田舎町を賑やかな観光地へ変えた、ある陶芸家の楽しい革命

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それまで、そこは“閑散とした田舎の集落”だったという。

もともと江戸時代から続く窯元「幸山陶苑」が営む製陶所のあった場所。2001年に閉窯し、そのまま放置されていた。

絵付け場や釉薬精製所、登り窯など、製陶所の面影を残しつつ、なにもかもが、ひっそりと佇んでいるだけだった。

それが、いまでは。

年間15万人もが訪れる一大観光地になっている。─ 長崎県の波佐見町にある「西の原」。

波佐見町の西の原 看板
レストラン、カフェ、雑貨店、グロサリーなど、様々な店が集まる
波佐見町の西の原 花わくすい
波佐見町の西の原 はなわくすい
波佐見町の西の原 yosuke

昭和初期のノスタルジックな雰囲気が残るなか、お洒落なカフェや雑貨店、ギャラリーなどが建ち並ぶ人気のスポット。そればかりか、この地の存在が長崎を代表する陶磁器、波佐見焼を世に広く知らしめるきっかけにもなったとか。

この町にいったい、なにがあったのか?

仕掛け人は、肩の力が抜けた陶芸家

この地に変化をもたらしたのは山形県からやってきた1人の陶芸家。

こんなふうに言うと、エリアリノベーションやコミュニティデザインといった今どきの言葉を思い浮かべるかもしれないが、この人の場合はそうした感覚とは少し違う。

「自分が楽しいと思うことをして、欲しいと思ったものを作っただけなんだけど‥‥」と穏やかに語り、目を細めて笑う。

長瀬渉さん
長瀬渉さん。1977年、山形県山形市生まれ。東北芸術工科大学・大学院を修了後、東京藝術大学工芸科研究生修了

おこぜ、あらかぶ、ふぐ、たこ、あんこうなど、海の生き物を忠実に、繊細に再現した作陶を多く手掛け、数々の賞を受賞する気鋭の陶芸家である。

長瀬渉さんの作品
長瀬渉さんの作品
長瀬渉さんの作品

そんな長瀬さんが波佐見町に移住してきたのは2003年のこと。本人の言葉を借りるなら「移住」ではなく、「ただの引っ越し」だったとか。

「うちの奥さんが佐賀県の有田にある窯業大学で絵付けの勉強をするというので、それならと僕も一緒に越してきたんです。都会の人が『田舎暮らしを始めます』みたいな感覚じゃなくて、ただ単に引っ越してきた、って感じです。

本当は有田のアパートに住むつもりだったけど、知り合いに波佐見のほうが家賃が安いと聞いて。それがここに決めた一番の理由かな(笑)」

当初は波佐見に長く居るつもりはなかった。1年後には作陶のため韓国に移る予定で、波佐見は「ちょっとだけ住む場所」のつもりだったとか。

ところが、そこで運命の声がかかる。

 

町が、人が、ゆるゆると動きだす。

「西の原を自由に使っていいよ」

そう言ってくれたのは、この場所を所有していた西海陶器株式会社・代表取締役会長の児玉盛介さん。西海陶器といえば波佐見焼の大手老舗メーカーだ。

この土地、ここにある建物を「無償で使っていい」ことになったのだ。

「面白そうだから、それもありか」

そう思った長瀬さんは、まず自分が作陶するための工房をかまえることにした。

元窯元とはいえ建物はボロボロだ。壁ははがれ、屋根からは雨漏りが。手先が器用な長瀬さんは自ら改修工事を行い、2005年「ながせ陶房」をつくる。

「それで、仕事をしているとおいしいコーヒーが飲みたくなるじゃないですか。あと、おいしいランチが食べたくなりますよね。

近くにカフェなんてものは少なかったから、だったらここに作っちゃえ、と。でも自分ではやれないなぁと思って、友人の岡ちゃんを口説き落としてお店を開いてもらったんです」

それがカフェレストラン「monné legui mook(モンネ・ルギ・ムック)」。西の原の象徴ともいうべきお店だ。
岡ちゃんこと店主の岡田浩典さんはもともと、東京のオーバカナルなど有名店で勤務。東京生まれ・東京育ちの岡田さんは、長瀬さんの誘いで長崎の田舎町、波佐見町でカフェを作ることにした。

波佐見町のカフェ monné legui mook(モンネ・ルギ・ムック)
岡田さん/左・長瀬さん/右 後ろの白い建物が、monné legui mook(モンネ・ルギ・ムック)。昭和初期の建物をリノベーションして作られた

製陶所の出荷場だった建物を利用して、古き良き佇まいを生かしながら自分たちで修繕・改築。いまでは観光客はもちろん、地元の人が気軽に立ち寄ることのできる心地良いスペースになっている。

 

すると今度は「作品を展示するギャラリーが欲しいな‥‥」と長瀬さん。

元ろくろ場だった建物に手を入れ、展示会やイベントもできる、ギャラリー&ショップ「monné porte(モンネ・ポルト)」をつくってしまう。

ちなみにその後、「monné legui mook」と「monné porte」は国の有形文化財、ならびに県のまちづくり景観資産に登録された。

あるときは焼き物の町であることを活用し、長瀬さんの出身大学をはじめ金沢美術工芸大学や有田窯業大学校の美大生に声をかけて、世界のいろいろな窯たきのワークショップを展開。

波佐見の陶芸家 長瀬渉さんと美大生
ワークショップに集まった美大生たち

またあるときは音楽フェスを主宰した。友人や地元の人と一緒に廃材でステージをつくり、倉庫だった場所をライブ会場にしてしまったこともある。

 

─ 「はっきり言って私利私欲で動いています(笑)」

そう長瀬さんは言うけれど、その行動の1つ1つは西海陶器を動かした。大学の後輩や遠くにいる友人をも巻き込んだ。もちろん、いつもうまくいくわけじゃない。地元の人とぶつかり合ってしまうことだってある。

それでも。

寂れていた土地、集客とは無縁だった場所に、新しい風がゆっくりと吹き込まれていく様子に、いつしか心を動かされたのだろう。

いつのまにか、波佐見町の町長をはじめ、観光協会、振興会といった行政までもが長瀬さんの活動に協力してくれるようになったのだ。

「『やりたいと思う』と言うと、周りの人はできない可能性を考える。でも『やる』って断言すると、意外とみんなが協力してくれる。不思議と物事が回り始めるんですよ」

ときに強引に。いつも笑顔で。小さな町に一つ一つ革命を起こしていく。
そして気がついたときには「西の原」が一大観光地になっていたのだ。

 

新天地、陶郷「中尾山」。

中尾山の風景
波佐見焼を作るための、型屋、生地屋、窯元、が集まる焼き物集落

10年の歳月を経て長瀬さんはいま、焼き物業者の多い集落地「中尾山」にいる。西の原から車で5分ほどの、いわゆる波佐見焼の総本山である。

大きな煙突のある製陶工場跡地を購入し、こちらも一からリノベーション。新しい生活を送っている。

リノベーションの時の様子
陶芸家 長瀬渉さんの工房
工房の中の暖炉も自身で設置
陶芸家 長瀬渉さんの工房
工房の横のスペースはライブや映画上映などをするイベントスペースに

その日の夕食は地元で採れた野菜のサラダとパスタ、長瀬さんが佐世保港で釣ってきたスズキと烏賊のトマト煮込み。

長瀬渉さんの手料理
長瀬渉さんの手料理
長瀬渉さんの料理風景

言い忘れていたけれど、長瀬さんは釣り名人。その腕前は、作陶を仕事にしながら「陶芸よりも釣りの方が得意」と言うほどだ。仕事の合間に、週1〜2回は海釣りに行くという。

「波佐見は海に面してないけど、実は有明海や伊万里湾、東シナ海とか、どこの海も40分圏内で行けちゃうの。大村湾なら15分だよ」

釣ってきた魚はさばいて刺身や切り身にし、ご近所におすそわけ。それと引き替えに新鮮な野菜が手に入るという、ありがたい物々交換システムが息づいている。

長瀬渉さんの手料理
長瀬渉さんの愛犬ムーア

だから家族3人とアシスタント、友人やボランティアスタッフ1~2名分、愛犬ムーアの食費は月2~3万円でまかなえるとか。

陶芸家長瀬渉さんの家
長瀬さんの作った器が食卓を彩る

 

新たな革命は、静かに幕を開けていた。

そしていま、長瀬さんには新たに欲しいものがあるという。

1つは「宿」。

作陶はもちろん、ライブやワークショップなど、好きなことを糧にして楽しく生きている長瀬さんのまわりにはいろいろな人が集まる。活動を手伝ってくれる仲間、陶芸作家を志す若者、ミュージシャン‥‥。

「気の合う仲間を受け入れられる寮みたいな場所があったらいいなと思って」

物件の目星はすでについている。かつて仕出し屋さんだった一軒家で「とにかく変な造りで格好いい建物」なんだとか。

さらにどうしても欲しいものが、もう1つ。

「保育園」だ。

「子どもが生まれる前は保育に興味なんてなかったけど、子どもができて、その必要性を感じて。だったら作っちゃおう、かなと」

長瀬さんの頭の中には楽しい構想がいっぱいだ。

たとえば、園庭一面を「食べられる庭」にする。自然に生えてくる筍や山菜はもちろん野菜や果物、ハーブなどの食材を植えておいしい庭をつくってしまう。

地元の子どもたちだけでなく「都会で暮らす子どもが遊べる日」をつくる。土に触れ、野菜を収穫し、料理を作って食べるといったワークショップも考えているという。

また、送迎用のバスはアニメに出てくるみたいなかわいいボンネットバスに。「日中は観光バスとして町を回ると賑やかだよね」と話す。

こうしてまた、新たな観光資源ができていくのかもしれないと思った。だけど、長瀬さんの考えはもっと深い。

「集落を盛り上げるためには、観光で集客することももちろん大事だけど、まずは地元にいる人が幸せにならないとね」

そのために、一人暮らしのおじいちゃんおばあちゃんを雇用したり、「園児のお母さんがそのまま先生になる」なんていう発想も。

「料理や裁縫、大工、陶芸など、それぞれの人が自分の得意なことを子どもに教える場にしたい。それが仕事になったら楽しいですよね。

子どもを軸にして集まってきたお母さんたちは、保育園で子どものためのビジネスを立ち上げてもいいかもしれない。たとえば、子ども用食器や家具を作って全国に販売したり。それが、卒業した後でもお母さんたちの仕事として続けていけるといいですよね」

また、「園の行事は、集落全体の行事にして町のみんなで楽しめるといい」とも話す。

次々に出てくるアイデアからは、子どもたちだけでなく、園に関わる人たちみんなが幸せになっていく姿が想像できる。

決して画一的な保育園ではない。この地だからこそ生まれるアイデアがあり、この地でなければできない保育のかたちがあるのだ。

「まだちゃんと決めてないんだけど、『保育園』じゃなくて、『遊学園』って名前にしようかな」そう、長瀬さんは言っていた。

新しい概念を説明しようとすると、適切な言葉が難しい。だけど確かに、今長瀬さんが作ろうとしているものは、これまでの「保育園」とはまた違う場所のように感じた。

ここが一面、「食べられる庭」になる予定

「ここが予定地です」

案内してくれたのは、長瀬さんの保育園を作ろうと計画をしている土地。桜の木に囲まれた自然豊かな場所だった。

「春になると本当に綺麗よ。モグラもいるし(笑)」

 

ゆっくりと静かに。でも着実に。陶芸家の新しい革命は、すでに動き始めていた。

 

長瀬さんご家族
長瀬さんご家族とアシスタントのアリナさん

< 取材協力 >
ながせ陶房 長瀬渉さん
Instagram

長崎県東彼杵郡波佐見町井石郷417−2

 

文:葛山あかね
写真:mitsugu uehara、長瀬渉さん提供

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