再興のキーは「先人の教えからゼロへの転換」 有田焼30年史に学ぶ
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今月、「さんち」では焼き物の一大産地、佐賀を特集中です。
そこでお隣の長崎県とともに形成する「肥前窯業圏」に注目。県境に位置する有田と波佐見という二つの磁器産地が辿ってきた数奇な運命を、全3回にわたってお届け中です。
窯業圏全体の歴史をおさらいした第1話に続いて、第2話の今日は肥前のチャンピオンたる有田のこれまでと、これからの挑戦のお話です。
80年代の京料理ブーム、90年代の料亭需要、そして…
有田焼代表としてお話を伺うのは、株式会社百田陶園の代表取締役である百田憲由さんです。
「有田焼は1980年代の京料理ブームに乗って、高級料亭で使える器をつくることで売上を伸ばしてきました。
京都市内の地域ごとに得意先がいくつかあって、車に器を積んで持っていけば一度で何千万円と売れた時代があったんですよ!今では信じられないでしょ?」
百田さんは有田の30年の振り返りとして、熱くそう切り出しました。
いわゆるバブル期の波に乗って、有田焼は売上を右肩上がりに伸ばしていくことに成功します。
実際に数字を見ても、1990年前後に有田焼の売上はピークを迎えていて、有田焼の伝統と質の高さが生み出す高級感で多くの料亭に選ばれていました。
「そんな美味しい時代を過ごしてしまったから、有田はなかなか変われなかったんです。
間もなく和食器が売れなくなる時代が来てしまって。自民党の政権崩壊とともに官官接待が無くなって、それで料亭の予算も縮小したのが大きかった。
料亭での器こそ生命線だったので、深刻な打撃を受ける形になってしまったんです」
それだけでは止まらず、日本にもファミリーレストランやその他洋食店が台頭し、家庭での和食の回数も減ったため、次第に洋食器にシェアを奪われていきます。
寛容だった銀行も、売上と借金が逆転するタイミングで、お金を貸してくれなくなってしまいました。それがだいたい15年前、有田全体が将来への不安に包まれます。
追い打ちをかけるリーマンショック。しかし、一筋の光明が。
「もちろんその時代も何もしなかったわけじゃないですよ。新しく出した焼酎グラスとかカレー皿がヒットしたんです。
でもね、そしたら次はなんとリーマンショックが来たんですよ!
もう嫌になっちゃうくらいその時期は深刻で、どんな器を企画して出そうとも全く売れないという時代が5年は続きました」
苦境を迎えひたすらじっと我慢する日々。そこにやっと、一筋の光明が差し込みます。
「ちょうどその時ですよね。パレスホテルから声をかけていただいたのは」
2010年の6月、それが百田陶園にとって、そして有田焼にとっての、大きな転換期となります。
パレスホテル東京のリニューアルオープンに合わせたフラッグショップ出店の話が舞い込んできました。
大きなリスクを背負った挑戦『1616 / arita japan』
「リスクを背負ってでも勝負するならこのタイミングだと。売るのではなく、発信することで次の有田をつくっていく。そういう強い思いで始まったのが『1616 / arita japan』でした」
これは、デザイナーの柳原照弘さん、ショルテン&バーイングスさんと百田陶園によるプロジェクト。
有田で磁器が生まれた1616年をブランド名として掲げ、当時の土の雰囲気を再現するような感覚を持ちつつ、これからの有田の物語を描く新しい陶磁器ブランドです。
「まず柳原くんに有田を見てもらったんですが、そこで彼が『ここは先人のつくったものに頼りすぎていてゼロベースでつくったものが何もない』と言ったんですよ」
その言葉は百田さんにとってハッとさせられるものでした。
歴史と技術には自信があるからこそ、そこに頼るのではなく、ここから全く新しい有田をつくっていきたい。
「もう一度、世界中の家庭の食卓で有田焼が使われる世界をつくりましょう!」と柳原さんと固く約束し、『1616 / arita japan』のプロジェクトは進んでいきました。
驚くべきことに、なんと当時の百田陶園の1年分の売り上げに相当する投資をつぎ込んだそうです。
「投資をする時は、2番目3番目がついてこられないくらい思い切りお金を出さないと!」と、百田さんは話します。
それはまさに、社運をかけての挑戦。
そして2012年に、世界最大級の見本市「ミラノサローネ」で満を持して発表します。
「発表してからの1年間は、いろんな人に馬鹿にされたり、プレッシャーとの戦いでした」と話す百田さん、なんとストレスで10本の指の爪が3ミリくらい分厚くなり、皮もむけてしまったそう!
「そいういうことも含めて全部、世界一になったことで報われましたし、明らかに有田のまわりの潮目が変わりましたね」
「1616 / arita japan」は、ミラノサローネ「エル・デコ・インターナショナル・デザイン・アワード・2013」のテーブルウェア部門で、見事に世界一を受賞。
あのニューヨークタイムズがニュースで取り上げたこともあり、世界に再び有田の名前が広がることになりました。
百田陶園の一世一代の挑戦は、こうして成功を勝ち取ったのです!
有田全体を巻き込んだ新プロジェクト『2016/』
その成功を経て、佐賀県より有田焼創業400年事業の目玉として、次のプロジェクトへの応援要請が舞い込みます。
『1616 / arita japan』のノウハウで、有田焼全体を盛り上げて欲しいという依頼でした。
「かなり迷いましたよ。あれだけのお金を投資して得たノウハウを差し出すということで、下手したら百田陶園が倒産する可能性もありましたから。
でも、有田の10年、20年先を想った時に、ここで協力しないのは嘘だ!そう思って決心しました」
このプロジェクトには16もの会社が参加に手を挙げました。参加人数が多いプロジェクトになってしまったため、取り組む姿勢にも各社でばらつきがあり、一つにまとめるのもままならないという状況。
「でもね、そこでみんなに伝えたんです。全てのノウハウを隠さず出すと。
嘘もつかないし駆け引きもしない、だから親戚以上の親戚と思って付き合ってもらえますか?そうやって本気で伝えることで、プロジェクトのみんなが『こいつだったらついていこう!』と思ってもらえるようになった感じがしました」
そうして不退転の決意を固め、流通とディレクションを一本化するために新会社を起こし代表としてプロジェクトをリードしていきます。
また有田の未来を俯瞰で見たときに、ノウハウまでは出してそこからは各社で競い合ってもらうように線引きもしました。
このプロジェクトが終わっても、それぞれの会社の力で生きていけるようになるためです。
「『1616/』は有田焼のスタートで、ゼロベースという意味。新ブランド『2016/』は400年を機に、これからの未来を意味しています」
苦難の時代を乗り越え、百田陶園から始まった有田の未来を考える動きが産地全体に広がり、こうして有田は未来に向けて着実に歩みを進めはじめました。
苦しい時代の中でなかなか変わることが出来なかった過去の自分たちと決別し、これからも有田は挑戦を続けていきます。
明日は波佐見の30年に迫ります。ご期待ください!
第3話「西海陶器とマルヒロが語る、波佐見焼の誕生とこれから」はこちら
文:庄司賢吾
写真:菅井俊之、有田観光協会
※2017年2月1日の記事を再編集して掲載しています。