ハロー、松葉ガニ & 永楽歌舞伎

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そんなこんなで、ずいぶん長い散歩の後、今日の目的地の出石永楽館に僕たちは向かった。ここは1901年(明治34年)にできた最大350席ばかりの小さな小さな芝居小屋だ。ここは会場がコンパクトゆえに演者がとにかく近い。片岡愛之助や中村壱太郎や上村吉弥の汗も唾も全部見える!というレベルだ。そして、その熱気の凄まじさ。役者と会場が一体になってつくりだす永楽歌舞伎のバイブレーションに僕はすっかり夢中で、僕は4年前に訪れてから毎年永楽館に駆けつけている。

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少しだけ永楽館の来歴にも触れておこう。ここ出石永楽館は明治の開館当時から歌舞伎や寄席、新派劇など但馬大衆文化を支えてきた。けれど、テレビの普及や娯楽の多様化の波に勝てず1964年(昭和39年)に閉館。しかし、その後も大切に保存され続け、2008年(平成20年)に行われた「平成の大改修」により復活し今日を迎えている。内部に貼られている看板なども当時のまま。(「永澤兄弟製陶所」の看板もありました!)建設当時の様子を見事に保ち、手動による廻り舞台や奈落、花道、すっぽんなど貴重な明治期の舞台機構を残す近畿地方で唯一の芝居小屋が出石永楽館なのである。

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さて、今回の演目だが松嶋屋一門が大切にしている近松門左衛門の「信州川中島合戦」から「輝虎配膳」。そして、戦前に活躍した笑って泣かせる大阪の喜劇作家 曾我廼家五郎(そがのやごろう)の作品を歌舞伎化した「春重四海波」である。演出、脚色は水口一夫。
時代物の歌舞伎狂言「輝虎配膳」は長尾景虎(上杉謙信)が敵の武田信玄軍師である山本勘助を味方に引き入れようと勘助の母と妻を招き食事をふるまうのだが、その謀略に気づいた老婆が午前を足蹴にし、景虎の怒りを買うという珍しい場面のお話。僕は花道の目の前で見ていたのだが、壱太郎演じる勘助の妻お勝の熱演と、彼(彼女?)の首筋から流れ続ける大きな汗粒に刮目した。きっと暑く大変に違いないが、そんな状況下でしどけない女形を見事に演じる壱太郎。弱冠26歳の彼に役者の矜持を見ました。

一方、とにかく笑える「春重四海波」はまさに「新喜劇」。武術指南をする一家の一人娘の元へ名家から婿養子がやってくるのだが、娘に勝てないと婚姻は認めぬとお義父上に言われる。そして、その娘が神懸かった強さなのだ。つまり、いつまでたっても結婚できないというわけ。この作品は婿養子役を演じる片岡愛之助が20代、40代、60代と年齢を重ねていくのだが、めったにやらないという老け役が面白く、声を出して笑ってしまう。

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また、永楽歌舞伎の「らしさ」の一つに「お見得口上」がある。普通の口上ならば個々の出演者が挨拶をする時間なのだが、永楽歌舞伎の「お見得口上」は、じつに気楽で笑いが絶えない人気の演目となっている。中村壱太郎は豊岡のゆるキャラやぬいぐるみを毎年懐に忍ばせては、ユニークに町のPRをする。今年は豊岡での「ふるさと納税」をしきりに訴えては笑いを誘っていた。片岡愛之助も毎年公演に駆けつける豊岡市長のバースデイソングを歌ったり、ある年は出演したドラマ「半沢直樹」について触れたり、恋のすったもんだについて洒落っ気たっぷりに話したり、なんとも愉快で役者とお客さんの間に親密な時間が流れる。大きな箱では畏まりがちな口上も、この場では来場者とコミュニケーションする柔らかい時間なのである。

古典芸能というと、なんだか堅苦しいとイメージされる読者も多いかもしれない。が、永楽館で見られる上方歌舞伎はじつにサービス精神が旺盛で愉しく温かい舞台。毎年、文化の日に開催される「出石お城まつり」で永楽歌舞伎の出演者は「お練り」をするのだが、人力車に乗りながら町を進む役者らに町の人はいつしか「おかえりなさい」と声を掛けるようになったのだという。そんな小さな町の小さな舞台、歌舞伎初心者の方にこそ、ぜひいちど見に来てもらいたい。

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