日本で唯一、大きな桶を作る桶屋。その技術を受け継ぐのは蔵人たちだった
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冬に最盛期を迎えるのがお酒の寒仕込みです。
昔ながらの仕込みに欠かせないものといえば大きな木桶。
現在、木桶仕込みをする酒蔵も少なくなり、この大桶を作る桶屋さんも全国で1軒だけになってしまいました。
かつて桶、樽の産地だった大阪の堺市で唯一となった、大桶を作る藤井製桶所を訪ねました。
木桶で一番大事なのは木目
「今は、日本酒の仕込桶を作ってます」
そう話すのは藤井製桶所3代目の上芝雄史(うえしば・たけし)さん。
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案内していただいた広い工場には、桶の材料となる板があちこちに並んでいます。
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「杉材を使います。赤い部分と白い部分があるでしょ。この境目を白線帯(はくせんたい)といって、これを取り込んで材を取ります」
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白線帯は幅3mmくらいで密度が高く、アルコールが抜けにくいのだそう。
「この部分だけ使って日本酒の桶を作ります。直径4、50cmの原木から4枚しか取れない。非常に贅沢な取り方です」
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木の中心の赤い部分は、味噌や醤油の桶を作る材料になるそうです。
「木桶で一番大事なのは木目。木目が上から下までしゅーっと真っ直ぐに通ってること。斜めになってると漏れる原因になります」
素材の見極めが肝心なことがよくわかりました。
いよいよ、ここからは桶づくり。まずは鉋がけから。
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丸い桶を作るために側面に角度をつけていきます。
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角度の調整に使うのはカマと呼ばれる手製の道具。
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細かく角度を確認しながら鉋をかけていきます。
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板を繋ぐのは竹釘。
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板を4、5枚繋いで、再び鉋をかけます。
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桶の形が少し見えてきました。
工場の外では竹を削る作業をしています。
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「箍(たが)の材料を作っています。長さ10mの竹を割って、節を全部落として、ツルツルにして編んでいくんです」
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今回、最後の桶を組む工程は見られませんでしたが、板を組んで箍をはめると桶が完成します。
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「組み立てるのは30分くらいですが大仕事です。それまでは単純作業の繰り返し。最後の仕上げは手で削りますから、体力もいりますね」
もともと桶屋は高給取りだった
藤井製桶所の創業は大正11年頃。
「初代がなぜ桶屋になったかと言うと、手間賃が大工の倍ぐらいあったから。桶屋は高級取りだったんです」
当時、全国の就労人口の2%は桶屋だったという記録も残っているほど桶屋は多く、それだけ需要もありました。
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「生活の全てに桶が使われてました。ご飯を入れるお櫃、風呂桶、洗面桶、井戸から水を汲み上げるのも鶴瓶桶。あらゆる生活シーンの中に桶があったんです」
昔は赤ちゃんの産湯桶、洗濯桶、行水桶を3つ重ねて入れ子にしたものが結納品の一つだったそうです。
「それが戦後、10年ぐらいのうちに劇的に変わりました。焼け野原になったところに大量に住宅を立てるため、木材が高騰。逆に軍事産業がストップして鉄が余って安くなった。業界がガラッと入れ替わったんです」
酒、味噌、醤油などに使われていた木桶も、次第にホーローやFRP(強化プラスチック)に取って代わられるようになる。
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「そもそも、木桶は味噌や醤油なら150年ぐらいは使えます。今でも慶応時代の桶を使っていたりするぐらいだから、仕事の発生件数もそれほどあるわけじゃないので、必然的に仕事にあぶれる状態になってしまいます」
そのため、桶屋さんが次々と廃業していくことに。
そんな中、なぜ藤井製桶所は残っていけたのでしょうか。
お得意さんは工場
初代が堺で桶屋を始めた当時、すでに50軒ほどの桶屋があり、桶屋を営みはじめたのは最後の方だったそうです。
「新参者で、酒屋の仕事をしたくても取引先がなかったので、最初から他とは違う工場関係の仕事を手がけていました」
目をつけたのは桶の仕立て直し。全国の酒屋から中古の桶を引き取り、組み直して工場に収めました。
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堺は戦前から化学産業が盛んだったため、戦中、戦後も仕事にあぶれることはなかったそうです。
高度成長期、工場でもステンレスやFRPタンクが使われるようになっても、木桶ならではの需要もありました。
例えば、カセットテープやビデオテープなどの記録媒体に使う磁性酸化鉄を作るのもそのひとつ。
「桶の中でカドミウムだとかいろんなものを化学反応させて、粒子を作るんです」
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なんだかお酒の発酵みたいです。
「そうですね。木桶の一番のメリットは酸に強くて保温性があること。化学反応をさせるためには保温性が必要なんです。鉄やステンレスだと一定の温度で反応させることが難しくなるので、木桶が使われていました」
高さ10mもある大きな桶を作っていたこともあるそうです。
「工場の仕事をしていた桶屋は大阪でも3軒ぐらいあったかな。だけど、それも私のところ1軒になってしまいました」
桶屋の技術を活かした仕事
時代とともに工場の仕事も少なくなると、桶以外の仕事をするように。
「桶屋は円筒形のものを綺麗に組み合すという技術があるので、それを活かした仕事を請け負っていました」
公園のベンチや遊具などもそのひとつ。
「20数年やっていました。丸太と丸太を合わす、大工さんとはまた違う技術なですね。当時は人気があってたくさん作りましたけど、それもプラスチックやステンレスになってしまいましたね」
ほかにも、中古の桶を使った茶室、家具などさまざまなものを手がけたと言います。
事務所も桶の廃材で作ったもの。
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もちろん、それらの仕事をしながら桶の仕事も続けていました。
「なんせ桶の職人さんやから、彼らにとったら遊具はあんまり気が進まん。桶作ってる方がいいと(笑)」
その一方で、「どんな仕事であろうと自分のところでできると思ったら手にかける。桶の仕事自体を捨てなかったのが私のところが残った理由です」と言う上芝さん。
「仕事が続く状態、チームが残るという状態が長い間維持されてきたのがよかったのでしょうね。大桶づくりはチームで残らないとダメだから」
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現在、藤井製桶所で桶作りに携わるのは上芝さんの兄弟と研修生の4名に加え、90歳を過ぎたお父さんも毎日工場で作業をしているそうです。
「職人がいなくなって、親方一人が残った桶屋さんもたくさんありました。仕事が来ても一人ではできないので、うちが下請けをするという時代もありましたね」
桶をずっと作ってこれたのは職人さんがいたから。
「そうですね」
美味しい味噌や醤油の蔵元には木桶が並んでいた
時代とともに使われなくなった木桶ですが、20年ほど前から、その良さが見直されてきたと言います。きっかけはテレビ番組でした。
「戦後、醤油や味噌の蔵元さんが一斉にホーローやFRPのタンクに買い換えた時、お金がなかったところは、仕方なしに木桶を使ってたんですが、そこの醤油や味噌がグルメ番組で取り上げられるようになったんです」
味にこだわる板前さんが使っている醤油や味噌を調べると、どこの蔵元にも木桶が並んでいました。
「木は断熱性と保温性が高いので、外気温が変わっても一定の温度を保つことができるんです。だから、発酵する時に、中にいる菌にとって住み心地がよく、仲間を増やしやすいんです。菌が活発に活動することで、お蔵さんのオリジナルの味が生み出されるわけですね」
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木桶仕込みは熟成の段階で味に変化が出てきます。一方、FRPやステンレスタンクでは味の変化が進まないといいます。
「木桶仕込みのものには、他の桶で仕込んだものには入っていない物質がたくさん入っている。だから、複雑な味になる。味に深みが出てくるんです」
買い換えられずに木桶を使っていたことが、知らず知らずのうちに蔵の味を守ることに繋がっていたのです。
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蔵人たちの手で受け継がれる木桶作り
意外な形で見直されてきたことから、ここ10年、木桶仕込みで昔の味を取り戻そうとか、他とは違う味のものを作ろうという蔵元が増えてきたといいます。
とはいえ、「仕事の量は知れてます」と言う上芝さん。
「基本的に桶は長く使えるものですから。そういうもんを扱う業者はなかなか生き残れない。それは現実にありますね。だから、木桶を使いたいところは自分のところで作りなさいと。
私は技術指導はできるけど作るだけの体力はもうないから、そこから先は自分のところでやりなさいと。今、3軒くらいかな、ある程度自分のところでできるようになってきましたね」
この日、酒の仕込桶を作っていたのも、新潟にある今代司酒造の蔵人さんたちでした。
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自分たちの味は自分たちで守っていく時代。
「これからは私らみたいなスタイルでチーム組んで、それだけで仕事を続けていくのには限界があると思います。自分の生活は酒蔵や醤油蔵の仕事で保証されてて、必要な時に桶を作る、直すということに移っていかないと。
新しい需要があって、桶職人で生活できるということであれば、過去30年の間に新しいチームができていて当たり前なんですが、できていないということは、やっぱり仕事がないですね」
和竹屋さんと木取り商があって、はじめて桶屋は成り立っていた
かつての新参者が最後の桶屋となった藤井製桶所。今後は2020年をめどに仕事を縮小していくといいます。
「得意先にはもう大きな桶はできませんよって、10年ぐらい前から伝えています。それまで何十年間、お得意さんとして仕事くれてる方々に迷惑をかけないために。
ところが、辞めるっていうのが業界で噂になって、ここ2、3年、わしのところも、わしのところも、って言うてくるところがあるんですが、ほとんどお断りしてます。辞めるんやったら作って欲しいっていう、駆け込み寺的な感覚で言ってくるところは、受けてないですね」
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「昔は、箍を作る専門の和竹屋さんや、桶専門の材木を提供する木取り商があったんです。木取り商は、桶1個分の材料を1パックに仕立てて、それを桶屋に売る。和竹屋さんと木取り商があって、はじめて桶屋は成り立っていたんです」
ところが、この二つがなくなってしまった。
「だから、今は全部自分のところでやらないといけない。工具を作る鍛冶屋さんもなくなっているから、それも自分のところで作るということになってしまう。そういう時代に入ってるんです」
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今になって急に「昔はよかった」といっても、なくなってしまったものが多すぎる。私たちは便利さを優先してきたことで大切なものを失ってきたのだと痛感しました。
桶の文化はこの先どうなるのでしょうか。
「根強いものは感じています。桶を作る業者はなくなるだろうけど、桶自体がなくなることはなさそうですね」
桶は資源を無駄なく使い、機能的で長持ちするとてもよいもの。
「桶がいい」と表面的なカッコよさだけで使うのではなく、木が持つ特性や本質的な部分でのよさを知った上で長く使ってほしい。
日本で唯一となった桶屋さんの思いを重く受け止めました。
<取材協力>
藤井製桶所
文 : 坂田未希子
写真 : 太田未来子