渋谷の「かつお食堂」はここから始まった。「かつおちゃん」こと永松真依さんが出会った天職とは?
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人生をかけてやりたいことは何か。
その質問に即答できる人はどれぐらいいるだろう。
自分が本当にやりたいことを見つけた人は、それだけでもう半分勝ちなんじゃないかと思ったりします。
好きなことに突っ走ってる人はとてもキラキラしてるし格好いい。だけど、それはその人の今の姿。
これが天職だと思えることに出会うまではやっぱり、紆余曲折あるものだと思うのです。見つけようと焦ってもすぐに見つかるものでもないし、ふとしたきっかけで見つかるものでもあるのかもしれません。
今日は、「鰹節」に魅せられた女性、“かつおちゃん”の話。
「昔は真面目に仕事もせずに、毎晩のようにクラブで遊んでばっかりで。やりたいことも特になかったし、趣味がお酒を飲むことみたいな‥‥二日酔いで気持ち悪くって、仕事にならないこともよくありました(笑)」
そんな永松さんの人生を変えたのは、「鰹節(かつおぶし)」でした。
職業:鰹節伝道師
そんな職業、はじめて聞きました。たぶん、世界にひとりなんじゃないかと思います。
鰹節伝道師の仕事は、その名の通り“鰹節の魅力を伝えていく”こと。ワークショップをしたり、TEDでスピーチをしたり、講師をしたり、イベントで鰹節を使った料理を出したりと方法は様々です。
渋谷の宮益坂から始まった「かつお食堂」
そんな「鰹節伝道師」こと永松さんが、2017年11月にオープンした「かつお食堂」。東京・渋谷の宮益坂近く、もともと夜にバー営業をしている「bar & miiii」さんの場所で、朝からお昼までの営業でスタートしました。 (*2019年8月8日より渋谷区の鶯谷町にお店を移転しています)
朝ごはん、どうしてますか?
「おいしいご飯と味噌汁が食べられるところが少なかった」
それが、永松さんがこの店を始めた理由です。
「お洒落なカフェやパン屋さんはたくさんあるけど、自分たち日本人の大事な基盤とも言えるご飯とお味噌汁のお店が無いなって。じゃあ鰹節の店をやろうと思ったんです」
それから、この場所“bar & miii”で飲んでる時に店主に相談したことをきっかけに「じゃあウチでやれば?」となったのだそうです。
オープン以来、大きな宣伝も、呼び込みもしませんでしたが、かつお食堂の小さなスペースはいつもお客さんでいっぱいです。みんなこんなお店を求めてたんだろうなと感じます。
人生を変えた、おばあちゃんのお味噌汁
ここからは時間を少し戻して、永松さんが「鰹節伝道師」になるまでの話。「夜遊びばかりしてた」という数年前に話は戻ります。
娘の生活を心配したのでしょうか。「おばあちゃんのところにしばらく行ってきたら?」というお母さんの勧めもあって、おばあちゃんの住む田舎、福岡での生活がはじまります。
「おばあちゃんはちょっと足が不自由で、普段あんまり料理をしている記憶はなかったんですけど、その時はお母さんから私のことを聞いてたのか、ご飯を作ってくれたんです」
台所でおばあちゃんが取り出したのは鰹節削り器。鰹節を削ってひいたお出汁で、お味噌汁を作ってくれました。
「“おいしい”ということに、もちろん感動しました。だけど、何よりもおばあちゃんの鰹節を削ってる姿が美しかったんです」
「女の人をはじめて美しいと思った」と、その姿に惚れ込んだ永松さん。
「おばあちゃんが、これは日本の文化で昔はみんなこうやって削ってたんだよって教えてくれました。でも、自分が見たのは初めてだった。
『田舎に行ったら、鰹節を削ってる人がまだいるかもしれない。』そう思って旅に出ました」
その発想もすごいけど、その行動力がもっとすごい。だけど、その時の感動はそれほど強かったんだと思います。
条件は、とにかく田舎
「鰹節を削ってる人」を求めて、すぐに旅がはじまります。適当な電車に乗って景色を眺めながら、素敵だなと思ったところで降りる。降りた駅で、バスの運転手さんに「田舎に行きたい。」とだけ伝えて、とにかく田舎へ、田舎へと向かいます。
その結果、たどり着いたのは日本でも有数の長寿村でした。
山梨県 西原の山村。「90歳を超えたおじいちゃんが、バリバリ山の中でバイクに乗ってるようなところ」だったそうで、元気な高齢者たちが、雑穀を育てて暮らしていました。
「そこで畑仕事を手伝ったら気に入ってくれて、そこに住むようになったんです」と、今度は山で暮らすことに。畑でできた蕎麦の実を摘んで、水車で挽いて蕎麦を打つ。そんな、絵に描いたような田舎暮らしでした。
期待どおり、そこの人たちは鰹節を削って食べていました。「日本の美しい姿が、まだ残っている」と、嬉しかったそうです。永松さんもおばあちゃんから教わった鰹節削りで出汁を取ってみんなに振る舞うこともありました。
そんなある日、「鰹節ってそもそも、どうやって鰹節って作ってるんだろうね」という話題に。「そういえば、鰹節は大好きだけど知らないなぁ」と思った永松さん。
次は、製造現場を求めて旅が始まります。さすがの行動力です。
宮古島から気仙沼まで。太平洋側縦断
太平洋側全域で作られているという鰹節。南は沖縄の宮古島から、北は宮城の気仙沼まで、鰹節の産地をめぐったそうです。「見学をしたい」と造り手さんへ電話をして現地に飛び込む。製造現場で、とことん作り手と話し込み、時には一緒に鰹節作りを手伝わせてもらいながら製法を学びました。
「私は本を読むのがあまり得意じゃないので、ほとんどの知識は現場で教えてもらいました」と永松さんは言います。
直接会ってもらえたら分かりますが、永松さんの鰹節の知識量には驚きますし、なんといっても話がおもしろい。
「鰹節にだけしか含まれてない成分があって‥」「旨味の元は‥」 「カビ付きの鰹節の特徴は‥」「花かつおっていうのは‥」と、いろんなことを教えてくれます。
きっと、製造の現場まで経験してるからこそ、作り手の思いまで伝えられるんだろうなぁと思います。まさに、鰹節伝道師。ちなみに私は、出汁はずっと昆布といりこ派でしたが、完全に影響を受けて最近は鰹出汁になりました。人の熱量は、味覚にだって影響するのかもしれません。
メニューは、かつお定食。以上
長い旅を経て、東京に戻った永松さん。かつお食堂をオープンします。
鰹節を知り尽くした永松さんの「かつお食堂」は、“鰹節のおいしさを伝えたい”という想いの元、基本的にメニューは1つで「かつお定食」のみ。鰹節ご飯、お味噌汁、だし巻き卵、お漬物の構成です。
使われる鰹節は、日本各地から厳選されたものを使用。出汁に合わせて使うお味噌も変えるのだそうです。
鰹出汁のよく効いた香り高いお味噌汁。あぁ日本人で良かったなぁとしみじみ感じます。
そして、眼の前で削ってくれる鰹節がたっぷりと乗った鰹節ご飯。鰹節ってこんなにおいしかったのかと、香り高さと旨味に驚かされます。ふだん食べてる鰹節との味の違いに、削り器がほしくなるほど。コーヒー豆と同じで、鰹節も削りたてがおいしいのだそうです。
鰹節伝道師として、かつお食堂を初めて数ヶ月。お客さんも増えて、1日の提供数を早々に完売し、早めにお店を閉めることもしばしば。
「鰹節がこんなにおいしいって、知らなかった」「自宅でも真似したいけど、どうやるんですか?」というお客さんの反応が何よりうれしいのだそう。
永松さんと話しててすごいなと思うのは、聞いているうちに鰹節のことがどんどん好きになっていくこと。
愛しい恋人の自慢話をするみたいに鰹節について話すから、ついつい聞き入ってしまうし、鰹節って本当にすごい」と、鰹節が好きになっていきます。
おばあちゃんから受けた一瞬の感動によって始まった、「鰹節伝道師」という人生。「やりたいことも特になかった」という彼女は今、天職を見つけてとてもイキイキとしていました。
「人生にとって一番の幸福とは何か?
それは自分の天職を知ってこれを実行に移すことである。」
そんな、誰かの言葉を思い出しました。
<かつお食堂>
東京都渋谷区鶯谷町7-12 B1
※営業スケジュールはfacebookまたはinstagramをご確認ください
facebook : https://www.facebook.com/katsuoshokudou/
Instagram : https://www.instagram.com/katsuoshokudou/
文:西木戸弓佳
写真:長谷川賢人
*こちらは、2018年7月31日公開の記事を再編集して掲載しました。取材から1年。新天地での活躍とおいしいご飯がますます楽しみです!