火鉢の老舗から、金沢のカフェ愛用の小さなトレーができるまで
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かゆい所に手が届く。
そんな、心を鷲掴みにされる工芸品を金沢で見つけました。
金沢を旅したことがある人は、カフェやレストランなどで、この小さなトレーを見かけたことはありませんか?
その名も「ちょこっとトレー」。コースターとトレーが一体となった、まさに“ちょこっと”何かを載せるのにとっても便利なトレーです。
この「ちょこっとトレー」を手掛けているのは、金沢市瓢箪町にある1913年 (大正2年) 創業の老舗、岩本清商店。創業以来、「金沢桐工芸」を作り続けています。
雪国ならではの工芸品として始まった桐工芸
金沢桐工芸の始まりは定かではなく、室町時代とも江戸時代ともいわれています。その原点は、暖房器具として必需品だった火鉢でした。雪深く寒い地方では木目の細かい良質な桐が育ち、軽くて耐湿性・耐火性が高い桐は火鉢の原材料として最適なんだそう。
桐の原木をろくろ挽きして乾燥させ、表面を焼き、ぷっくりと盛り上がった錆上げ蒔絵を施すのが一般的な金沢桐工芸の特徴です。
岩本清商店でも火鉢を生産していたそうですが、1960年代になると生活様式の変化とともに、電気ストーブや石油ストーブなど他の暖房器具に取って代わられ、火鉢の需要が減少していきました。そこで、岩本清商店では花器や茶道具などの小物の生産に切り替えていったのだそう。とはいえ、火鉢が生活必需品であった時代と比べると、桐工芸の職人の数は激減していったといいます。
引き算の発想で「自分たちが使いたいもの」に
まさに希少伝統工芸となった金沢桐工芸。岩本清商店でも職人は四代目の岩本清史郎さんだけとなっていました。
そんな中、「もう少し何とかできるのではないか。何かちょっとやってみよう」との思いで、清史郎さんの長女・岩本歩弓 (あゆみ) さんと夫の内田健介さん、弟の岩本匡史 (ただし) さんが金沢に戻ってきたのは、今から10年ほど前のことでした。
「そもそも実家が作っているもの自体、よく知らなかったんです。お盆や花入れなどの小物もありましたけど、どれも渋くて、当時20代の自分たちが使いたいと思うものがあまりありませんでした。そこで、東京で暮らしているような同世代がふだんから使いやすいものを考えてみようと思ったんです」と歩弓さん。
こうして誕生したのが「ちょこっとトレー」でした。既に商品としてあった四角いトレーとコースターを組み合わせたものだったので、試作品としても取り組みやすかったのだとか。
金沢桐工芸の特徴でもある豪華な蒔絵や艶感があると、かえって使いづらくなると考え、それらを控えめにおさえて、シンプルに。蒔絵は入れてもワンポイント程度、艶感もあまり艶々しすぎないように仕上げました。結果として、一番シンプルなもので1枚1500円と、価格も手が届きやすいものになりました。
桐の香りが広がる工房へ
現在は、四代目の清史郎さんを支えるように、健介さんと匡史さんの3人で桐工芸品を作っています。
工房を訪ねると、桐が焦げるちょっと香ばしい匂いがしてきました。
中には大きな滑車があり、かつてはこれに全ての機械がつながれて動いていたそう。
ちょうど、健介さんが「ちょこっとトレー」の焼き目をつけているところでした。
「ちょこっとトレー」を作る上でのこだわりを聞いてみると、やはり大事にしているのは金沢桐工芸の特長でもある焼肌だそう。焼くことで木目もより一層美しく際立ちます。「焼きムラができないように注意していますね。それと、艶ありと艶なしでは木材を使い分けていて、艶ありは木目の模様が面白いものを、艶なしは木目がまっすぐなものを選んでいます」と健介さん。
たしかに、見比べてみると、その違いは明らかです。艶の有無だけでなく、木目の表情も一つひとつ違うので、お客さんも一つひとつ手に取ってじっくりと選んでいくのだとか。
意外にも、つけ置きや食洗器、ゴシゴシ洗いを避ければ、水洗い・洗剤もOKとのこと。蒔絵がないものであれば、傷がついても焼き直してきれいにできるので、長く使えそうです。
火鉢づくりから発展した金沢桐工芸から、現代の生活様式に合うものとして新たに生まれた「ちょこっとトレー」。形は変われど、使い込むほどに味わいが増し、手になじんでいくところは変わりません。「ちょこっとトレー」で“ちょこっと”ひと休みしながら、そのうつろいを愛でてみてはいかがでしょうか。
<取材協力>
岩本清商店
石川県金沢市瓢箪町3-2
http://www.kirikougei.com/
文:岩本恵美
写真:石川県観光連盟提供、岩本恵美