モダンな一面を持つ守り神、熊本の「木の葉猿」を訪ねて

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こんにちは。中川政七商店の吉岡聖貴です。

日本全国の郷土玩具のつくり手を、フランス人アーティストのフィリップ・ワイズベッカーさんとめぐる連載「フィリップ・ワイズベッカーの郷土玩具十二支めぐり」。

連載9回目は申年にちなんで「木の葉猿」を求め、熊本県玉名郡の木の葉猿窯元を訪ねました。

ワイズベッカーさんのエッセイはこちら

木葉の山生まれ、異国情緒漂う赤土の猿

熊本県の荒尾・玉名地域は県内最大の窯元の集積地。
江戸初期、肥後藩主となった細川忠利の主導でこの地に“小代焼”が生まれました。

小代焼はスリップウェアに代表される装飾性と実用性を兼ね揃えた日用の器。
その流れをくむ窯元が大半である中、群を抜いて歴史が古い素焼きの土人形を作っているのが「木の葉猿窯元」です。

熊本県玉名郡の木の葉猿窯元
木の葉猿窯元

木の葉猿の起源は遡ること1300年以上前、奈良時代初期の養老7年元旦に木の葉の里に貧しい暮らしをしていた都の落人が夢枕に立った年老いた男のお告げによって奈良の春日大明神を祀り、木葉山の赤土で祭器を作った。残った土を捨てたところ、それが猿になり「木葉の土でましろ(猿)を作れば幸いあらん」と言い残して姿を消したため、落人たちは赤土で祭器と共に猿を作り神に供えたところ、天変地異の災害があっても無事であった、と言い伝えられます。

以来、悪病、災難除け、夫婦和合、子孫繁栄の守り神とされるようになったそうです。

春日大明神が祀られた宇都宮神社
春日大明神が祀られた宇都宮神社
種々の木の葉猿
種々の木の葉猿

「日本的ではない気がする。アフリカっぽい。」

ワイズベッカーさんがそう言うように起源は諸説あり、南方やインド、中国を起源とする説や明日香村の猿石やモアイを原型とする説などもあるそうです。

江戸時代、木の葉の里が薩摩藩の参勤交代の道中だったこともあり、土産品として全国へ広まり、小説「南総里見八犬伝」の挿絵にも描かれていました。
大正5年の全国土俗玩具番付では、東の横綱に選ばれるほど有名な存在だったようです。

大正5年発行「全国土俗玩具番付」
大正5年発行「全国土俗玩具番付」

現存する唯一の窯元で、受け継がれる意志

「木の葉猿窯元」は、木の葉猿を作る窯元で唯一現存している窯元。

春日大明神を祀ったとされる「宇都宮神社」の参道を下った、ほど近いところにあります。
現在は、中興7代目の永田禮三さん、奥さん、娘さんの家族3人で営んでおられます。

木の葉猿窯元の8代目川俣早絵さん、7代目永田禮三さん、英津子さん
左から8代目川俣早絵さん、7代目永田禮三さん、英津子さん

「終戦後の6代目の頃は、焙烙、七輪、火消し壺などの日用品を作っていました。木の葉猿は僅かしか売れていなかったけれども継続はしていました。」

意外にも、木の葉猿に再び注目が集まるようになったのは近年のことだといいます。
昭和50年に熊本県伝統工芸品に指定、今では年間1万5千~2万個を作られているとのこと。

県内の伝統工芸館、物産館、東京の民芸店などに卸しており、最近は若いお客さんも多くなったといいます。

「小学生の頃から早く両親を楽にさせたいと言ってました。」

そんな親思いの三女・川俣早絵さんは、芸術短期大学で陶芸を専攻して、実家に戻り父に師事。7代目と共に木の葉猿の成形を担当しながら、8代目を継ぐ準備をされています。

習字の経験があり筆が早いという母・英津子さんは着彩を担当。親子3人の共同作業でつくられています。

木の葉猿は、指先だけで粘土をひねって作ったものを素焼したままの素朴な玩具。
形と謂れの違いで10種類ほど、大小合せると20種類以上。

食いっぱぐれないようにおにぎりを持っている「飯食い猿」や、赤ちゃんの象徴を抱いている「子抱き猿」、団子に似ている「団子猿」など。永田さん親子にその作り方を教えて頂きました。

①土練
まずは土を均一にするために、土練機を使って土練り。
土は地元の粘土を使い、素朴な風合いを出すために荒削りなものを選んでいるとのこと。

木の葉猿の材料になる赤土の粘土
材料になる赤土の粘土
土練機
土練機

②成形
粘土を指でひねって形をつくり、ヘラで細部を削る。そして1週間以上乾燥。
ヘラなどの道具は自身で竹を削って作られるそう。

木の葉猿窯元 製作風景
ヘラを使って整形の仕上げ
木の葉猿窯元 製作風景
粘土の乾燥

③焼成
乾燥した人形を300~500体まとめて月に一回程度、1日がかりで素焼き。
その後、いぶし焼きをして表面を黒っぽく仕上げ。

木の葉猿窯元 製作風景
いぶし焼きが終わると表面が黒っぽくなる

④絵付け
素焼きが完了した人形に、絵付けをして仕上げ。
以前は泥絵の具を使用していたが、現在は水溶性の絵の具を使用。

絵付けをした飯喰い猿
絵付けをした飯喰い猿

模様は昔から変わっておらず、白を基調に群青色と紅の斑点をつけるのが基本。
その意味は正確にはわかっていないそうですが、青と赤と白の彩色は「魔除け」を表しているのではないかと言われています。

種類によって魔除けや祈り、願いが込められた木の葉猿は、玩具というよりも御守り的な存在だったのではないでしょうか。

「木の葉猿をプレゼントした9割の夫婦が子宝に恵まれている」というお客さんがいるくらいなので、結婚祝いに添えてあげるのも良いかもしれませんね。

モダンなオブジェとしての意外な一面

永田さんにお話を聞いていて驚いたのが、カリフォルニアのイームズハウスにも木の葉猿が飾られているということ。

写真が載っている雑誌を見せてもらいましたが、確かに、本棚の和洋折衷なオブジェと一緒に木の葉猿が並んでいました。

イームズ夫妻が自身で持ち帰ったのか、プレゼントだったのかは定かでありませんが、アメリカのミッドセンチュリーモダンと日本の郷土玩具の接点が、まさかこんなところにあるとはという感じです。

土偶や埴輪のように原始的で、どこかユーモラスな木の葉猿が、モダンなオブジェとしての魅力も持っているという新たな側面。
日本の郷土玩具の意外な一面が垣間見れましたね。

さて、次回はどんな玩具に出会えるのでしょうか。

「フィリップ・ワイズベッカーの郷土玩具十二支めぐり」第9回は熊本・木の葉猿の作り手を訪ねました。それではまた来月。
第10回「宮城・独楽玩具の酉」に続く。

<取材協力>
木の葉猿窯元
熊本県玉名郡玉東町木葉60
営業時間 8:00-19:00
電話 0968-85-2052

文・写真:吉岡聖貴

「芸術新潮」6月号にも、本取材時のワイズベッカーさんのエッセイと郷土玩具のデッサンが掲載されています。ぜひ、併せてご覧ください。

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