大分「北山田のきじ車」を訪ねて
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日本全国の郷土玩具のつくり手を、フランス人アーティスト、フィリップ・ワイズベッカーがめぐる連載「フィリップ・ワイズベッカーの郷土玩具十二支めぐり」。
連載7回目は午年にちなんで「北山田のきじ車」を求め、大分県玖珠郡にある大野原きじ車保存会を訪ねました。それでは早速、ワイズベッカーさんのエッセイを、どうぞ。
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福岡から別府方面に向かう、どこかよくわからないが大分県の玖珠という町で、小さな木の馬が私を待ってくれているはずだ。はじめてインターネットで見たとき、すぐに好きになった。それはきっと、プラスチック製のものがまだ少なかった時代、私が子供の頃に遊んだ素朴な玩具を思い出させてくれたからに違いない。
集落に着いたら、石の彫像が置かれていた。「どうしてこれほどまでに、みんなこの馬に愛着があるのだろうか?」と疑問に思う。
この馬は、この地方では子供の健康を願うシンボルを担っている。
今回は、いつもと違い、ひとりの職人さんではなく、団体の方々が大歓迎してくださった。大野原きじ車保存会の皆さんは、ボランティアで、この小さな馬の玩具制作を継続しているのだ。
この会がなかったら、後継者不在で、とうの昔に消えていたはずだ。あらゆるものがが消えていくこの時代、お手本となる活動だと思う!
最後の職人、中村利市さんの写真が、敬意を持って工房の壁に飾られている。この郷土玩具の継続にかけた彼の献身を想うと、感動する。
その脇にかかっているのは、中村さんが使っていた型紙。黄ばんだ厚紙には多くの書き込みがしてある。こんな風に額装されていると、民芸の傑作における素朴な美しさを感じる。大好きだ!
時代によって、型紙のスタイルも変わる。こちらはもっと正確で小綺麗だ。
さて、小さな馬の制作見学に戻るとしよう。削りやすいので、若い木を使用する。木の直径に合った型紙を選び、切り取る。
帯鋸盤で型紙の長さに荒削りをした後、鋸と鏨をつかって切る。樹皮は頭と鞍の部分になるので痛まないように気をつける。この部分が特徴的なのだ。木屑が出るたびに少しずつ形になってくる。
眺めていると、優しく穏やかな気持ちになる。庄屋の男の子も、転がして遊ぶとき、きっと楽しかったに違いない。
巨大なきじ車は年に一度の競争に使われる。後ろのカゴにボールを入れ、ボールを落とさずに早くゴールしたものが勝ちというわけだ。
起伏のある土地なので、きじ車の競争は危険を伴う競技なのだ。勝負の日には、3人の審判が見守ることになる。
(*訳注:冗談です。)
びっくりだ!きじ車をつくらせてくれるという。断るなんて論外だ。日本の素晴らしい大工道具を使える、とてもいい機会だ。そこそこ上手く使いこなせることに、自分でも驚いた。
もっと平凡なつくりだったが、以前東急ハンズで購入した日本の大工道具と仕組みは同じ。自分の家具をつくるときと同じ要領で扱えた。
はじめてつくったにしては悪くない。とはいえ車輪をつけるときは、師匠に手伝ってもらったけれど。皆が完成品を喜んでくれた。
その証に、取材後の食事会では、会員専用の法被まで授けていただいたのだ。とても光栄に想う。
楽しく優しい人たちと過ごしたこの日のことは一生忘れないだろう。私の法被は、きちんと畳んで、ほかの旅行の思い出品と一緒にしまってある。
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文・デッサン:フィリップ・ワイズベッカー
写真:フィリップ・ワイズベッカー、貴田奈津子
翻訳:貴田奈津子
Philippe WEISBECKER (フィリップ・ワイズベッカー)
1942年生まれ。パリとバルセロナを拠点にするアーティスト。JR東日本、とらやなどの日本の広告や書籍の挿画も数多く手がける。2016年には、中川政七商店の「motta」コラボハンカチで奈良モチーフのデッサンを手がけた。作品集に『HAND TOOLS』ほか多数。