡しているんです。
手紙は当時の一番リアルな通信手段ですから、現代の携帯でのやりとりのように、いたってカジュアルで、口語的な内容の場合も多いのです。
よく使うツールだからこその共通ルールもあります。7行目、墨を足して書いてあるところ、末尾の部分は、これで『恐惶謹言 (きょうこうきんごん) 』と読むんですよ。
今も女性が手紙を「かしこ」と結ぶのと同じで、当時は男性でもカジュアルな手紙の場合は「かしく」と書くこともありました。より正式には『恐惶謹言 (きょうこうきんごん) 』と書いて、どんな手紙も、必ずこの言葉でしめてあります。『おそれつつしんで申しあげる』意味で、改まった手紙の末尾に書き添え、相手に敬意を表す語でした。
必ず、そのように書く決まりだったので、あえてリズミカルに省略して書いたりしたのです。今でいう、絵文字やスタンプに似た役割になっています。きちんと書く、ではなくてカッコよく書く。
もちろん、どうでもよい訳ではなくて、読み手がわかりやすいように、崩し方にも一応の決まりがあります。
例えば結婚式に出席するたびに、毎回違う服を用意するのは難しいですよね。コードはある程度決めておくことでみんなが救われます。書き手も読み手もはじめに共通言語となり得る型を覚えて段々と使いこなしていくのです。
今はミミズがのたくっているように見えるかもしれませんが、かすれて読めないところは読めなくてもいい。大事なところはしっかりと書いてありますから、ちょっと見方を覚えておくと、そこだけ浮かんで見えるようになりますよ」
先生のガイドのおかげで、大河ドラマや教科書でしか知らなかった歴史上の人物が、少し身近になったような。
「なにしろ遠いものだと思わないことです。昔の人も生きていたんです。恋もすれば失恋もして、嫌いな奴もいれば喧嘩もした。今の私たちと一緒です。伝えようとしたことがある、と思って読むと読めるようになりますよ」
お菓子に込める祈り
「掛け軸は『5月晦日』と日付にかけて選びましたが、6月晦日に行われるのが夏越の祓(なごしのはらえ)です。
もちろん、もともとは旧暦の6月末に行われていました。この行事は、一か月ずらしたりせず、新暦に移った現在でも、6月30日ごろに執り行われます。
お盆の行事が、旧暦では7月15日だったのが今は関東は7月15日、関西では8月15日が多くなっているように、旧暦と新暦の置き換えはいろいろあり、面白いですね。
本格的に夏になるという時に、心身の穢れをはらう儀式を執り行いました。由来は神話の伊弉諾尊 (いざなぎのみこと) の禊祓 (みそぎはらひ) にまで遡るそうですが、京都を中心に、日本各地の神社で行なわれている伝統行事です。
昔は暑さ厳しい夏の間に病気で亡くなる人が多かった。夏を無事に過ごすことは、切実な願いでした。
位の高い人は、ひとつの儀式として氷を保管している氷室 (ひむろ) から氷を運ばせて、夏本番になる前に食べました。聞くところによると、加賀の前田家が越中五箇山の氷室から徳川将軍家に献上するためにひと抱えの桶に入れて運んだ氷は、江戸城に届く頃にはコップ一杯くらいになっていたそうです。大変なぜい沢品ですね。
庶民はもちろん氷なんて口に入りませんから、お餅を三角に切って氷のつもりで食べたのが今日のお菓子、水無月です。
小豆がのっているのは、赤いものには魔除けの力があると信じられていたためです。お赤飯も同じ理由ですね。赤いあずきの力で魔を払って、この夏無事に過ごせますようにとの願いを込めた行事食というわけです」
手紙とお辞儀の共通点
日々使う携帯に置き換えて古い手紙に触れ、夏の無事を祈る思いとともにお菓子を味わう。今日は何か、触れるものの奥にそれぞれ、人の体温が感じられるようです。「昔の人も生きていた」という先生の言葉が耳に残ります。
「最後に少しお辞儀の仕方をおさらいしましょうか。真・行・草のお辞儀の仕方を覚えていますか。きれいにする、というのは一面、見られているという意識を持つということですよ。
手指は何時も揃えてバラバラさせない。立ち上がる時はかかとの上にキュッとお尻をのせて、重心は後ろのまま、すっと立ち上がる。立ち姿はピアノ線で吊るされているように。
そしてお辞儀の時に大事なのは一拍おくことでしたね。相手の頭が上がったかどうかをちゃんと伺って息を合わせること。頭が下がる時はたとえバラバラでも、あげる時に揃っていたらきれいです。
こうした型は、いつでもできるように、体で覚えておけば、そこから崩すことができるでしょう。相手に合わせて堅い表情でやった方がいいか、カジュアルにやった方が喜ぶ相手なのか。いつでもできるようにしておけば、崩す余白ができるんです。型を知るというのはそういうことです」
今日触れた手紙も同じなのだと、改めて気づきます。お辞儀も手紙も、さらに先月から少しずつ覚え始めた帛紗さばきも、共通する「型」というキーワードで、ひとつながりにつながっていきます。
「与謝野晶子が詠んだ『その子二十歳、櫛に流るる黒髪の、おごりの春の美しきかな』という一句を、俵万智は『二十歳とはロングヘアーをなびかせて畏れを知らぬ春のヴィーナス』と現代語訳して一躍有名になりました。
とにかく何事も、怯えないことです。敬遠している間は絶対頭に入りません。昔の手紙も、読んだら読める。なんでもそうですよ。我がことにさえ思えばいくらでも、身につくんです。
–では、今宵はこれくらいにいたしましょう」
◇本日のおさらい
一、手紙もお辞儀も、型を知っておくことで自在に扱えるようになる
一、何事も怯えず、自分ごとにすれば自然と身についていく
文:尾島可奈子
写真:山口綾子
衣装・着付協力:大塚呉服店