「かっこいいだけ」では国の豊かさが無くなる。梅原真、ローカルデザインの流儀
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土地に根差す人々に目を向け、その土地の物語に耳を傾ける。
そうして土地の風景が浮かび上がるようなデザインを作ることで、一次産業に新風を吹き込んできたデザイナーがいる。
高知県で生まれ育ち、今も高知市に拠点を置く梅原真さんだ。
一本釣りの風景を消したらいかんぜよ
1980年に事務所を設立してから38年。「一次産業×デザイン=風景」をテーマに掲げ、地域で埋もれていた産品にデザインの力で光を当てて、数々のヒット商品を生み出してきた。
今や日本を代表するデザイナーのひとりとして知られる梅原さん。その原点は、1988年の仕事にある。代表作のひとつ「土佐一本釣り・藁焼きたたき」のデザインだ。
ある日、かつおの一本釣りの漁師が梅原さんを訪ねてきた。その漁師は、梅原さんに率直に窮状を訴えた。
かつおを一網打尽にする巻き網漁船が主流になって、効率が悪い一本釣りのかつおは価格を高く設定せざるを得ない。そのうえ原油が高くなって、漁に出るだけでお金がかかるのに、巻き網漁で魚が減っていてかつおが釣れない。
魚を食べる人が減って、かつおの魚価も下がっている。このままではかつおの一本釣りはできなくなる。
かつおの一本釣りといえば、高知の風物詩。漁師の話を聞いているうちに、梅原さんの脳裏にはふたつの光景が思い浮かんだ。漁船に乗り込んだ17人の漁師が、次々とかつおを釣り上げる勇壮な姿と、その家族の姿だ。
漁師たちは日本全国の海を回ってかつおを釣るため、一年の大半は海の上。だから2月に高知から出港する時には、漁師の家族が港に集まり、「いってらっしゃい!」と見送る。手を振り、無事を祈る家族の横顔―。
「あの風景がね、消えるんやと思って。それはいかんぜよと思ったね」
大企業と仕事をしない理由
すぐに、漁師からの依頼を受けることに決めた梅原さん。2時間を超える打ち合わせの間に、ある思い出が蘇った。
子ども頃、梅原さんの祖母は藁でかつおのたたきを焼いてくれた。香ばしい匂いが漂い、口に含むとかつおのうま味がじゅわっと染み出してきた。梅原さんは、漁師にその場で伝えた。
「藁で焼きましょうや」
すると、漁師は一瞬の戸惑いも見せずに、「よっしゃ、やろう!」と答えた。
このやり取りから「一年の半分、港に入り浸り」という濃密な交流が始まり、「土佐一本釣り・藁焼きたたき」のデザインが生まれた。この商品は、8年をかけて売り上げ20億円を超える大ヒット商品に成長し、かつおの一本釣りの漁師を守ることにもつながった。
この仕事は梅原さんのその後にも大きく影響した。著名なデザイナーでありながら、梅原さんは基本的に大企業の仕事を受けない。そのきっかけとなったのである。
「僕がこうしましょうやって言うと、彼は即座に対応する。それくらいパワフルな人でしたからね。その副作用で(笑)、企業の部長さんが来て、帰って相談してきますっていうのが許せなくなったんです。決定権がない人とは仕事をしたくない。だから、必然的に小さな会社の社長が来られるようなことになる。かっこつけて大きいところと仕事しないって言ってるんじゃないですよ」
「土佐一本釣り・藁焼きたたき」のデザイン以来、梅原さんが仕事をする上で「土地の風景を守ること」が大きなキーワードになった。そこには、危機感がある。
「大きく言えば日本がフラットになってしまって、青森も鹿児島も岐阜もみんな一緒になっちゃった。バイパスができて、ラーメン屋とハンバーガー屋なんかがいっぱいできて、そんなんどこでも一緒やないか。土地の個性を知らせてくれるのが自然現象だけですよ」
梅原さんにとって、その土地ならではの風景を失わせるフラット化は、阻止すべきもの。土地の風景を守るためには、クライアントとケンカすることもいとわなかった。
村長とケンカ
日本屈指の清流、四万十川に面した十和村(2006年に窪川町、大正町と合併し四万十町に)の総合振興計画書の作成に携わった37歳の時のこと。
四万十川には増水すると水の下に沈む沈下橋(ちんかばし)が47本かかっているのだが、十和村では町をあげて、もっと大きくて便利な橋に変えようと動いていた。
しかし梅原さんはひとり反対し、沈下橋の近くに引っ越した。
「利便性を求めて大きな橋をかけたら、大阪の郊外にある橋と一緒になるわけですよ。フラット化への反対ですよね。でも、高知市内に住んでいながら、沈下橋を残しませんかと言っても、村の人からしたら、何言うてんかってなるのは当然だと思う。
村長とケンカもしました。だから、よそ者がじゃなくて“うちら者”になって楽しく反対したらええんやと思って、十和村に引っ越して、5年住みました」
総合振興計画書の作成に携わりながら、村民が願う新しい橋をかけることに反対して、村長とケンカする。デザイナーの仕事の領域を明らかに超えているが、当時からそれほどまでにフラット化の危険性を感じていたのだろう。
ちなみに、バブルの崩壊などもあって残された沈下橋は、今では旅行者が大型バスで乗り付ける観光名所になっている。
“暮らしはさておきのデザイン”
梅原さんは、日本のフラット化がデザインの世界にも及んでいると指摘する。
「地方のデザイナーも東京的なものに憧れて、東京並みのデザインをしたいと思っているし、行政は東京で認められるデザインをしたくて、東京のデザイナーに依頼する。デザイナーも行政も爪先立ちで東京の方ばかり見ているから、地に足がついていない。
そういうデザインには、一番大切な暮らしの匂いを感じないんだよ。デザイナーが作ったスプーンって、かっこええけど使いにくいのがたくさんあるじゃないですか。僕はあれを、“暮らしはさておきのデザイン”と呼んでいるんだ」
デザイナーがデザインを通じてフラット化に抗うためのヒントは、「暮らし」にある。「暮らし」という生活に密着したデザインがヒットすれば、経済的な恩恵をもたらすだけでなく、その土地の風景を守ることにもつながるからだ。
例えば、梅原さんがプロデュースした「しまんと地栗 渋皮煮」。これは、旧十和村で長らく放置されていた山の栗を使った商品である。
「農協のにいちゃんに山に連れていかれてね。この栗はどうにかならないかと言われたんだけど、栗を見た瞬間にやった!と思ったね。だって、無農薬無化学肥料やんか。
農協には暮らしの発想がないから、中国産に値段で負けると言っていたけど、僕らは、安全なものであれば高くても買うという暮らしがあることを知っていますからね。
この貴重な栗に『四万十地栗』と名付けて、地元でもともと作られていた渋皮煮にして一瓶3000円で東京のデパートで売り出したら、1週間で500万円を売り上げました」
「しまんと地栗 渋皮煮」のヒットは、四万十地栗を使った様々な商品の誕生のきっかけとなった。そのため栗の需要が急増し、栗の植樹が始まって、荒れた山の再生にもつながった。
現在、多くの移住者を集めて全国的に注目されている島根県海士町(あまちょう)のキャッチフレーズ「ないものはない」。
これも、地方創生ブームにさきがけて2011年に梅原さんが考案したものだ。
「もともと、海士町のキャッチフレーズは『LOVE ISLAND AMA』だったんですよ。Mのところにハートがあってね。
ええかげんにしなさい、と言いました。やっぱり、きちんと本当のことを言う方が好感度があって、ないものはないと言ったほうが海士町らしい。それが海士町の暮らしだし、風景なんだから」
この潔いキャッチフレーズと、「ない」という割にどこか楽し気なデザインが海士町のブランディングに大きく貢献したのは確実だろう。
土地の力を引き出すデザイン
これまで一貫して地方の仕事を受けてきた梅原さんは「地方が豊かでないと、その国は豊かでない」と語る。
「東京とかパリとかニューヨークとか、大都市を比較する時は指標が経済になるじゃないですか。でも、ローカルで大切なのは経済じゃなくて、いかにその人たちがここに住みたいと思って住んでいるか。
フランスの地方は、豊かですよ。個性的な風景があって、みんなでワインやら何やら自分で作って楽しんでいるじゃないですか。
日本だって、もともとは豊かな地方がありました。だから、僕は日本の風景を作り直したいんですよ」
雑誌に取り上げられるようなおしゃれなデザインを得意とするデザイナーは、たくさんいるだろう。
しかし、「土地の風景を守る」「日本の風景を作り直す」という幕末の志士のような志を持ち、実践するデザイナーは、梅原さんぐらいではないか。
だからこそ、今も梅原さんのもとには地方の小さな企業や団体からの依頼が絶えない。
「僕の仕事を総括すると、土地の力を引き出すデザインだと思う。その土地の人とよそから来た人が素敵だねと思うような価値観をどうやって見つけ出すか。
“暮らしはさておきデザイン”じゃなく、暮らしを中心にしたデザインを、ローカルでやっていく必要がある。そのためには、その土地での暮らしを知ることが大事なんですよ」
最近、梅原さんは「竜馬がいく」という名のお菓子のデザインを手掛けた。その包装紙には、梅原さんの熱い想いが隠されている。
このお菓子を目にしたら、ぜひ手に取って見てほしい。ぱっと見ではわからないが、包装紙にはエンボス加工で坂本龍馬の言葉が記されている。
「日本を今一度 洗濯いたし申し候」
<取材協力>
梅原真デザイン事務所
文・写真: 川内イオ