アノニマスな建築探訪 圓通寺

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こんにちは。ABOUTの佛願忠洋と申します。

ABOUTはインテリアデザインを基軸に、建築、会場構成、プロダクトデザインなど空間のデザインを手がけています。隔月で『アノニマスな建築探訪』と題して、

「風土的」
「無名の」
「自然発生的」
「土着的」
「田園的」

という5つのキーワードから構成されている建築を紹介する第4回。

今回紹介するのは圓通寺。

所在地は京都市左京区岩倉幡枝町389

圓通寺のある岩倉は、東は八瀬、西は上賀茂、北は鞍馬に挟まれた場所にあり、平安時代以降、多くの貴族の隠棲地だった場所である。

ただ、メジャーな観光スポットがほとんどないため、平日ともなれば訪れる人も少なく、静かな京都を味わうことができる。

京都市左京区の圓通寺

現在の圓通寺は臨済宗のお寺、つまり禅寺であるが、元は江戸時代初期の1639年(寛永16年)に第108代、後水尾天皇の別荘として建てられた建物で、幡枝離宮(はたえだりきゅう)と呼ばれた。

後水尾天皇は12年の歳月をかけて雄大な比叡山の稜線を美しく眺めることができる場所を探し続け、ようやくたどり着いた場所が比叡山の真東にあたるこの地であった。

後水尾天皇は桂離宮、仙洞御所とならび、王朝文化の美意識の到達点と称される修学院離宮の造営も行った天皇である。

京都市左京区の圓通寺までの道

およそ10年振りぐらいにこの地を訪れたのだが、塀やアプローチ、駐車場が整備され、とてもキレイになっていた。

当時、地図を片手に圓通寺だけを目指してレンタサイクルで山道をひたすら登った記憶が鮮明に蘇る。今回は車にナビを入れて伺ったわけだが、よくこんなところまで電車を乗り継ぎ自転車に乗ってきていたものだとしみじみ思う。

圓通寺の門までのアプローチ

駐車場から竹の生垣に沿って進むと屋根に苔がむした門が見える。

門を抜けると左側に大きな岩。その先には『柿 落葉 踏ミてたづねぬ 円通寺』と書かれた高浜虚子が読んだ句の文字が。

足元には円の形をした踏み石。まさに踏みてたずねぬといった具合である。

圓通寺の門にある大きな岩
圓通寺の門にある円の形をした踏み石

靴を脱ぎ受付で拝観料を払い、いざ枯山水の庭園へ。

半間の廊下を進み光の方へ。

京都市左京区の圓通寺受付
京都市左京区の圓通寺廊下

建物を支える4本の柱と、屋外の樹木列、そして水平方向には手前の濡縁と庭園、生垣、その背後に現れる比叡山の山並み。
これらが巧みに『近・中・遠』の織りなす絶妙な世界を作り上げている。

この庭の秀逸なところとは、屋外の樹木列と借景の比叡山の関係に他ならない。

建物は経年変化はあるものの、大きく変化することはないが、自然そのものの庭園は春夏秋冬、時の移りゆくままに色や表情を変える。

光の差し込む時間や影のできる時間。そのことによる気温により人に与える印象も本当に無限である。

この借景の庭が生み出す無常の美は写真や言葉ではやはり伝えることができないのだと改めて思わされる。

圓通寺にある枯山水の庭園と比叡山の山並み
圓通寺にある枯山水の庭園と比叡山の山並み
圓通寺の庭園に面する縁側
圓通寺の庭園に面する縁側

後水尾天皇が12年もの歳月をかけてたどり着いたこの地。

『柿 落葉 踏ミてたづねぬ 円通寺』詠んだ高浜虚子。

十数年前にレンタサイクルで山道をひたすら登りこの地たどり着いた私。

この地にたどり着いて感じることは人それぞれではあるが、やはり何事にも時間や労力を惜しんではいけないのだと、改めて感じた日となった。

圓通寺の庭園の敷石
圓通寺の庭園の芝生
圓通寺の庭園風景
圓通寺の庭園風景
圓通寺の院内風景

佛願 忠洋 ぶつがん ただひろ 空間デザイナー/ABOUT
1982年 大阪府生まれ。
ABOUTは前置詞で、関係や周囲、身の回りを表し、
副詞では、おおよそ、ほとんど、ほぼ、など余白を残した意味である。
私は関係性と余白のあり方を大切に、モノ創りを生業として、毎日ABOUTに生きています。

文・写真:佛願忠洋

<連載:アノニマスな建築探訪>

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