漆塗りのトーキョーバイクが、鯖江を走る。
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こんにちは。ライターの川内イオです。
今回は越前漆器(えちぜんしっき)の漆塗り職人が手掛けた漆塗りの自転車についてお届けします。
漆塗りという言葉から、どんなイメージがわくだろう。多くの人が思い浮かべるのは、漆が塗られた伝統的な食器「漆器」ではないだろうか?
しかし、漆の使い道は漆器だけにとどまらない。福井県鯖江市の東端、1500年の歴史を持つ越前漆器の産地として知られる「越前 漆の里」では、昔から漆に関するこんな言葉があるそうだ。
「土と水以外は塗れる」
この言葉を教えてくれたのは、創業1793年の老舗、漆琳堂(しつりんどう)の8代目、内田徹さん。2013年に県内最年少で伝統工芸士に認定された、越前漆器の産地を代表する若手職人だ。
漆塗り職人 × 自転車
内田さんは、「土と水以外、漆は塗れる」という言葉を体現するように、今夏、これまでにない素材に挑んだ。自転車だ。世界でも珍しい漆塗りの自転車は、2017年10月12日から4日間、鯖江市で開催されるイベント「RENEW×大日本市鯖江博覧会」の目玉のひとつとして、イベントの企画にも携わっている内田さんとスタイリッシュな自転車で人気のtokyobike(以下トーキョーバイク)のコラボレーションから生まれた。
「もともとは、イベントのときに、レンタサイクルで鯖江の町なかをかっこいい自転車が走っていたら素敵だよね、という話から、トーキョーバイクさんに自転車のレンタルをお願いできないか聞いてみようという流れでした。その時、イベントのメンバーから自転車に漆を塗ったら目立つし面白いよね、というアイデアが出て、内田さん、塗れますよね? と聞かれたので、うん、塗れると思うよと。そのアイデアをトーキョーバイクの社長の金井一郎さんが気に入ってくれて、実現したんです」
漆器の職人である内田さんに対して、「自転車に漆を」というメンバーの思い付きは、ある意味無茶ぶりに近いが、恐らく、内田さんならやってくれるという確信があったのではないだろうか。伝統工芸の職人のなかには新しいチャレンジを好まない人もいるが、内田さんは身内の反対を押し切り、産地の常識を覆した経験がある。
家業を継ごうと思った理由
高校時代は甲子園を目指す球児で、大学時代には体育の教師を志していたという内田さん。それまでほとんど家業を手伝ったことがなく、当然のように、家を継ごうと思ったこともなかったという。
しかし、大学3年生になり教育実習で実家へ戻っている間に、祖父や父が遅くまで忙しく働き、その分、しっかり稼いでいる姿を改めて目の当たりにして、良くも悪くも安定している教師より、「頑張れば成果が見える仕事っていいな」と思うようになったそうだ。その決断は早く、大学4年の12月頃には漆琳堂の名刺を持ち、それから当たって砕けろの体当たりで営業を始めていた。
「電話帳で全国の漆器屋さんを調べて、電話をかけて飛び込み営業ですよ。体力には自信があったので、名古屋日帰り、東京日帰りでハードに動いていました。今思えばたいした成果もないまま出張を繰り返していて効率が悪いんですが(笑)、その時に取引を始めてくれたお客さんのうち数社は今もつながっています」
営業をしながら、祖父と父から職人の仕事を学んでいった。漆を塗る「塗師」の仕事は主に木の器に漆を塗る準備をする「下地」、漆器の土台となる「中塗り」、仕上げの「上塗り」という3つの工程に分かれており、内田さんいわく、通常は下地、中塗りだけで数年の修行をした後に、上塗りの作業を許される。しかし、内田さんはすぐに上塗りを教わった。それはきっと大学卒業後に学び始めた8代目に対する特別な教育で、内田さんはたくさんの失敗をして何度も怒られながら、技術を吸収していった。
「そんなの売れるわけねえだろう」
そうして7、8年と時が経ち、ひと通りの仕事ができるようになった頃、内田さんは大胆な行動に出た。越前漆器に黒と赤しかないことに疑問を抱き、ポップなカラーの漆器を作り始めたのだ。鮮やかなイエロー、穏やかな空色、目が覚めるようなピンク……。これが、祖父と父から大不評だった。
「みんな黒と赤の器しか見たことがないから、気持ち悪いとか、そんなの売れるわけねえだろうとかボロクソに言われました(笑)。でも、黒と赤で定番化している越前漆器全体の売り上げが伸び悩んでいるなかで、ほかと同じことだけをし続けたら価格競争になる。それを避けるために、差別化はしたいと思っていました。新しい色のお椀が売れたらラッキーだし、売れなくても自分のところで作っている商品だから大きなリスクはないので、これぐらいチャレンジをしてもいいだろうと」
当初、内田さんの斬新なお椀に興味を示したのは、美術館のミュージアムショップなど数カ所だった。そこに委託販売の形でカラフルなお椀を置くと、普段は静かな「漆の里」にざわざわとさざ波が起きた。「これ、誰が作っているの?」という反応とともに問い合わせが増え、次第に売れ始めたのだ。1500年間、黒と赤だけで彩られてきた越前漆器の世界に風穴が開いた瞬間だった。
秘伝のモスグリーン
内田さんはその後、「aisomo cosomo(アイソモ コソモ)」「お椀やうちだ」というオリジナルブランドを立ち上げ、さらに自社工場の1階には洗練されたショップを開いた。長年、業務用の需要がほとんどだった越前漆器にあって、これもまた革新的な取り組みだった。
こうした過去を持つ内田さんだから、「自転車に漆を塗る」というアイデアにも躊躇することなく賛同することができたのだろう。とはいえ、漆塗りの自転車が簡単にできたわけではなく、試行錯誤があった。
「漆を定着させるためにどうすればいいのか、悩みました。最終的に、フレームの表面を綺麗に磨いて水研ぎして表面を荒らしてから漆で中塗りして、その後にうちで調合しているモスグリーンに色付けした漆で上塗りをしました。この色は、うちの特徴的な色で真似しにくい配合になっているんです」
漆を塗る作業にも気が遠くなるほどに神経を使ったと振り返る。
「漆器を塗る時と同じく刷毛で塗りましたが、塗りムラを残さないようにすることに神経を使いましたね。器の場合は回転風呂という機械を使って回しながら塗るところ、自転車はそうもいかない。ホコリがつかないように自転車が入るぐらいの箱を作って、そのなかで漆を塗っては20〜30分おきに静かに、ゆっくりと箱の中で回転させるということを繰り返しました。お椀は数分で塗れるのに、自転車はふたりがかりで数時間かかりましたね」
この繊細な作業を経て完成したフレームを見たトーキョーバイクは、内田さん秘伝のモスグリーンに合う色や形のサドル、ハンドル、タイヤを特別に選び出し、独特の艶やかさを持つ自転車となった。そして、この仕上がりを気に入ったトーキョーバイクからの提案で、1台限りの予定だった漆塗りバイクは、「RENEW×大日本市鯖江博覧会」に向けてもう1台作られることになった。
漆塗り自転車の経年変化を楽しむ
イベントの期間中2台の自転車はレンタサイクルとして活躍する予定で、そのうちの1台はイベントに関連する約80カ所をフルに巡った来場者のなかから抽選でプレゼントされるそうだ。
この自転車が欲しい人にとっては心弾むイベントだろうが、今回、自転車の漆塗りに挑んだ内田さんも負けず劣らず、少し先の未来を想像して胸を躍らせている。
「8月の展示会の時に、この自転車いくらですか?って聞いてくれた人がいたんです。それって買う気があるということですよね。もし、今回のコラボをきっかけに漆塗りの自転車を売るようになったら、塗り直しのメンテナンス付きにしたいんですよ。漆は塗った時、少し黒っぽいんだけど、日が経つにつれて経年変化で明るくなるんです。買ってくれた方と自転車の色が変わっていくのを楽しむって楽しいですよね」
さて、改めて漆塗りという言葉からどんなイメージがわくだろう。10月、世界で2台しかないモスグリーンの漆塗り自転車が鯖江を走る。
<取材協力>
漆琳堂
福井県鯖江市西袋町701
0778-65-0630
文:川内イオ
写真:上田順子、林直美