君は「土佐源氏」を読んだか?
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こんにちは。BACHの幅允孝です。
さまざまな土地を旅し、そこでの発見や紐づく本を紹介する不定期連載、「気ままな旅に、本」。2018年の春は高知の旅へ。
「土佐源氏」のふるさと
高知の梼原 (ゆすはら) を訪れることになって何が一番嬉しいかというと、宮本常一が『忘れられた日本人』で書いた「土佐源氏」のふるさとに来ることができたことです。
宮本常一とは日本の民俗学者で各地の農村、漁村、島を踏査し独自の民俗学を築いた人といわれています。民俗学というと何やら難しそうに聞こえますが、要は人の暮らし、習慣、生活道具、儀礼などずっと伝わる人間の営みを調べ、現在の生活文化との違いを相対的にみる学問のことですね。
「山口県須防大島の百姓」という出自を生涯誇った宮本は、社会の底辺を支える同胞として様々な人の話を聞くため日本中を巡りました。フィールドワークのために歩いた距離は16万キロ (地球4周分) 。泊まらせてもらった民家は1000軒以上。師匠の一人である柳田國男と比べても、宮本はつねに足で稼ぐ実践派だったのです。
民俗学を「内省の学」とし、人の暮らしの祖型を探ったのは柳田。一方の宮本は人の暮らしに統一された文化があったのかと常に疑問を持ち、農村と漁村の差異や、西日本と東日本の違いを大切にしました。そんな彼が日本全国の辺境の地で黙々と生きてきた古老たちの話を聞き、それを生き生きとした筆致でまとめた本が『忘れられた日本人』というわけです。
冒頭で挙げた「土佐源氏」は、四万十川の最上流部の橋の下に住む盲目の乞食から聞いた話を宮本が書き記したもので、文庫本でもわずか27ページの短い文章です。ところが、名も知らぬ高知・梼原の翁が語るオーラルヒストリーが、世に溢れるラブストーリーを凌駕するとは!
梼原の老人はもともと馬喰といって馬の世話などをしていた身分の低い男でした。みなしご同然だった彼は幼い時に奉公へ出て、そのまま馬喰になったのですが「わしは八十年何にもしておらん。人をだますことと、女をかまうことで過ぎてしまうた」と本人がいうように、特別なことは何ひとつ起こらず貧しいまま人生を過ごし挙句は乞食として橋の下で暮らしていました。
ところが、昔むかしに自身が経験した上流階級の人妻たちとの「色ざんげ」へと話が及ぶと、これが愁いを感じる恋物語として読み手の心をつかんで離さなくなるのです。特に、文庫版P.181の「秋じゃったのう。〜」の部分からは出色の出来映えで、語り部は急に饒舌となり身分違いの2人の逢瀬に読者はどきどきしてしまうことでしょう。
ここでは内容までは書きませんが、男が捧げた思いやりと女が抱えた悲しみが交錯する寓話のようなお話です。 (その物語としての完成度から宮本による脚色を考察する本も出ているぐらいです。) ちなみに、この「土佐源氏」の話を町の方に聞いたところ、知っている人は僅かで知らない方も多いようでした。確かに「色ざんげ」の話は教科書にも載せられませんからね。
宮本は、泥にまみれた庶民の生活の中に、人が生きる続けるたくましさを見出しました。昔から民衆は理不尽を押し付けられ、しかも、それが無残な忘却の上に組み立てられているという世界の残酷さを承知の上で、彼は人の明るさを見ようとしたともいえます。そんな彼が残した名もなき人の声として、ぜひ『忘れられた日本人』を手に取って、できれば梼原を訪れてほしいと思います。名もなき誰かが確かに存在し、彼らの屍の上に僕らが生きていることをこの橋の下で感じることができますから。
《この1冊》
宮本常一『忘れられた日本人』(岩波文庫)
幅允孝 (はば・よしたか)
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ブックディレクター。未知なる本を手にする機会をつくるため、本屋と異業種を結びつける売場やライブラリーの制作をしている。最近の仕事として「ワコールスタディホール京都」「ISETAN The Japan Store Kuala Lumpur」書籍フロアなど。著書に『本なんて読まなくたっていいのだけれど、』(晶文社)『幅書店の88冊』(マガジンハウス)、『つかう本』(ポプラ社)。
文 : 幅允孝
写真 : 菅井俊之