「孫に作品を残したい」想いから生まれる 宮城・挽物玩具の酉を訪ねて
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こんにちは。中川政七商店の吉岡聖貴です。
日本全国の郷土玩具のつくり手を、フランス人アーティストのフィリップ・ワイズベッカーさんとめぐる連載「フィリップ・ワイズベッカーの郷土玩具十二支めぐり」。
連載10回目は酉年にちなんで「挽物玩具の酉」を求め、宮城県白石市の鎌田こけしやを訪ねました。(ワイズベッカーさんのエッセイはこちら)
弥次郎系・鎌田こけしや
こけしの宝庫、宮城県。
構造、形、描彩が師弟関係や産地別の特徴を持つ伝統こけしが、それぞれに系統を作っていて、こけしの世界は調べれば調べるほど奥深いものです。
県内各地では今も、鳴子系、遠刈田系、弥治郎系、作並系、肘折系などの系統が作られています。
今回訪れたのは、弥治郎系こけしの生まれ故郷白石市。
湯治湯として有名な鎌先温泉や小原温泉で、昔からこけしが売られてきました。
太い直胴もしくは、中程が括れた胴に、描彩は黄色に塗られた下地に菊花や石竹、もみじが描かれており、首は差し込み式になっているのが特徴です。
そんな弥治郎系こけしの系統を継ぐ「鎌田こけしや」が今回の目的地です。
鎌田こけしやの創業は、関東大震災の直後。
創始者である鎌田文市さんは、1900年にこの地方の絹糸商家に生まれました。
幼少期の怪我のせいで正座ができなかったため、腰掛けてできるこけしの木地職人の道へ。
弟子入りしたのは、弥治郎系こけしの職人・佐藤勘内さん。
しかし、弟子離れしてからもなかなか食えず東京に出稼ぎに行ったが、関東大震災で仕事が続けられなくなったのを機に地元白石に戻り、独立開業。
現在は孫である孝志さんが、3代目を継いでいます。
伝統こけし3代目がつくるユニークな創作玩具
孝志さんは高校卒業後、横須賀で鉄道の車輪を作る仕事をしていましたが、粉塵により肺を悪くしてしまいます。
地元に戻り、祖父からの勧めもあり家業を継ぐことを決断。最初は刃物の使い方から教わり、生卵で顔を書く練習を経て、3年後に一人前に木地を挽けるようになって初めて、こけしの顔を描かせてもらえたそうです。
孝志さんは伝統的なこけしだけでなく、挽物で作るユニークな独楽や玩具も魅力。独楽を回すと、クスッと笑いたくなる予想外の動きに目が離せません。
「今まで作ってきたのは約100種類。日の目を見なかったものまで含めるともっと多い。」
こういった独楽や玩具を作れるようになるため、若い頃、仙台で江戸独楽を作っていた木地屋の広井道顕さんのもとに、週に一度学びに通ったそうです。
現在、組合で弟子の養成にも携わっているそうですが、工房では弟子を取らず、制作はおひとり。今でも年間約1000個をつくられる原動力は、「孫に祖父のような作品を残したい」からだといいます。
親鳥のお腹から、ひよこの独楽
今回のお目当ては鎌田さんの「酉」。頭部が開く蓋物になっています。
まるい胴体の中には1センチくらいのひよこが描かれた独楽が3つ。
親鶏の前でくるくるとよく回る独楽を見ていると、思わず顔が緩みます。
作品を見せてもらった後、自宅の裏にある工房を案内してもらいました。
鎌田さんの作るこけし、独楽、その他の玩具は、ロクロと鉋を用いて形を削り出したり細工をしたりする技法で、一般に挽物(ひきもの)といわれます。
ロクロは、現在はモーター式が使用されていますが、旧式のロクロは一人が縄をひいてロクロを回し、一人が細工をする二人挽きのものでした。技術の進化とともに、一人挽きになり、ペダルを回す足踏み、水力(戦前)、モーター(戦後)と動力が変化してきたとのこと。
挽く方法は、予め頭部と胴部に木取りしたものをロクロにかけ、数種類の鉋を使って別々に挽き、最後に頭と胴体を噛み合わせます。
鉋などの道具も昔はたくさんあったそうですが、今は作る人がいなくなり、古いものを修理しながら使ったり、自分で加工して道具を作ったりしているそうです。
彩色は、ロクロを回し、筆の先を軽く当てて模様をつけるロクロ描きと、手に持って描く手描きの2つの方法を使い分けます。墨と紅、黄、藍、青、紫など5色の食品添加物を使って、特色ある描彩が施されます。
「祖父の真似をしようとしてもできなかった。早々に自分の顔を書こうと決めた。」
描彩をする職人の筆さばきで、顔に個性が出るといいます。
材料に使用しているのはミズキという木。
水分が多くて柔らかく挽きやすい、そして木肌が白く年輪が目立たない、といった条件が揃っているのだそう。
近頃は木材の入手に苦労が絶えないという。
「宮城県内に山師がいなくなり、木材は福島県の会津若松から仕入れていました。しかし、東日本大震災後、放射能汚染の有無に関わらず、県外への持ち出しが難しくなった。山師を辞めて収入の高い除染作業に行く人も多い。今は昔のつてを辿って、群馬の業者から仕入れています。」
原発事故の影響は、こけし作りにも及んでいました。
こけしの起源は、おしゃぶり、お守り、祭礼の道具、ままごと用の人形などまちまち。
決定的なものはなく、木地師がたまたま挽いた人形で、元々玩具として発生したという見方もあります。
そういった伝統的なこけしの歴史や技術を踏まえて作られる鎌田さんの作品は、驚きを与えてくれる「仕掛け」や「動き」が魅力的。子どもも大人も、見て、触って、楽しめる創作玩具です。
さて、次回はどんないわれのある玩具に出会えるでしょうか。
「フィリップ・ワイズベッカーの郷土玩具十二支めぐり」第10回は宮城・挽物玩具の酉の作り手を訪ねました。それではまた来月。
第11回「福岡・赤坂人形の犬」に続く。
<取材協力>
鎌田こけしや
宮城県白石市字堂場前27
電話 0224-26-2971
文・写真:吉岡聖貴
「芸術新潮」7月号にも、本取材時のワイズベッカーさんのエッセイと郷土玩具のデッサンが掲載されています。ぜひ、併せてご覧ください。