1人のガラス職人の情熱が、古文書から「長崎チロリ」を復元させた

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長崎チロリ

海外との玄関口として古くから発展してきた長崎。多くの海外文化が持ち込まれました。

そのひとつがガラス製品。室町時代末期の1542年に、ポルトガルから伝わったとされています。

ガラス職人の軌跡。江戸時代の人々を魅了した「長崎びいどろ」

長崎奉行の記録によると、江戸時代前期の1670年には、ガラス製法のひとつ「びいどろ吹き」が長崎に存在していたと記されています。それは、溶かしたガラスを棹 (さお) に取り、息を吹いて成型する製法です。

1000度以上の高温の窯で溶かしたガラス
1000度以上の高温の窯で溶かしたガラス

当時、日本でつくられたガラス (和ガラス) は、「びいどろ」と呼ばれていました。ポルトガル語でガラスを意味する“Vidro”が語源です。長崎のガラス職人は、中国の技法も取り混ぜながら日本人の美意識にかなう、ガラス製品を生み出していきます。

そんな「長崎びいどろ」の代表的な製品に、「長崎チロリ」がありました。

美しい瑠璃色と、独特の形状の「長崎チロリ」。エアコンも冷蔵庫もない江戸時代に、色と形で冷涼感を演出した冷酒用の酒器です
美しい瑠璃色と、独特の形をした「長崎チロリ」。エアコンも冷蔵庫もない江戸時代に、色と形で冷涼感を演出した冷酒用の酒器です

「長崎チロリ」を復元したガラス職人の元へ

江戸時代以降、長い間途絶えていた「長崎チロリ」を現代に復元したガラス職人、竹田克人 (たけだ かつと) さんを訪ね、当時のお話を伺いました。

国宝「大浦天主堂」のそばに構えられた工房『瑠璃庵』代表の竹田克人さん
ガラス工房『瑠璃庵』代表の竹田克人さん

ガラス工房「瑠璃庵 (るりあん) 」は、現存する日本最古のキリスト教建築物、国宝「大浦天主堂」の近くに構えられています。

現在は、息子でガラス職人の礼人 (あやと) さんに長崎チロリの制作を引き継ぎ、自身はステンドグラスの研究を行っている克人さん。大浦天主堂をはじめ、全国各地の教会のステンドグラスの修復や制作に携わっています。

吹きガラスには、宙吹き(ちゅうぶき)と型吹きの2種類があり、工房では主に、宙吹きの製法を忠実に守った制作がされています。

宙吹きは型を一切使用せず、空中で息を吹き込んで自由な形に成形する技法です。熱で軟らかくなったガラスは重力によって変形してしまうので、常に吹き棹を回転させる必要があります。難しい技法ですが、自由度が高いため芸術性の高い作品に仕上げることができるのだそう。

熱してドロドロになったガラス。濡れた新聞紙を使って形を整えていきます
熱してドロドロになったガラス。濡れた新聞紙を使いながら棹を回転させ、形を整えていきます
「長崎チロリ」。ガラスをつなぎ、注ぎ口を作ります
「長崎チロリ」。ガラスをつなぎ、注ぎ口を作ります
滑りをよくしてガラス加工をスムーズに行うために、ミツロウが使われます。そのため、養蜂まで行なっているガラス職人もいるのだとか
滑りをよくしてガラス加工をスムーズに行うために、ミツロウが使われます。そのため、養蜂まで行なっているガラス職人もいるのだとか

長崎ガラスに再び火を灯す。ガラス職人の情熱物語

克人さんは、東京の学校でガラス製作を学び、卒業後は生まれ故郷の長崎で工房を立ち上げます。その決意の裏にはこんな経験がありました。

「もう30年以上前ですが、ガラス伝来の地である長崎の現状はどんなものだろう?と、地元で販売されている製品を見て歩き、その職人を訪ねてみようと思いました。

しかし当時、長崎で販売されていたガラス製品やお土産などの多くは海外製のもので、国産であっても100%長崎で作られているものはほぼ存在しない、という事実を知ったんです。

ガラス職人のひとりとして、かつて人々を魅了していた、長崎のガラス工芸に再び火を灯そうと考えました。

そこで、当時の長崎ガラスや職人について調べたんですが、の技術文献は皆無。骨董品店などを回り、古文書の中からその情報を探すことから始めたんです。そうして集めた資料の中で見つけ出し、復元したのが美しい『長崎チロリ』でした」

長崎チロリ
持ち手は、使い勝手も考えて蔓を編んで作られています。また、形だけでなく、独自の原料の調合で鮮やかな瑠璃色を作り出しました

こうして復元された長崎チロリは、大きな反響を呼びました。

「全て人の手で作っているので加工も大変なのですが、お客さんから『やっと欲しいものが見つかった!』と喜んでもらえる時はとても嬉しいですね。

盃が1つ欠けた時などに、『同じものが欲しい』と連絡をくださるお客さんもいます。気に入って大事に使ってもらえていることが何よりのことです」と、克人さん。

技術や情報をシェアしあう、ガラス職人の世界

「長崎のガラス工芸が廃れてしまった背景には、よその地域の人々にも惜しみなく技術を公開する長崎の職人精神があったように思います。

海外からの文化が入ってくるこの地には、幕府や藩の指示を受けて日本中から学びにやってくる職人たちで溢れていました。今でも『長崎の人はお人好しで道を聞かれたらその場所まで案内してくれるほど』なんて言われますが、当時の職人たちも知識や技術を囲い込むことなく親切丁寧に教えてあげるという文化があったようです。

技術流出につながったことは残念な面もあるかもしれません。しかし、そのことで日本中のガラス工芸の技術が高まったことも事実でしょう。

そして今日においても、ガラス職人の世界では技術をシェアしあう関係性が続いています。各地で定期的に勉強会が開かれますし、もちろん、私も尋ねられたら惜しみなく伝えています」

「当たり前ですが、教わった技術でまるっきり同じものを作るのではなく、その技術を生かした独自のものを、各々のガラス職人や作家が作り出します。もし、そのままをコピーしてしまうような人がいたら、せっかくの信頼関係を失いますよね (笑)

各地に仲間がいて、お互い切磋琢磨できる環境が私は気に入っています。仲間が工房を立ち上げたり、窯を作るときなどは、手伝いに行ったりもするんですよ」

職人以外にも知って欲しい。長崎が世界に誇れるガラス技術

職人仲間と切磋琢磨し、助け合う竹田さんと精神を同じくする瑠璃庵には、日々様々な依頼が舞い込みます。

400年続く長崎のお祭り「長崎くんち」の山車の装飾に使われるガラスの修復や制作、「大浦天主堂」をはじめとした教会のステンドグラスの修復、JR九州の「或る列車」でつかうオリジナルの器、高級日本酒の酒瓶、さらにはトロフィーなど新しい分野のものまで。

長崎のお祭り、「長崎くんち」の山車の装飾にもガラスが用いられている。こちらは竜の目
長崎のお祭り、「長崎くんち」の山車の装飾にもガラスが用いられています。こちらは竜の目の部分のガラス 
美しい瑠璃色のトロフィー
瑠璃色のトロフィー。大理石の台の上に立てるガラス部分を瑠璃庵で制作

また、長崎のガラス工芸を伝える相手は、職人などのプロだけに留まりません。

瑠璃庵では、吹きガラス、万華鏡、ステンドグラスなど、手づくりのガラス体験学習も行なっています。長崎の地でガラスの魅力を伝えたい、という思いから生まれた企画です。工房を立ち上げてから、30年以上変わらず続けていて、多くの学生や観光客が訪れています。

一度は廃れてしまった長崎ガラスの職人技術。こうして現代に復活し、次の世代へと紡がれています。




<取材協力>

瑠璃庵

長崎県長崎市松が枝町5-11

095-827-0737

文・写真 : 小俣荘子

写真:山頭範之

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