裂織とは。知恵と工夫によって生まれた、新たな命を宿す布

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美術館やギャラリー、骨董市などで目にする、「裂織(さきおり)」の布。
多様な色のゆらぎは美しく、どう見ても手間ひまがかかっている。大切に扱いたい、と思わせる存在感をまとっています。

あまり日常では見かけないと思っていたこの裂織の技を駆使して、「くらしの工藝布」のものづくりは始まりました。どこか温かみがあって、自然と触れたくなる。その理由は、布が生まれた背景にこそあるのかもしれません。

そこで今日は、「裂織」の営みについて、「くらしの工藝布」をともに作ってくださった株式会社幸呼来Japanの代表、石頭悦さんにお話をお伺いしました。

石頭悦

株式会社幸呼来Japan代表。
“裂織で障がい者の働く場を作り、地域の伝統技術を未来につなぐ”という思いのもと、活動する。


技法としての裂織

裂織は、布を細く裂いて緯(よこ)糸を作り、一段一段織り込んで新たな布に再生する技法です。織りあがった裂織は、元の生地からはまったく予想できないような、新たな命を宿した布に再生します。

布を裂く様子。裂いた布を緯糸にして織り込みます。
裂いた布を緯糸にして織り込む様子。1mを織り上げるのに、その3~4倍の生地を必要とします。

裂織の成り立ち

裂織が盛んに作られるようになったのは、木綿が流通するようになった江戸時代の中期頃と言われていますが、それ以前にも裂織に繋がる織りの文化はあったようです。
木綿が流通する以前の日本では、麻や木の樹皮を織ったものを衣類にしていました。織機の構造として、たてに糸を張るのは世界中に共通していることですが、よこは、面を埋めるものであれば、糸でも布でもなんでもいい。麻で布を作っていた頃から織りの技術はあったので、裂いた布を織り込む営みも、木綿が流通する以前からあった文化だと理解しています。一枚の布を糸から作るには、膨大な時間と手間ひまがかかるものです。木綿が手に入る入らないに関わらず、一枚の布を大切に使い切る工夫がされていたのではないでしょうか。
通説として、盛んに作られるようになったのは、江戸時代の中期頃と言われています。もともと東北地方は寒冷地で綿花が育たないのですが、その時期から、北前船によって運ばれてきた木綿を手に入れられるようになりました。そうは言っても、どの地域でもすぐに潤沢に手に入ったわけではありません。とくに東北地方の農民が新しい木綿を手に入れることは難しく、古着を購入するのが一般的でした。古布と言えども、手にした木綿は、それまで使用してきた生地と比べて、格段に暖かく肌触りがいい。ボロボロになっても捨てるのはもったいないと、裂織の技術が発展していきました。

私が現在、岩手県で裂織を生業にしているので東北の話になりましたが、裂織は全国的に伝わっているものです。刺し子と同じように、裂織も生活織物として各家庭で伝わってきました。お母さんたちの知恵で、ボロボロになったものを再利用しようと生まれてきた技なので、物が不足していた地域で発展してきたと理解しています。
いま70代くらいの方にお話を伺うと、「おばあちゃんが織っていた、懐かしい」と仰います。家庭で織物というと現代では不思議な感覚ですが、昔は地機といって、高機よりは少し小さめの織機をもつ家庭が多くありました。文字通り、地べたで座って織れるようになっていて、地機は、各家庭でお父さんが作ってくれたようです。それこそ、そりを土台にして作ったという話も聞くので、構造もそう複雑なものではありません。東北では、多くの農家が持っていて、農閑期になると織られてといいます。

裂織の変遷

明治時代に突入し洋装文化が入ってくると、裂織を作る人も自然と減っていきました。長い歴史の中で当たり前に受け継がれてきた、衣類を自給する営みごと、ひっそりと忘れ去られていきます。現在では、作家さん、もしくは趣味でされている方が多いのではないでしょうか。着古したものではなく色んな素材を活用して作る、表現としての面白さを追求し、裂織の技を楽しまれています。
ここ数年は社会的にもサステナブルな取り組みが注目されているので、企業からの問い合わせも増えてきました。もったいない精神から生まれた技が、究極のリサイクルとして、再び見直されています。

さまざまな裂織

裂織で作った長着

写真提供:横浜市歴史博物館/所蔵:青森市教育委員会

夏は日差しを遮り、冬は寒風を遮って暖かい。耐久性や保温性に優れたため、野良仕事に重宝しました。

こたつ掛け

写真提供:横浜市歴史博物館/所蔵:青森市教育委員会

青森県南部地方の裂織に代表されるこたつ掛け。当時のこたつは炭を起こして温めるものだったので、火に強い木綿はこたつ掛けに適していました。火消し半纏が木綿の刺し子で作られたように、木綿は燃えにくいものだと知られていました。
南部地方の特徴として、赤色の裂き糸をいれて織ることが多かったと言われています。当時は家全体が暗かったため、赤い色を織り込むことで少しでも明るくしたいという、お母さんたちの願いが込められていました。

裂織とは

裂織の技としての魅力は、偶然性にあると感じています。織る人によって全く違う織物ができあがる。例えば同じ素材で同じ色合いのものを同じ分量渡して作っていただいたとしても、百人百通りのものができます。ひとつとして同じものにならない。個人の発想が織りに表現される面白さがあります。今のものづくりは規格化されていることが多いので、考え方が全然違いますよね。現在の裂織には、日用品として作られるものと、アートとして作られるものがあります。織り上がりの偶発性を楽しむ意味では、日用品の方がむしろ、限りなく一点物のセンスが表現されているように感じています。

現代では、そういった技としての側面も大きくなっていますが、もともとは物が不足していた時代に使い切る文化として生まれてきた技法です。やはり、その営みに宿る「もったいない精神」をなくしては、裂織を語ることはできません。

「代々、母親から娘へ受け継がれ、こたつ掛けや野良着など、家族が使うものに再生した」「使っていくうちに経糸が切れてボロボロになったものも捨てずにとっておき、どんな襤褸(ぼろ)でも織りなおして裂織にした」「織り直しができないくらいにボロボロになったものや端材は、薪にくべて暖をとり、燃やした灰は畑に撒いて土に戻した」
裂織について諸先輩方に話を伺うと、このようなエピソードが語られます。裂織とは、完成品や技だけを指すのではなく、ものを愛おしみ最後まで使い切る、その心も含めての営みなのではないでしょうか。



元の生地からはまったく予想できないような、新たな命を宿した布に再生する裂織。
「くらしの工藝布」では、幸呼来Japanの皆さんと一緒に、あり余るほどに布が溢れている今の社会で改めて再生のありかたを見つめなおし、「裂織」をテーマに布を作りました。

左上から時計回りに、
捨て耳のタペストリー
裂織のタペストリー
裂織の布籠
裂織の敷布 SサイズLサイズ

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