真っ黒で、美しい手。墨師の命を吹き込んだ「古梅園」の奈良墨

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見る見るうちに変化する、生きている玉

墨師の手の中で墨玉がどんどん形を変え、型に入るまであっという間。素早くて無駄が全くない動きは、とても凛々しくて。何というか、ほんとうに墨が生きているように見えるんです。神聖で、命が込められているという感じ。つい、見惚れてしまいました。

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さらに練られて艶やかで美しい墨玉に。

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素早く形作られる様子は、まるで生きもののよう。

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型の中へおさまる姿もまた、美しいのです。

墨玉は弾力があり元に戻ろうとするので、万力でしっかり締め付けた後、型から出します。出してすぐの墨はまだ柔らかく、艶のある羊羹のような感じですが、細かな文字はしっかり刻まれています。

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そっと木型を外します。

江戸時代の木灰の中で、じっくり

木型から取り出されたばかりの柔らかい墨。急速に乾燥させるとヒビ割れてしまうので、江戸時代から受け継がれている木灰の中でゆっくりと乾燥させます。始めは湿度を含んだ木灰に入れ、少しづつ湿度の低い木灰に毎日埋めかえて水分を取っていくのだそう。乾燥期間は小さなものでも1週間以上、大きなものでは1ヶ月以上かかります。

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奈良吉野のクヌギを使った純粋な木灰。少しづつ目減りするので、20年に1度追加するそう。こちらの灰は水分を含んでいる状態なので少し赤みがかかっています。

さらに3ヶ月〜半年は蔵の中で自然乾燥を。藁で墨を編み込んで、天井から吊るされる姿は、なんだか干し柿のようです。

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自然乾燥が終わった墨は、表面についた灰などを丁寧に洗い落としたのち、炭火であぶってから、はまぐりの貝殻で丹念に磨き上げられるのだそうです。墨師たちの手業を経て生まれ出た墨。その一つひとつに、金粉、銀粉、赤、青、白などの彩色が施され、「古梅園」の香り豊かな墨がようやく誕生します。長い工程を知ると、墨を磨って使ってしまうのがなんだか勿体ない気持ちに。

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一番右の「紅花墨」は墨の代名詞となるほど普及したもの。書道に使った方も多いのでは。

「奈良の芸者さんと、墨師は肌がきれい」

毎日懸命に墨をつくる墨師たちは、仕事が終わる頃には手足だけでなく顔も真っ黒に。「古梅園」には昔から敷地内に大きなお風呂があり、今もこのお風呂で墨を丹念に落とすのだそう。その際に使っているのが、江戸時代から美顔用品として人気のあった「ウグイスのふん」。これはかつて芸者さんや歌舞伎役者も化粧を落とす際に使っていたものでしたが、墨に含まれる膠の成分を分解する力があったのです。そのため墨師の肌は艶があり美しく、昔から「奈良の芸者さんと墨師は肌がきれい」とまで言われていたといいます。

体力仕事が多いため、高齢の墨師は引退されて少なくなってきてはいるものの、若い職人さんも少しづつ入ってきているといいます。当時のままの建物で、墨づくりの技術は脈々と受け継がれています。

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昔、職人さんが早朝に揃って朝ごはんを食べた小上がりの間。左の棚には食器が収められていたそう。

16代目の、続ける覚悟

「古梅園」の16代、松井晶子さん。先代が亡くなり、代がわりをされて約5年が経ちました。墨と筆どころか、手で文字を書くことすら少なくなってきた現代。正直、昔ほどたくさん墨が売れる時代ではありません。「時代に合わせて変えるべき事もあるけれど、墨づくりの製法は変えてはあかんなと思っていて。これまでの長い歴史の中では色んな危機もあったはず。それでも440年なんとか続けてきたことには価値があると思うんですね。『継続は力なり』だと」。

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16代目の松井晶子さん。歴史ある建物を残してくれた先代たちに感謝しているという。

でも、墨が売れなければ職人さんの生活も守れないのも事実。老舗ゆえ縛られてしまうこともあるけれど、囚われずに新しい形を探っていきたいのだと晶子さんはいいます。「正直、今のままでは絶えてしまうのではないかという不安はあります。でも絶対に絶やさへんよ。続けるから」と、笑顔。

伝統をつなげて革新していくこと。ひとことに言っても、もちろんそんな簡単なことではありません。ただ、私がこの日「古梅園」で感じた墨の香りや、今でも幾度となく思い出してしまう、墨師が真っ黒な手で墨玉を操りながら命を吹き込むような美しい所作。これは、たくさんの人に見て感じてもらいたいと思うのです。奈良に住む私も今までよく知らなかった、奈良墨づくりのこと。みなさんも、ぜひ冬の奈良で触れてみてはいかがでしょうか。

株式会社 古梅園
奈良県奈良市椿井町7番地
0742-23-2965
http://kobaien.jp

文:杉浦葉子
写真:眞崎智恵

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