第4回 金沢「中島めんや」のもちつき兎を訪ねて
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日本全国の郷土玩具のつくり手を、フランス人アーティスト、フィリップ・ワイズベッカーがめぐる連載「フィリップ・ワイズベッカーの郷土玩具十二支めぐり」。
普段から建物やオブジェを題材に、日本にもその作品のファンが多い彼が、描くために選んだ干支にまつわる12の郷土玩具。各地のつくり手を訪ね、制作の様子を見て感じたその魅力を、自身による写真とエッセイで紹介します。
連載4回目は卯年にちなんで「金沢のもちつき兎」を求め、石川県にある中島めんやを訪ねました。それでは早速、ワイズベッカーさんのエッセイから、どうぞ。
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さよなら東京。これから新幹線に乗って金沢へ行くのだ。
金沢でまず驚いたのは、伝統的な家の屋根瓦に黒く光沢があることだ。
兎の郷土玩具をつくる職人、中島さんのお店に到着。全体的に黒くて、見過ごしてしまいそうだ。
入り口。すでに歓迎されているようだ。
店に入ると、壁に掛かった、大きな膨らんだ顔に気を取られた。表面のあちこちが剥がれている。とても古いものにちがいない。店主の中島さんから先祖がつくった張り子面だと聞いた。
実のところ、中島さんが主に制作しているのは、木の型を使った張り子に絵を描いたお面や人形なのだ。
これが一例。中島さんの娘さんがアシスタントとなって描いたもの。おそらく彼女があとを継ぐのだろう。
兎に会いに来たのに、どこにいるのだろう?大きな兜の絵に隠れているのかな?
想像していたよりもずっと小さく、とても可愛い。餅をついている。月面のクレーターは、日本人にとっては餅つき兎、西洋人には女性の顔に見える。このグローバリゼーションの時代、どちらかに統一したほうがいいだろう!
中島さんは、主に冬にこの玩具をつくるそうだ。冬は張り子が乾きにくいからだ。柔らかく削りやすい桐を材料としている。桐はこの地方によく植えられていたという。この木材について、もっと知りたくなった。
兎の玩具を見学し終わった後、桐をつかって制作している、岩本清商店の工場を訪ねた。
ものすごく衝撃的で、感動した。目の前でベルトが動き、全ての機械が稼働している。過去の時代の名残が、いまも活動し続けている。
この素晴らしいスペクタクルを前に、言葉はでない。ただ眺めて撮影するだけだ。
楽しかった2か所の見学を終え、次の取材場所に向かうことにする。
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文・写真・デッサン:フィリップ・ワイズベッカー
翻訳:貴田奈津子
Philippe WEISBECKER (フィリップ・ワイズベッカー)
1942年生まれ。パリとバルセロナを拠点にするアーティスト。JR東日本、とらやなどの日本の広告や書籍の挿画も数多く手がける。2016年には、中川政七商店の「motta」コラボハンカチで奈良モチーフのデッサンを手がけた。作品集に『HAND TOOLS』ほか多数。
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加賀百万石の城下町、金沢へ
ワイズベッカーさんのエッセイに続いて、連載後半は、金沢で木製カラクリ玩具が誕生した理由と、作り手の「中島めんや」を訪ねて教えてもらったもちつき兎の製造背景や由来などを解説したいと思います。
こんにちは。中川政七商店の日本市ブランドマネージャー、吉岡聖貴です。
江戸時代から北陸の文化都市として知られる石川県。それゆえに優れた工芸品が多く、郷土玩具も町のアイコンとして大事にされています。それらは、政治・文化の中心地であった城下町金沢に集中しています。
代表的なのは何といっても、さんちで以前に紹介した加賀八幡起上りでしょう。元々は八幡様の祭神である応神天皇の御幼体を赤い綿布で包んだ形を作ったのが始まりとされ、七転び八起きの縁起ものとして金沢の人たちに愛されてきました。その他にも、加賀獅子頭、お面、張子、もちつき兎や米食いねずみのからくり人形などがあります。
昔は何人かの作り手がいましたが、現在は一軒の工房が製造・販売しているのみです。それが、今回訪れる「中島めんや」です。
きっかけは村芝居の「お面」づくり
中島めんやの創業は文久3年 (1862年) の江戸末期。初代の中島清助氏が村芝居のお面や小道具をつくっていたことから、「めんや」という屋号で商売を始めたそうです。お面だけでなく玩具や人形も作っていました。
そして、現在の尾張町に移ってきたのが明治初期、四代目の頃。上質の二俣和紙を手に入れるため、当時の中心街に。ほかの職人とともに近代的加賀人形の基礎を築いたといわれます。
今回お話を伺ったのは、七代目の中島祥博さん。
現在は人形や郷土玩具の製作を、中島さんと娘さん、そして専属の職人の自宅や工房でされているそう。
「最盛期だった30年前の生産規模と比べると、今は10分の1程度。そんな中でも、昔ながらの技法を生かして手作りにこだわり、若い人達にも喜んでもらえる商品作りにも取り組むようにしています」
地場産業×海外文化で生まれた木製カラクリ玩具
金沢でカラクリ玩具が作られるようになったのは、加賀藩主が十三代前田斉泰になった天保元年 (1830年) 頃。当時、海外から日本に入って流行したカラクリ人形の影響を受け、藩内に仕える足軽などの下級武士が内職として木製玩具をつくり始めました。
その時に誕生したのが、もちつき兎や米食いねずみなどの木製カラクリ玩具。他の地域にも木製玩具はありますが、材料に桐を使うところに金沢特有の理由があったようです。
金沢は元々桐製品の産地であり、家具や火鉢、花活けなどが作られていました。木製玩具に利用されたのはおそらく、その余材だったと考えられます。現在でも材料には桐材が使われているそうです。
当時、戦国時代が終わり人々が生活を楽しんでいたとはいえ、長引く経済不況の最中でした。木製玩具の細工からは、貧しくも生活に楽しみを見出そうとする足軽職人の創意、工夫が感じられます。
久保市さん (久保市乙剣宮 くぼいちおとつるぎぐう) の境内で、おばあさんが売っていたという記録もあり、金沢ではお宮さんの祭りやお正月の縁起物として、売られていたそうです。からくりを楽しむ子どもたちの遊び心や好奇心を満たしてくれたことでしょう。
もちつき兎のつくり方
今回の目的はうさぎということで、もちつき兎の作り方を中島さんに教えて頂きました。
まず、材料となる木材 (ほとんどが桐、耳は竹) を適当な大きさに切り出し、ノミ・キリなどで細かく削って各パーツの形をつくります。腰巻きの布も適当な大きさに切り揃えます。そして、胴体・耳を水性絵の具で着色。最後に、接着剤ですべてのパーツを接合し、操り紐を通して完成です。
内職をベースとしているため、前回のずぼんぼと同じくシンプルな作りになっています。
「身近な材料と道具しか使っていないから、やり方を教えれば誰でもつくれる。ただし、カラクリがきちんと動作するように調整するのがポイント」と中島さんが話すもちつき兎は、赤い腰布をまとったうさぎが両手に持った杵で餅をつくカラクリが特徴。
木の台には臼があり、土台の下の糸をひくと、兎が杵を振り上げ、離すと振り下ろす。ただそれだけの仕掛けなのですが、その動きがなんとも滑稽で憎めない。トリコロールの色合いや、完成度のゆるさも、いい塩梅。昔の写真を見ると、顔が平たく削られていた時代もあったようです。
うさぎの腰巻きはカラクリを隠す機能も果たしているように思われますが、ワイズベッカーさんは「腰巻きがない方がカラクリのメカニズムが見えるし、全部木でできていることになる。より本質的になるのでは」と独自の見解をお持ちで、腰巻きのないうさぎとしばし見比べ合い。
どうですか?腰巻きを外しても意外と違和感なく、素朴さやカラクリ人形らしさが増した気がしませんか。
ワイズベッカーさんと交わす議論には、こういった気づきや示唆が節々にありましたので、時折ご紹介していきますね。
おとぎの世界へと誘い込まれるおもちゃ
もちつき兎は、前回のずぼんぼと同じく遊びに主眼が置かれたカラクリ玩具です。そのため、縁起の由来は薄いと考えられますが、うさぎの餅つきといえばお月見。古来より、日本において満月は幸運の象徴であり、円満な人間関係を表すともいわれます。
これは想像ですが、もちつき兎の見た目の素朴さ、その動きの巧妙さ、面白さは、手に取る子どもたちをおとぎの世界に誘い入れて、ロマンチックな想像とともに楽しませてくれていたのかもしれませんね。
さて、次回はどんないわれのある玩具に会えるでしょうか。
「フィリップ・ワイズベッカーの郷土玩具十二支めぐり」第4回は石川・金沢のもちつき兎の作り手を訪ねました。それではまた来月。
第5回「岡山・竹細工の龍」に続く。
<取材協力>
中島めんや本店
石川県金沢市尾張町2-3-12
営業時間 9:00~18:00 (火曜定休)
電話 076-232-1818
罫線以下、文・写真:吉岡聖貴
「芸術新潮」1月号にも、本取材時のワイズベッカーさんのエッセイと郷土玩具のデッサンが掲載されています。ぜひ、併せてご覧ください。